じじぃの「人の死にざま_298_小林・秀雄」

小林秀雄 - あのひと検索 SPYSEE
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資料 一 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xg75lqKvv1s&feature=related
資料 二 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=BWOB_FPYCno&feature=related
小林秀雄フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
小林秀雄は日本の文芸評論家。
日本の近代批評の確立者であり、西田幾多郎と並んで戦前の日本の知性を代表する巨人であり、戦後も保守文化人の代表者であった。いわゆるフランス象徴派の詩人、ドストエフスキー志賀直哉らの文学、ベルクソンやアランの思想に大きな影響を受ける。国文学にも深い造詣と鑑識眼を持っていた。
妹の高見沢潤子は作家・随筆家で、その夫は『のらくろ』作者の漫画家田河水泡
長女明子は白洲次郎・正子夫妻の次男兼正の妻。英文学者の西村孝次、西洋史学者の西村貞二兄弟は従弟にあたる。
【略年譜】
明治35年(1902年) 東京市神田区(現東京都千代田区)猿楽町に小林豊造、精子の長男として生まれた。本籍地は兵庫県出石郡出石町鉄砲町。父豊造はベルギーでダイヤモンド加工研磨の技術を学び、日本にその技術と機械とを持ち帰り、「洋風装身具製作」の先駆者となった。また日本で最初の、蓄音機用のルビー針を作るなど数多くの技術を開発している。
・昭和40年(1965年) 『本居宣長』を「新潮」に連載開始(昭和51年まで)。
【主な著作】
・『無常といふ事』
・『人生について』
・『考へるヒント』
・『感想』(未完のベルクソン論)
・『本居宣長

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小林秀雄の思ひ出―その世界をめぐって』 郡司勝義/著 文藝春秋 1993年発行
霊魂について(泉鏡花の世界) (一部抜粋しています)
昭和34年11月のこと、ベルクソンを論じ始めてから、1年半が経った頃、「小林秀雄氏の近ごろ」と題した探訪記事が新聞に載った。還暦をまへにしてなほ壮者をしのぐ、当時の勢ひと気魄とが現されてゐる。それが、実によく伝えへられてゐるので、今となっては知る人も少いだらうし、さして長くもないので引用しておかう。
小林秀雄氏は本居宣長について語り、ベルクソンについて語った。
宣長は体系だった思想なんてありゃしない。彼がやったのは考証だ。しかし、その考証の中に彼の思想があるんだ。だから、それを全部読まなければわかりゃせんよ」
書だなには、金の背文字の宣長全集がズラリと並んでいる。
「しかし私には宣長がおもしろいな。宣長実証主義者だといわれるが、彼の頭の中にそんな考え方はありはしない。今日の実証主義者はかたよったものだ。学問が分化して出てきたものだ。だが、宣長ぼ中ではすべてがひとつになっている。美学だの倫理学だのといった区別なぞない。おのれを捨てて学問をすれば、おのずから生き方が出てくる。だいたい科学的心理とか宗教的心理とか、わかれるというのがおかしいじゃないか」
氏はこの宣長論を「日本文化研究」に書いたが、「7、80枚では論じつくせない、あらためて長くする」そうである。
雑誌「新潮」にはいま「感想」と題した文章を連載している。ベルクソンを論じたエッセイだ。
ベルクソンは科学と宗教を、ひとつにしようとしたんだ。実証的なやり方でつき進み、結果として得たものが形而上学だったんだ。ベルクソンは、人間だの人生だのわかるなんてことは一行も書いちゃいない。そんな思い上がったうぬぼれを持っていない。だから大哲学者なんだ」
人間の精神はひとつである。ひとつなら、その中で実証的な科学や宗教や哲学がそれぞれの真理を主張するのはおかしいではないか−−一見、なんの関係もない宣長ベルクソンがこの点、つまり科学と思想をひとつに結びつけようとする点で、同じように氏を魅するのかも知れぬ。
最近の小説を読みますか、ときくと苦りきって
「読むひまがないね。商売なら仕方がないから読むが、ぼくはいまは商売人じゃない。常識人だ。読みかける、つまらないからやめる・・・・きわめて常識的ですよ」
文壇の新しい傾向をどう思うか、ときくと、ますますにがい顔で
「新しいものに興味がない。新しいということは、そんなにおもしろいことですかね。ぼくらの興味をひきずってゆくようなものは、何もないじゃないか。それを見つけようと読みあさる。そんなひまなぞないじゃないですか。みな小説を商売で書いている。3年先の予約まであって、つまり外的な理由で書いている。おもしろいはずがない。学者の書く論文だってそうだ」
哲学の不振、思想の貧困、どう思いますか、というと
「ぼくなんぞがベルクソンを書いているのも、だれもまじめに考えないからだ。生きている以上、考えなければしょうがないじゃないか」と射ぬくような目つきで、突きさすようにいった。小林秀雄氏の日々は、ある政治学者が評したように、やはり"真剣勝負"の日々である≫
≪意識をもつ存在者にとって、存在するとは変化することであり、変化するとは成熟することであり、成熟するとは限りなく自己自身を創造することである≫(真方敬道訳)とは、ベルクソンの言葉であるが、小林秀雄は、その信奉者であった。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
小林秀雄 (1902-1983) 81歳で死亡。 (一部抜粋しています)
65歳のころ小林秀雄は、親近者の郡司勝義に語ったことがある。
「人間は、ぼけるのがいちばん恐ろしい。今まで同じ人に、同じ話を2度とするようなことはなかったのだが、この頃はどうやらそれも怪しくなった。だから、この話は前に話した事があるかね、と不安なときは必ず確かめることにしているのだ」
このころ彼は大著『本居宣長』を「新潮」に連載中であった。が、すでにぼけを自覚していたのである。
晩年の小林秀雄について、なお郡司は記す。
「先生は、みずからの健康については、臆病と言っていいほど細心の注意を払われていた。風邪気味だと思えば、それが軽微の兆候であっても一切の外出を中止し、寝室にとじこもって蒲団をかぶり、風邪の抜けるまで3日でも4日でも大事をとられた」
友人の中村光夫もいう。
「晩年の氏は、長寿を希(ねが)っていたようで、『このごろ惜しいのは生命だけだ』と、どこかで言っていました。氏は若い時夭折(ようせつ)を恐れなかったように老齢の一日一日を天の贈り物として、悪びれずに楽しむことを知っていました」
本居宣長』は52年に完成し、このように彼は、鎌倉雪の下の自邸で、ゴルフやクラシックや落語のレコードを楽しむ静かな日を送っていたが、昭和57年3月30日、大量の血尿と尿道痛の症状を発し、診察の結果膀胱がんと判明して東京信濃町の慶応病院に入院し、7月、手術を受けた。
妹の高見沢潤子田川水泡夫人)は語る。
「3月末入院、一時はよくなったようであったが、それから毎日毎日、検査がつづいた。大手術に耐えられるかどうかの検査であったが、随分辛(つら)かったらしい。精神的にも大きな疲れだったらしい。
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その結果大手術が行われ、手術は成功し、経過もよかったが、身体は、精も根もつきはてたという状態であった。見舞いに行く度に、色つやはよかったが、いつもうとうと寝ていた。たまに目をさまして、私の来ていることが解ると、私はいつも、
『疲れたでしょう』
といった。兄はうなずいて、また目をつぶるのであった」
この手術の経過について、友人の大岡昇平も弔辞でいう。
「その苦悩は想像を絶するものがありましたが、これで体中悪いところは一個所もなくなったので、それほどの大きな手術の後では、使用した麻酔薬その他の薬物も、多量に残存しているに相違なく、日常如何に健康体だったとしても、80歳の肉体から、副作用が除去されるまでに当然2ヵ月や3ヵ月はかかり、元気な顔を見られるのは、秋の気候が定まってからと、私は指を折りました。後日も、付き添われた人から聞きましたが、あなたは病床で『我慢だ』『我慢だ』と、しばしば独語されたそうです。
いよいよ秋風が吹きはじめた夕方、鎌倉の市中で、私は奥さんにお目にかかり、どうも食欲が恢復せず、心配だという立ち話を聞きました」
小林は9月末、一応退院して、鎌倉の自邸に帰っていたのである。このころの状態を高見沢潤子は語る。
『粥(かゆ)を食べ終わると、兄は奥の間で横になった。この部屋からは硝子戸越しに庭が見え、兄の好きなしだれ梅と、しだれ桜が一番近く見えた。しだれ梅の枝には、あちこち2つわりにした蜜柑の実がつけてあった。ひよどりが2羽やって来て、それをつっついて行くのである、兄は寝ながらそれを見るのを、楽しみにしていた」
翌58年1月中旬、風邪をこじらせ、下旬また慶応病院に入院し、2月中旬再手術を受けたが、27日から腎不全による尿毒症にため容態が悪化し、3月1日午前1時40分に死亡した。
彼は生前に鎌倉東慶寺に墓地を求め、そこに宣長が愛した山桜を1本植えていた。

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小林秀雄の言葉
「自分自身と和する事のできぬ心が、どうして他人と和する事が出来ようか」
「ただ単に現代に生まれたという理由で、誰も彼もが、殆ど意味のない優越感を抱いて、過去を見はるかしております」

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