じじぃの「人の死にざま_374_I・バーグマン」

イングリッド・バーグマン - あのひと検索 SPYSEE
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Ingrid Bergman  動画 YouTube
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Ingrid Bergman - Scenes from Casablanca 動画 YouTube
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イングリッド・バーグマン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
イングリッド・バーグマンは、ハリウッドで活躍したスウェーデン出身の女優。
スウェーデン語、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語に堪能だった。
【生涯】
ストックホルムにて、スウェーデン人の父親と、ドイツ人の母親の元に生まれる。
1942年の『カサブランカ』で一躍スターになり、1944年の『ガス燈』でアカデミー主演女優賞を獲得した。
女優として頂点を極めたかに見えたが、イタリアの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督の作品を見て感動し、すぐさま手紙を送って、仕事と家庭を捨ててロッセリーニの元に走り、彼の映画に出演する。その結果、当時の世論から不倫を激しく非難され、ハリウッドから実質的に追放された。娘のピアとも何年も会わず、親子の確執があったが、後に和解したと伝えられている。
やがて世論も和らぎ、1956年の『追想』に出演して、2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。1974年の『オリエント急行殺人事件』では同助演女優賞を受賞し、生涯に3回オスカーを獲得している。ハリウッドを追放されていた時期も、復帰してハリウッドに戻ってきた時も、変わらず友情を保ってくれたのは俳優のケーリー・グラントただ一人だったという。
1982年にがんのため、67歳で死去。生没同日だった。彼女の墓には「彼女は生の最後まで演技をした」と書かれている。
【関連項目】
・バラ:没後「イングリッド・バーグマン」というバラが発表された。2000年世界バラ会議によって「バラの殿堂」に入った。
・ワイン:最も一般的とされるボルドー型のワインボトルを「バーグマン型」と呼ぶことがある(肩幅が広いことから)。
フェラーリ:1954年、当時の夫ロベルト・ロッセリーニから贈られた375MMベルリネッタは、彼女のために製作された1台限りの車であった。そのエピソードから通称「バーグマン・クーペ」と呼ばれる。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
8月29日−イングリッド・バーグマン (スウェーデン女優)
美人女優は数多いが、正統派の美女というモノサシを用いるとなると必ずや5指に入る人である。
また、バーグマンぐらい波乱に満ちた映画人生をおくった女優も稀有だろう。
「ガス燈」(1944) 「追想」(1956)でアカデミー主演女優賞、「オリエント急行殺人事件」(1974)で助演女優賞と3つのオスカーを獲得した彼女だが、夫と娘を捨て、心酔したイタリアのロッセリーニ監督の下へ走る不倫の恋を貫いたり、乳ガンで美のシンボルたる乳房を切断したりという紆余曲折する中、その美貌に年輪という刻みをつくってきたような女優だと思う。
スキャンダルをはね返すパワー。これを有している者のみがスーパースターと呼べると私は論じたい。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
イングリッド・バーグマン (1915-1982) 67歳で死亡。 (一部抜粋しています)
映画「カサブランカ」「ガス燈」「誰がために鐘は鳴る」など、気品にみちた知性的な美貌で、戦後の日本人にも数多くの賛美者を生んだスウェーデン生まれのイングリッド・バーグマンは、1974年、59歳のとき、ニューヨークで芝居に出演中、偶然新聞で乳ガンについての記事を見た。
「わたしも新聞の記事を読みながら無意識のうちに胸にさわっていた。やがて手がぴたりと止まった。ああ、まさか! わたしに限ってそんなはずはない!」
と、彼女は自伝『マイ・ストーリー』で書く。乳房にシコリがあったのだ。
しかし、医者にかかるのはきらいで、芝居が終わって、数ヵ月ののち、ロンドンで手術を受け、一方の乳房を切除された。そのあと、放射線治療をつづけながら、アガサ・クリスティー原作の「オリエント急行殺人事件」に出演して、オスカー賞を受賞した。
4年後の1978年、祖国を共にする名監督ベルイマンが演出し、彼女の最高傑作といわれる「秋のソナタ」の撮影がほぼ終ってから、2度目の手術を受ける羽目になり、もう一方の乳房も切除された。
さらに4年後の1982年1月、テレビ映画「ゴルダという女」で、ガンと12年間戦って死んだイスラエルの元首相ゴルダ・メイアに扮して出演したときは、もうメーキャップいらないほどの衰弱ぶりを見せていた。
彼女は自伝の終りに書く。「わたしはかねがね命あるかぎりいつまでも演技を続けようと思っていた。・・・・わたしは生涯の終りにあっても、いつでも演技する用意だけはできている」
そしてバーグマンは、その年の8月29日、ちょうど67歳の誕生日に、ロンドンの自邸で死亡した。

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