じじぃの「人の死にざま_211_ジョン・フォード」

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The Sun Shines Bright 1953 John Ford YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VW-V6tyyp4o
ジョン・フォード ウィキペディアWikipedia) より
ジョン・フォードは、1930年代 - 1960年代を代表するアメリカ合衆国の映画監督。本名ジョン・マーティン・フィーニーだが後年しばしば本名のゲール語形であるショーン・アロイシャス・オフィーニーあるいはオファーナを名乗った。1923年からジョン・フォードと名乗る。アメリカのメイン州出身。
西部劇や自身のアイデンティティであるアイリッシュを好んで描き、詩情豊かな映像の詩人と評された。
【人物・生涯】
1930年代にはシリアスなドラマにも取り組み、1935年にアイルランド独立運動に命を賭けた男たちを描いた『男の敵』を皮切りに、1939年にはヘンリー・フォンダを起用した『モホークの太鼓』と『若き日のリンカーン』を次々に発表。
そして同年、西部劇の金字塔『駅馬車』は、低予算映画ながらスピーディーなアクション・シーンと馬車に乗り合わせた登場人物たちの群像劇が見事に観客の心を掴んで大ヒットを記録。オーソン・ウェルズは『市民ケーン』を撮る際に、映写室で『駅馬車』を繰り返し観て映画を勉強したという。『駅馬車』の日本での公開当時、当時日本で配給を担当したユナイテッド・アーチスツ社に勤務していた淀川長治が宣伝を担当し、当氏は38回も観賞したという。
駅馬車』までしばらく西部劇のジャンルから距離をとっていたフォードだったが、本作で屋外ロケを行ったユタ州のモニュメント・ヴァレーは、フォードのお気に入りの撮影場所となり、以降、フォード西部劇のおなじみの風景となった。
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その作品は、黒澤明ジャン=リュック・ゴダールリンゼイ・アンダーソンヴィクトル・エリセなど世界の映画関係者に数多くの影響を与えている。
アイルランド系であることに強いこだわりを持っていた。ジョン・ウェインをはじめ彼が好んで起用した役者の多くはアイルランド系である。

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『ハリウッドの嘘―驚嘆!アメリカ映画のエラー120』 木谷高康/著 講談社 1995年発行
自動車以前の時代に残るくっきりしたタイヤ跡ーー駅馬車 (一部抜粋しています)
生前、多くのフアンからデュークという愛称で呼ばれていたジョン・ウェインをスターダムに押し上げたのが、古典的西部劇の名作『駅馬車』。
9人の乗客を乗せた駅馬車アリゾナからニューメキシコまでをひた走る。乗客はアル中の医者や脱獄囚、公金を横領した銀行家など、ひとくせもふたくせもある連中ばかり。その上、御者(ぎょしゃ)は小心者という最悪のシチュエーションである。
物語は乗客のさまざまなエピソードを盛り込みながら、インディアンの襲撃から脱獄囚キッド(ジョン・ウェイン)と3人の無法者との対決までを、息もつかせぬ勢いで描いている。だが。巨匠ジョン・フォードは、演出に力を入れすぎたためか、自分が駅馬車の前後を自動車に乗って走行していることをポッカリと忘れてしまったようだ。
設定が19世紀の西部開拓時代であるにもかかわらず、アリゾナの砂漠地帯を突っ走る駅馬車の後方には、20世紀になってから登場する自動車のタイヤ跡がくっきりと残っているのだ。
確かに空気入りのタイヤは、英国人獣医のJ・B・ダンロップにより1896年には世に出されているが、それは自転車用のもの。自動車用として量産化されるようになるのは、1900年のことである。
さすがの大巨匠も駅馬車の上に乗っている人ばかりが気になって"下"には目がいかなかったとみえる。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ジョン・フォード (1894-1973) 79歳で死亡。
西部劇のジョン・フォードは、1973年8月31日、ガンのためカリフォルニア州パーム・デザートの自邸で死去した。
彼はなお数作の映画を準備ないし構想中であった。が、アメリカの世界の「騎兵隊」たる地位がゆらぎはじめた60年代以降、彼の西部劇も生彩を失っていた。
しかし9月5日に行われた葬儀には、ジョン・ウェイン、ジェームス・スチュアート、ヘンリー・フォンダチャールトン・ヘストンら彼の西部劇に登場した名優たち、ウィリアム・ワイラーヘンリー・ハサウェイフランク・キャプラらの名監督がキラ星のごとく集まり、ハリウッドでもめったに見られない盛大な葬儀であった。埋葬にあたっては海軍儀仗兵が礼砲を発射し、消燈ラッパが吹奏された。

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