じじぃの「人の死にざま_269_大山・康晴」

大山康晴 - あのひと検索 SPYSEE
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(将棋)大山康晴×羽生善治 (解説:森鶏二・永井英明)3_3 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sXOOxfos87A
大山康晴 ウィキペディアWikipedia) より
大山康晴大正12年(1923年)3月13日-平成4年(1992年)7月26日)は、将棋棋士棋士番号26。木見金治郎門下。主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代1位)、棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等がある。十五世名人、および、永世十段永世王位・永世棋聖永世王将という、5つの永世称号を保持。
日本将棋連盟会長でもあった。弟子には有吉道夫、中田功、行方尚史などがいる。平成2年(1990年)に将棋界初の文化功労者顕彰となった。正四位勲二等瑞宝章を受章。岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県百石町の名誉市民・名誉町民。
【棋風】
受けの達人として知られる。相手に攻めさせてから指し切りにさせてしまう「受け潰し」を得意とし、優勢となっても勝ちを急がず、常に安全に勝つことを目指した。終盤での強靭な粘りと、最善手ではない、敢えて相手の悪手や疑問手を誘うよう手を指す逆転術は「終盤が二度ある」「二枚腰」と讃えられた。
羽生善治将棋世界2006年8月号の中で、大山の棋風について「読んでいないのに急所に手が行く」「最善手を追求しない」と発言している。「まあこんなところだろう」という感じて手が伸びてくるのがピッタリ当たりまさに名人芸ともいうべき指しまわしであると著書「決断力」に述べられている。
好きな駒は金将。金銀の使い方が非常に巧みで、現在においてもその受けは棋士の研究対象となっている。ただし、かつてニッポン放送アナウンサー塚越孝に「最も好きな駒は何か」と質問された際、大山は対局に影響するので答えられないと返答した。それでも塚越は同じ問いをし、大山は香車と答えている。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
7月26日−大山康晴 (棋士・69歳)
新世代の棋手としてもてはやされている羽生善治谷川浩司だが、かれらより2世代ほど早く、棋士のイメージを変えた人こそ大山だった。
岡山の天才少年はどこまでも強かった。1936年、木見金太郎9段に入門するや、兄弟子の升田幸三をあっという間に抜き去り、名人の木村義雄をも倒す。
タイトル優勝戦124回。生涯成績は1433勝781敗。連続A級在位実に46年。名人、王将、棋聖、十段とタイトルを総ナメ。大山は当時の横綱大鵬と共に不沈艦を誇った。
有名なハナシがある。「大山さん。あなたにとって将棋とは?」と問いかけられた時に、彼は次のように答えている。「人生のヒマつぶしです」
含蓄のある言葉だと思う。いかに羽生が勝とうとも私たちの世代にとって将棋といえば、それは何といっても大山康晴なのである。

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