じじぃの「人の死にざま_296_壷井・栄」

壷井栄 - あのひと検索 SPYSEE
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映画「二十四の瞳」 予告編 動画 YouTube
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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
6月23日−壷井栄 (作家)
小豆島のしょうゆ醸造元の家に生まれた。
いわばお嬢さまだったのだが栄が小一の頃に家業が傾き始め、幼少時代から働くことを余儀なくされる。
過労のために肋膜を病み、せきついカリエスにまでなったというからその重労働ぶりがしのばれるというものだ。
壷井栄が郵便局勤めをしていたというのは有名だが、彼女にはどこかプロレタリアの世界が匂う。それもそのはず、宮本百合子佐多稲子、更には夫となる壷井繁治という貧しいプロレタリア詩人の影響を多分に受けているのだ。
1939年、『大根の葉』という処女作で文壇デビュー。もちろん、その代表作は1953年に発表した『二十四の瞳』である。
栄の生まれ故郷・小豆島を舞台に大石久子という若い女教諭と12人の子供たちとのふれあいをヒューマンタッチで描いたこの小説は木下慶介の手によって映像化されたことにより、国民的な人気を得た。
貧しさに恥じることはない。日々を営々と生きる庶民の暮らしの中にこそ、人間本来の幸福が見えかくれしていると壷井文学は謳ってきたような気がする。
大石先生と子供たち−−私にはあれこそ学校の原点、教育の姿と思えてならない。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
壷井栄 (1899-1967) 66歳で死亡。 (一部抜粋しています)
二十四の瞳』で知られる作家壷井栄は喘息の持病があり、大学病院でステロイド・ホルモンによる治療を受けた。以来彼女は、発作が起ると、自分で町の薬局からステロイド・ホルモンを買って来て漣用したために、その副作用で、高血圧、低血糖、そして副腎委縮によるむくみをひき起こした。
昭和42年6月21日の夜、またも喘息の発作がとまらず、ゆかた着のままで病院にかつぎこまれ、手当を受けたが、途中彼女は苦しみのあまり「死にたい」とか「わたし、もう疲れたわ」とかつぶやいた。翌日の夜10時半、息をひきとった。
最後の病床をみとった親友の作家佐多稲子は弔辞を読んだ。
「・・・・あなたの臨終を見まもる激しい不安のとき、あなたの生涯を一瞬におもい浮かべるのは悲しいことでした。そこには私自身の姿もあったのです。・・・・この数年、あなたに安らかなときの少なかっただけに、あなたの最後の苦痛を見守っていて、ただ見守るしかなかったことが私は悲しゅうございました。が、あなたの命のたたかいが終わったとき、あなたはまったく美しいほど平静なおもかげに戻っていられました」

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