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William B. Shockley, Fairchild Semiconductor and The Traitorous Eight 動画 YouTube
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semiconductores 動画 YouTube
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ウィリアム・ショックレー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ウィリアム・ショックレー(William Bradford Shockley、1910年2月13日-1989年8月12日)は、アメリカの物理学者。「トランジスタの父」と呼ばれる。
カリフォルニア工科大学出身。マサチューセッツ工科大学にて博士号を取得。第二次大戦中は、海軍の委託研究のディレクターとしてコロンビア大学で対潜水艦技術の研究開発を指揮した。
1947年、ベル研究所において、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンとともに点接触トランジスタを発明。
この「半導体の研究およびトランジスタ効果の発見」に対して1956年に彼ら3人にノーベル物理学賞が贈られた。
ショックレーは「黒人は白人に比べ知能が劣る」などといった人種差別的な考えを終生持ち続けていたと言われている。また部下に対して子供を相手に会話するような下卑た言動をすることもありショックレーに反感を抱いている者も少なくない。実際業を煮やした部下が新会社設立の目的で組織的に離脱している。

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TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家・科学者・思想家・起業家 徳岡孝夫/訳 1999年発行
固体物理学者】ウィリアム・ショックレー 【執筆者】ゴードン・ムーア (一部抜粋しています)
トランジスタが誕生したのは、1947年のクリスマス直前のことだった。この時、ニュージャージー州ムレーヒルにあるベル電話研究所で、ウィリアム・ショックレーの助手として働いていたジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンが、ゲルマニウムの結晶に取りつけた電極に電気信号を流すと出力が入力よりも大きくなるのを発見した。ショックレーはその時留守だった。彼はアインシュタインが原爆の父と呼ばれるのと同じような意味で、すなわち、着想を展開させて進むべき方向を示したという意味で、トランジスタの父と呼ばれるが、自分自身はその世紀の瞬間を見逃したと感じていた。
競争心が旺盛で、顔を真っ赤にして怒ることもあったショックレーは、その発見に何か自分の足跡を残そうと決意して、この現象の説明を、当時半導体の量子物理学と呼ばれていた分野に求めた。その後のほんの数週間に発揮された素晴らしい洞察力によって、ショックレーは半導体素材に関する理解を飛躍的に深め、別の、もっと安定した増幅素子に関する基礎的理論も完成させた。その素子とは、さまざまな不純物をまぜた結晶をサンドイッチ構造にしたもので、後に接合型トランジスタと呼ばれるようになった。1951年にショックレーの同僚が彼の理論に従って半導体のサンドイッチを作り、それが予想されたとおりの性能を発揮することを確かめた。
以後の20年間はトランジスタ技術の発達が電機業界を駆り立て、いくつかの会社がショックレーのアイデアに飛びつき、彼の素子の実用化に着手した。またそのサンドイッチ構造を作るための新しい技術も開発されて、いろいろな大きさや形のトランジスタが市場に出回った。ショックレーの発明は新しい産業を創出し、スーパーコンピュータからしゃべるグリーティングカードまで、現代のエレクトロニクスすべての下地となった。今日では、新聞、本、雑誌に印刷されるすべての活字と、コンピュータやコピー機などが吐き出す文字をすべて併せたと同じ数のトランジスタが、世界中で製造されている。
ウィリアム・ブラッドフォード・ショックレーはロンドンに生まれた。父親は鉱山技師、母親は鉱石の鑑定人で、ふたりが仕事のために派遣された先で生まれている。ショックレーは小学校には行かずにカリフォルニア州パロアルトの自宅で教育を受け、後のパロアルト士官学校とハリウッド高校に通った。隣人がスタンフォード大学で物理学を教えており、彼に誘発されてこの学問に興味を覚えるようになった。カリフォルニア工科で学士号を、またマサチューセッツ工科大学では「塩化ナトリウム結晶における電子の波動関数の計算」という論文で博士号を取得している。
ベル研究所でのショックレーは、早くから、当時の技術的悪夢−−ラジオや電話中継システムの中で電子の流れを制御する調整弁として使われていた真空管の高コストと信頼性の低さ−−を克服するカギは固体物理学にあると気づいていた。真空管は高熱を発し、かさばり、壊れやすく、寿命が短かった。結晶、とりわけ若干の電気を通す結晶を使えば、もっと早く、確実に、100万分の1の電力消費で真空管と同じ仕事ができるはずだった。ただし、電子的調整弁として機能する結晶が得られればの話だが。そうしてショックレーと彼のチームはこの手品のやり方を突き止めた。
トランジスタ(transfer resistance[伝達抵抗]から取られた)と呼ばれるようになったこの発明の重要性に対する理解は、またたく間に広がった。1956年、ショックレー、バーディーン、ブラッテンはノーベル賞を受賞した。実用的な発明にノーベル賞が与えられるのは異例のことだった。
ベル研究所での待遇に満足していなかったショックレーは、自分の発明は自分のために生かそうと決意した。その結果、サンフランシスコ半島の基部一帯の産業発展に、大きく貢献することになった。シリコンバレーにシリコンを持ち込んだのは、ショックレーだったのだ。
1956年2月、彼はベックマン・インスツルメント社の資金援助で、ショックレー半導体研究所を設立した。研究所の目的は、シリコンを使った半導体の開発と製造にあった。彼は創業の地として、少年時代を過ごし、当時まだ母親が暮らしていたパロアルト近郊を選んだ。かまぼこ形の小屋を作業場にし、必要な技術を開発するために若い研究者を雇った(筆者もそのひとりだった)。1956年の春までには小規模ではあったがスタッフもそろい、研究と開発が始まっていた。
その当時はまだ、半導体はほとんどすべて、純粋な結晶を入手しやすいゲルマニウムを使って作られていた。だが少なくても理論的にはシリコンの方が適していた。その主な理由は、シリコンを使った素子の方がゲルマニウムよりも高温で使うことができるという点にある。また、シリコンはきわめてありふれた科学物質だったのに対し、ゲルマニウムは比較的まれな物質だった。ただし、シリコンは融点が高いので、精製と加工がゲルマニウムより難しいという面もあった。
ショックレーのグループは必要な素材と工程について研究することにした。それまで半導体にかかわった経験があるものは数人しかいなかったので、大部分の者にとってそれは猛烈な勉強の期間であった。
ショックレーの下で働くには、独特の難しさが伴った。彼は自分の競争好きな性格を、部下の若い物理学者たちとの仕事上の関係にまで持ち込んだ。さらに、われわれの目には偏執的とまで映ったさまざまな行動をとるようになった。自分のスタッフがわざと計画の足をひっぱっているのではないかと疑い、彼にそう思われた人間は作業の一部から除外された。ちょっとしたことでも、悪意によるものだと言ってはだれかに責めを負わせた。新しい実験結果が得られると、それが正しいかどうかをベル研究所の以前の同僚の下に持ち込んで検討しないと気が済まなかった。だから日ごろからショックレーと一緒に仕事をするのは並たいていのことではなかった。
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グループは解体の危機にあり、実際、最初に入った何人かはすでにほかの職を求めてショックレーの下を去っていった。われわれは何かと組織をまとめようと、ショックレーの頭越しに、創業資金を提供したアーノルド・ベックマンに会いに行った。ショックレーを研究所の直接の運営から外し、技術顧問としてのみかかわるようにしてもらおうと思ったのだ。
われわれは自分たちの力をかいかぶり過ぎていた。われわれの反乱は失敗に終わり、ショックレーが生き延び、われわれは新しい職を探す必要に迫られた。職探しをしながらわれわれは、ショックレーの当初の目的であるシリコントランジスタの実用化を実現するための会社を自分たちで立ち上げるのが一番だという結論に達した。そのころ、ショックレーは、同じく自分が発明した別の半導体素子が気に入り、シリコントランジスタは放棄してしまっていたのだ。
フェアチャイルド・カメラ・アンド・インスツルメント社の資金援助で立ち上げた新会社は、シリコンバレーに誕生した数十の企業の母胎となった。半導体テクノロジーの世界で活躍している、あるいは活躍していた数多くの企業のほとんどすべてが、その創業者の技術的ルーツをたどっていけば、フェアチャイルドを通じてショックレー半導体研究所に行き着く。ショックレーは意図せずして、歴史上もっとも劇的な成功を収めた産業の発展に寄与したのである。

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