じじぃの「人の生きざま_33_アンドリュー・ワイルズ」

アンドリュー・ワイルズ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%BA/5514/
世界最大の難問を解いた天才アンドリュー・ワイルズの物語 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_HgugbMu5S0
数学ミステリー白熱教室 第3回「フェルマーの最終定理への道 〜調和解析の対称性〜」 2015年11月27日 NHK Eテレ
【講師】エドワード・フレンケル(カリフォルニア大学バークレー校教授)
350年以上にわたり誰も解けなかった世紀の難問「フェルマーの最終定理」は、もともと「数論」の分野の未解決問題だった。
だがその問題を「調和解析」という分野とつなげ、「調和解析」の言語に翻訳した瞬間、その難問は解決されたのだった(ワイルズとテイラーによる1995年の証明)。
実は、「数論」と「調和解析」という二つの分野をつなぐことに最も力を尽くしたのは日本人数学者だった(「志村・谷山・ヴェイユ予想」)。「調和解析」の対称性に着目したこの予想は「ラングランズ・プログラム」の一部であり、中核的な役割を果たすものだという。
講義では、フレンケル教授が、誰も気づかないミステリアスな“つながり”を最初に発見した日本人数学者・谷山豊の人生をたどる。31歳で生涯を閉じた谷山の人生を見ると、数学が無味乾燥なつまらない存在ではなく、人間のパッションや創造性、そして心動かす人生の物語だということが分かるという。
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/math/detail03.html
アンドリュー・ワイルズ ウィキペディアWikipedia) より
アンドリュー・ワイルズ(1953年4月11日 - )は、イギリスの数学者で、現プリンストン大学教授(整数論)。「フェルマーの最終定理」を証明した人物として世界的に非常に有名である。
【経歴】
ケンブリッジ出身で、ケンブリッジ大学卒業。大学院でジョン・コーツの指導下のもと、岩澤理論と楕円曲線論の研究、博士号を取得した。業績に岩澤(健吉)主予想の解決(バリー・メイザーとの共同研究)やバーチ・スウィンナートン=ダイアー予想に関する貢献(コーツとの共同研究)などがある。
フェルマーの最終定理
フェルマーの最終定理とは、3 以上の自然数n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。
フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、フェルマーワイルズの定理と呼ばれるに至る。

                                                            • -

天才の栄光と挫折―数学者列伝』 藤原正彦/著 新潮選書 2002年発行
超難関、三世紀の激闘 アンドリュー・ワイルズ (一部抜粋しています)
ワイルズは秘密主義をとるという恐るべき決断をした。自分がその仕事に取り込んでいることを、プリンストン大学の同僚を含め誰にも洩らさないことにしたのである。
彼ほどの数学者がフェルマー予想を正面攻撃したとなれば、反響は当然大きい。数学界で、いや世界でもっともよく知られた数学の問題に乗り出すことを、功名心に目の眩んだ愚行と取られたり、山師よばわりされるとしたら、英国紳士の彼にとって耐えがたいことである。
途中でいくつかの目覚ましい成果を得たが、これも一切発表しなかった。強力なライバルであり世界ナンバーワンと衆目の一致する、ドイツのファルティングスが同じ目標に、やはりひそかに狙いをすましている、と考えていたこともあろう。
予想の証明に必要な議論の9割を自分が完成しても、最後の1割を片づけた人がフェルマー予想解決の栄冠を得る。これはワイルズにとって悪夢だった。金銭や地位に目もくれない数学者はいくらでもいるが、数学上の名声に憧れない数学者は皆無である。
7年間、彼は予想解決に沈潜した。研究室で、自宅の屋根裏部屋で、そばの湖のほとりを散歩しながら考え続けた。考えながら眠りにつき、考えながら起き上った。2人の小さな子どもと過ごす時間以外は、フェルマー予想のことばかり考えていた。
正しい道を歩いている自信はあったが、拭い切れない恐怖もあった。この予想が現代数学を超えたところにあるかもしれない、という恐怖である。この予想を解決するのに必要な数学的武器が発見されるまで、まだ100年待たねばならないとしたら、ワイルズの天才をもってしてもいかんともしがたい。何年も努力を重ねた後の結論が、生まれて来るのが100年早過ぎた、ということになる。そのうえ、30代という数学者の黄金時代を、解決不能な問題に捧げ何も生み出せなかったら、数学者としての人生はそれでほぼ終わりとなる。
ワイルズはあらゆる苦悩にもひるまず、5年間頑張った。この間論文のほとんど書かず、学会やシンポジウムにも出席しなかった。口さがない人々は色々な噂をたてた。
ワイルズほどの者だからクビニしなくてもよいが、研究をやめたのなら授業負担を増やすべきである」
「結婚して子どもまで生まれたから数学に集中できなくなったのだろう」
ワイルズは歯をくいしばった。
6年目に入って、行きづまりを感じたワイルズは、新しい展開を求めて、時折研究会に出席するようになった。皆は温かく復帰を迎えてくれたが、自分自身の研究について彼は口を開かなかった。
7年目に入って研究は大きく進展し、証明は完成したかに見えた。ただ一つの不安は彼の採用した方法が、得意分野外の数論幾何学をかなり駆使している点だった。この分野は数学の中でもとりわけ難解な分野である。落とし穴にはまっているのかも知れない。彼はじめて、同僚で数論幾何学に詳しいカッツ教授に自分の研究を打ち明け、不安な部分を聞いてもらうことにした。
カッツがワイルズの研究室に行くと、ワイルズはドアを閉めてから、「絶対に秘密にしておいてほしいのだが、実は谷山=志村予想が証明できそうなんだ」と言った。カッツは仰天した。そんな大それた研究が同じ廊下の研究室でされているとは想像もしなかったのである。志村の研究室もすぐそばにあった。
ワイルズはカッツを唯一の聴衆として、教室で一連の講義をした。カッツは正しいと判断した。
1993年6月23日、ケンブリッジに親切されたニュートン研究所にて行われた研究集会では、ワイルズにより1時間の講演が3日間にわたり1つずつ組み込まれていた。「モジュラー形式、楕円曲線ガロア表現」という題目だった。
1日目、2日目と終わった頃、参加者の間に噂が渦巻いた。2日目の講演内容と、7年間の大研究ということから「もしかしたら」と噂がとんだのである。3日目はすしづめの講演会場に入れない人々が、通路から背伸びしてのぞきこむという状態だった。20世紀最大の数学的事件を目撃したいと考えたのである。
講演が終わりに近づくと多くの人々がシャッターを切り始め、研究所長がいつ用意したのかシャンペンを取り出した。ワイルズは谷山=志村予想の証明の概略を述べてから、静かにフェルマー予想を定理として書き下し、「ここで終わりにしたいと思います」といって講演を終えた。喝采がいつまでも止まらなかった。
     ・
発表しただけでは証明が正しいことにならない。論文に仕上げ、専門雑誌に投稿し、レフェリーの厳しい査読を受けねばならない。200ページをこえる論文は6つの章に分けられ、それぞれ1人ずつのレフェリーが割り当てられた。すべて当代一流の専門家である。6人のレフェリーというのもはじめてのことだった。通常は1、2名である。
数論およびその周辺分野にあるこれまでの主要な成果を巧妙に用いた証明は、全体を2、3ヵ月で読める人など世界中に1人もいない。というほど難解なものだった。どの章を受け持ったレフェリーも疑問を持ったり分からなくなるたびに、ワイルズに電子メールやファックスを送って答えてもらっていた。
レフェリーの1人であるカッツが8月末に送った疑問に対してのみ、ワイルズの返答が送れた。1週間たっても1ヵ月たっても返答はなかった。部分的な「誤り」が見つかったのである。1ヵ所の間違いがあっただけで、200ページの証明が無効となってしまうのが、数学の怖さである。
発表は世界中にセンセーションを巻き起こしていた。「生きている間にフェルマー予想の解決に出会えて幸せです」といった類の手紙が彼の郵便箱に溢れた。大手のジーンズ製造会社から広告への登場依頼まであった。
彼は万人注視のプレッシャーの中で、誤りの修復に精魂を傾けた。うまくいかなければ、人騒がせのペテン師と言われかねない。同僚であり友人のサルナーク教授は、「彼はほとんど眠っていないようだった。今こそ始末をつける、と頑張る姿には鬼気迫るものがあった」と語っている。
10月ごろまでは極秘にされていたが、証明に重大な誤りが見つかった、という噂はやがて世界に広がった。11月に私を訪れたアメリカ人数学者が、やや声を潜めて言うのを私も耳にしていた。完全な証明はいつ発表されるのか、との問い合わせがワイルズに殺到した。発表して半年近くも公表しないのを暗に批判されているようにワイルズは感じたはずである。
彼は必至の努力を続けるかたわら、口を閉ざし、電子メールへの応答を中止し、自宅の電話番号まで変えてしまう。神経過敏になっていたのだろう。
事態を憂慮した数学教室主任のコッチェン教授のすすめもあり、やっと彼は12月4日に電子メールを世界へ送る。
「不完全な部分を発見したが、近い将来に克服されると思う。2月に始まるプリンストン大学での講義において完全な証明を述べる予定である」
額面通りに受け取った者はほとんどいなかった。間違いが簡単に直るのなら2ヵ月後に始まる講義においてなどと指定することはあり得ないからである。2月の講義で約束は果たされなかった。
同僚の中でワイルズともっとも親しいサルナーク教授は孤軍奮闘の彼に、援軍を頼むよう進言する。ワイルズは、一部を手伝ってもらうことで、なしとげつつある壮挙にたいする名誉が、半分になることを終始恐れていたのだが、この期に及んでは仕方なかった。人騒がせをしたまま秘密主義を貫くワイルズの依怙地に、ようやく非難がで始めていることことをたてに、サルナークが必死の説得をしたからである。
ケンブリッジ大学講師の若い数学者リチャード・テイラーを呼び寄せることにした。際立って才能があり、つまずいている部分の分野に精通しているうえ、6人のレフェリーの1人でもあった。それに何より、テイラーは自分のかっての教え子であり、全幅の信頼をおける人間であり、たとえ修復が共同作業としても成功しても、共著を主張することはあり得ない人物だからだった。
1994年の1月からテイラーとの共同作業が始まったが、なかなかうまくいかなかった。6月にコロラド大学であったシンポジウムでも、私の耳に入るのは悲観的な噂ばかりだった。噂をする人はみな、申し合せたように口ごもっていた。同業者の複雑な胸の内を物語っているようだった。
巨匠ヴェイユは、フェルマー予想をエベレストにたとえ、「頂上の100メートル手前で引き返したら登頂にはならない」と語ったし、数論の第1人者ファルティングスは、「ワイルズほどの数学者が修復にこれほど手間取るということは、修復不能ということだろう」と言った。
夏になっても2人の仕事に進展はなかった。8年のあいだ頑張ってきたワイルズも、ついに敗北宣言が脳裏に浮かぶようになった。前年の8月以来1年間、世界中の数学者が好奇の目で見る中で頑張るという、ストレスに耐え切れなくなったのだろう。テイラーは弱音を吐くワイルズに「9月末まであと1ヵ月だけ頑張ってみましょう」と言った。ケンブリッジ大学の新学期は10月だから、自分が帰国するぎりぎりまで頑張ろうと言ったのである。
1994年9月19日、月曜日の朝だった。ワイルズは欠陥のある第3章、コリヴァギン=フラッパ法に関する章であるが、それがなぜうまく行かなかったのか、せめてもの慰めにと敗因を調べていた。
「突然、まったく不意に信じがたい閃きに打たれました。コリヴァギン=フラッパ法だけでは駄目だが、岩澤理論と合わせるとうまくいくことに気づいたのです」
岩澤理論とは岩澤健吉の作りだした代数的整数論の美しい理論である。この穏やかな独創的数学者は、年齢から言えば谷山や志村の師となるべき人であったが、戦後まもなく頭脳流出したため、1955年の懐疑にはアメリカ側の1員として参加していた。ワイルズは一度この岩澤理論を用いようとしたのだが、うまくいかないと見てあきらめていたのである。
BBCテレビ特別番組でワイルズは閃きの瞬間についてこう語っている。
「形容できない、美しい瞬間でした。とても単純でとても優雅で。なぜそれまでに気づかなかったのか自分でも分からず、20分間ほどじっと見つめていました。それから数学教室を歩き回っては机に戻るということをくり返し、アイデアがそこにまだあることを確かめていました。とても興奮していました」
そしてしばらく何かを思い出すように沈黙してから、
「あれほどのことはもう2度とないでしょう。私の生涯に」
こう言うとワイルズは突然絶句し横を向くと、カメラをさえぎるように右手を振った。
     ・
ワイルズにとっても、長年の努力が水泡に帰し、数学者としての生命が絶たれる恐怖と隣り合わせの8年間だったのである。胸を打つ勇気である。私ははじめて彼の快挙を納得したような気がした。解決したのがワイルズであってよかった、とさえ思った。
数学は人間精神の栄光のためにある、という大数学者ヤコービの言葉を久しぶりに思った。

                                                            • -

アンドリュー・ワイルズ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%BA++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=aR_VS5mYDMqGkAWlsMmNDA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CA8QsAQwAA