じじぃの「人の死にざま_253_夏目・雅子」

夏目雅子 - あのひと検索 SPYSEE
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知ってるつもり?!夏目雅子」 1/5 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wPAuFOONOEQ
夏目雅子 1980 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xUbXEW_e5O0
『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
9月11日−夏目雅子 (女優・27歳)
女は男より3歩先を歩いているというのが私の持論だ。それだけに若い女性には花の如きはかなさをかいま見る。ましてやそれが女優ともなればなおさらの感が強い。
ひまわりの花のようだとたとえられた夏目雅子とはまさにそうした女優だった。
「時代やの女房」、「瀬戸内少年野球団」そして、あの「鬼龍院花子の生涯」−−スクリーンに出ていた雅子はそれこそひまわりの大輪の如く輝きを帯びていた。
27歳の若さで逝ってしまうとはそれこそ"美人薄命"を地でゆくような人生だと思うが、それでも美貌がいささかとも衰えぬまま人々の胸に鮮明にそのひまわりぶりを焼きつかせて逝ったことは或る意味で幸福だったように思いもするのだが・・・・

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
夏目雅子 (1957-1985) 27歳で死亡。 (一部抜粋しています)
「20代の女優さんではもっとも美しい、日本一きれいな女優さんでした。憂(うれ)いを持った美貌で、彗星のごとく現れ、流れ尾をひきながら消えていったひとですね」
と、昭和59年彼女の最後の出演映画「瀬戸内少年野球団」の監督篠田正浩はのちにいう。彼女はまだ名女優でも大女優でもなかったが、まさにその世界に大輪の仮名をほころびさせようとする時にあった。
その夏目雅子は昭和60年2月、渋谷の西武劇場で「愚かな女」公演中に極度の疲労を訴えて倒れ、慶応病院に運ばれた。彼女は「這ってでも舞台に戻る」と泣きさけんだが、医者は制止した。
夏目雅子は、実はふだんから病身で、それまでも腎臓、甲状線などを病み、撮影中もいろいろな薬を常用していた。彼女の美しい身体の内部には早くから死の翳(かげ)が這いまわっていたのである。そして最後に彼女をとらえたのは急性骨髄性白血病であった。
白血病は血液ガン友呼ばれ、白血球が増加して高熱を発し、また血漿(けっしょう)が減少して貧血を起こし、末期には鼻血を出し、歯ぐきからも出血し、皮膚に紫色の出血班を現わす。
原因不明。
ただし、彼女には極度の貧血と告げられた。
夏目雅子はお嬢さん育ちながら仕事へのファイトに燃える女で、NHK和田勉ディレクターが「亡くなったと聞いた時、自殺ではないかと思った。それほど突っ張って生きていた」といった気性は病中も衰えず、入院中しきりに聞いたことは、どんな映画や舞台が流行(はや)り、女優のだれが人気を集めているかで、「私がいない間の映画はみんなコケればいいんだ」と冗談ながら半分本気でいい、全快後は、ミュージカルをやりたいと希望に燃えていた。
病状も一度は回復に向い、一時は病院の廊下や屋上を散歩することもあったが、トクダネ写真をとろうとして白衣を着て医者に化けたカメラマンが潜入してくるに及んで、病室の中にとじこめられ、彼女についてどんなことが報道されるかわからないのでテレビや雑誌も禁じられた。
やがて病状は8月ごろから悪化し、9月9日未明から危篤状態におちいり、11日に肺炎をひき起こし、午前10時16分に息をひきとった。

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