じじぃの「人の生きざま_24_N・アームストロング」

アポロ11号のアームストロング船長が死去 米宇宙飛行士、初の月面着陸 2012/08/26  47NEWS
1969年、人類初の月面着陸に成功した米宇宙船アポロ11号ニール・アームストロング船長が25日、死去した。82歳だった。家族がメディアに明らかにした。心臓のバイパス手術後、合併症を患っていたという。
オバマ大統領は「深く悲しんでいる」と悼んだ上で「決して忘れられることのない人類の偉業を達成した」とする声明を発表。アームストロング氏の精神は「未知なるものの探求に身をささげた全ての人々の心に生き続ける」とたたえた。
http://www.47news.jp/47topics/e/233900.php
ニール・アームストロング - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0/1610/
As You Remember It: The Launch of APOLLO 11 動画 YouTube
http://video.google.com/videoplay?docid=5722827024646179220#
Neil Alden Armstrong and Mission Control First Moon Landing 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=IvqWXTiqQKk
アポロ11号 月着陸 実況中継1 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MXQXBc8SeT4
NHKアーカイブス「シリーズ わたしが選ぶあの番組(1)立花隆さん」 2010年11月7日
【出演】ジャーナリスト 立花隆 【司会】桜井洋子
著名人がNHKアーカイブスの中から選んだ1本の番組を語るシリーズの1回目はジャーナリストの立花隆さん(70)。
立花さんが雑誌などの活字メディアを中心にフリージャーナリストの活動を始めたころ、NHKが衛星中継を交えて12時間以上にわたって放送した特別番組「アポロ11号月着陸」と「月に立つ宇宙飛行士」を職場の仲間とともに見た。そのとき、立花さんはアームストロング船長が月面に人類初の一歩を記した姿を38万キロ離れた場所からリアルタイムに伝えた“テレビの力”に大きな衝撃を受けた。テレビの持つ“同時性”と“速報性”を痛感したのである。その後、安田講堂事件(1969)、よど号ハイジャック事件(1970)、浅間山荘事件(1972)などの事件報道を見て、ジャーナリズムの主役の座が新聞・雑誌などの活字から、テレビの映像に移っていくのを感じたという。
NHKアーカイブスでは立花さんのジャーナリスト活動に大きなインパクトを与えた「アポロ11号月着陸」や様々な「事件報道」の番組を見ながら、“映像の力”がジャーナリズムに果たした意義を聞く。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2010/101107.html
ニール・アームストロング ウィキペディアWikipedia)より
ニール・アルデン・アームストロング(Neil Alden Armstrong, 1930年8月5日 - )は、アメリカ合衆国の海軍飛行士、テスト・パイロット、宇宙飛行士、大学教授である。人類で初めて月面に降り立った。
最初の宇宙飛行は1966年のジェミニ8号で、ニールは機長を務め、デヴィッド・スコット操縦士とともにアメリカ初の有人宇宙船でのドッキングを行なった。2回目の宇宙飛行は1969年7月16日に発射されたアポロ11号で、この時も機長を務め、バズ・オルドリン飛行士とともに2時間半にわたって月面を探索した。司令船操縦士のマイケル・コリンズは、その間軌道上を周回していた。合衆国名誉宇宙飛行士勲章を受賞。
國弘正雄 ウィキペディアWikipedia)より
國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、政治家(元日本社会党参議院議員)。
【概要】
英語の同時通訳の草分け的な存在。アポロ11号の月面着陸を伝えるテレビ中継番組における同時通訳(1969年)などで有名になり、「同時通訳の神様」「日本のライシャワー」その他の異名をとった。のちに政界に転身。

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『ビジュアルでよくわかる宇宙の秘密』 中川人司/監修 クリエイティブ・スイート/編著 PHP文庫 2009年発行
人類が、月に降り立った−アポロ計画の秘密①−
「私は、60年代のうちにわが国が、人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標を達成することを約束する」
1961年、ケネディ米大統領のこの言葉によって、月へ人間を送り込むという計画がアメリカで本格的に動き出しました。「アポロ計画」です。これは、絶対に旧ソ連に負けられない国歌の威信をかけた戦いでした。40万人が雇われ、2万人以上の企業や大学が協力し、240億ドルという、巨額の予算が投入されました。
まず、膨大な議論の末に月面到達の方法が決定。司令船と月着陸船からなる宇宙船を月周回軌道に入れて、月着陸船だけを切り離して月面に着陸させる。その後、月周回軌道で待つ司令船とドッキングして地球へ帰還するという方法です。乗り込む宇宙飛行士は3人。
計画は少しずつ段階を積み上げていく形で進められ、アポロ6号までは無人の飛行で、7号から有人に。もちろん、そのすべてが順調に進んだわけではありません。67年1月に、アポロ1号が訓練中に火災に遭い、3人の宇宙飛行士が船内で死亡するという非劇に見舞われたのです。宇宙船内で発生した火花が何かに引火、それが内部を満たしていた純酸素によって一気に広がりました。しかもハッチが内部に向かって開く設計だったので、高圧となった内部からは開けることができずに、3人とも窒息死したのです。
この事故によって計画は1年ほど遅れたものの、宇宙船は大幅に改良され、多くの問題点も洗い出されました。その悲劇の教訓をしっかりと生かしつつ、8号で人類初の有人周回飛行を達成。そして、ついに1969年7月20日アポロ11号の月着陸船イーグルに乗ったふたりの人間が、人類史上初めて、月面に降り立ったのです。
「これは、ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」
人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロング宇宙飛行士のその言葉は歴史に刻まれることになりました。

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