じじぃの「人の死にざま_350_いずみ・たく」

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佐良直美 いいじゃないの幸せならば 昭和44年紅白 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yvfDwF2wSSs
いずみたく ウィキペディアより
いずみたく(1930年1月20日-1992年5月11日)は、東京都出身の日本の作曲家。元参議院議員第二院クラブ)。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。
【概要】
謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲にのぼるという。1969年(昭和44年)には佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』が第11回日本レコード大賞を受賞した。また、「歌はドラマである」という自らのモットーに基づいて、「見上げてごらん夜の星を」「洪水の前」「おれたちは天使じゃない」「歌麿」「船長」「死神」など多数のミュージカルを手がけた。ミュージカルの制作と共に、ミュージカル俳優の育成にも情熱を注ぎ、日本のミュージカル界で活躍する多くの俳優を育てた。その俳優養成がもととなり、ミュージカルを専門に上演する劇団フォーリーズ(現・ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ)を旗揚げ。キャパ100席の劇場・アトリエフォンテーヌを作り、そこを拠点に数々の実験的な公演を行った。
1986年(昭和61年)、二院クラブから参議院比例区に出馬するも落選。1989年(平成元年)、青島幸男辞職による繰り上げ当選となった。出馬の理由は、一部に日本共産党支持者として有名であったが、同党がタレント議員に否定的だったためとされているが、同党への支持は変わりなく、友人である青島幸男に強く請われたためだとする説も有力である。議員としての活動では、「日本は世界第2位の経済大国であるのに、国の文化・芸術関連への予算配分が少なすぎる」として、文教関係予算の増額のために尽力したが、1992年(平成4年)5月11日、肝不全のため任期半ばで逝去。62歳没。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
5月11日−いずみたく (作曲家・62歳)
見上げてごらん夜の星を』、『恋の季節』、『ふれあい』、『太陽がくれた季節』、『これが青春だ』といったいずみたくの代表作を聴くとつくづくこの人は青春のメロディキングという印象を受ける。
CM音楽と併せ、いずみは押しも押されもせぬ作曲家としての地位を不動のものにしていたにもかかわらず、そのカネを人生最大の夢であったミュージカルのために投資し続けたことからいつも借金を抱えていたという。
また、愛する女性を次から次へと変えていった。そのために4度の離婚、5度の結婚というなかなか真似の出来ないこともやってのけた。一本気な性格故に結婚という形で男としての責任を取り続けてきたらしい。
六本木に日本唯一のミュージカルの常設館まで作ってしまった男。それほどにいずみはミュージカルに賭けていたのだ。
生涯にわたって夢を追い続けた男に心から献杯をしたいと思う。

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