じじぃの「人の死にざま_205_S・クラーク」

ウィリアム・スミス・クラーク - あのひと検索 SPYSEE
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北大のシンボル クラーク博士 HOKUDAI Only One! No.1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=XosLanOT72w
Boys, be ambitious 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/f/fd/Hitsujigaoka_boys_be.jpg
歴史秘話ヒストリア 「少年よ 大志を抱け! 〜クラークと教え子たちの北海道物語〜」 2013年10月30日 NHK
【キャスター】渡邊あゆみ
●時計台 愛と別れのメッセージ
クラーク帰国の日が迫る中、西南戦争が始まります。生徒たちに生きのびる術を身につけて欲しいと、クラークは軍事訓練施設の建設をすすめました。それが現在、観光名所となった「札幌市時計台」。そして、生徒たちとの別れの場面で口にしたのが「少年よ大志を抱け」でした。この言葉には、実は続きが…?
 ⇒ Boys, be ambitious like this old man
 この老人(私)のように、少年よ、大志をいだけ
と言ったのが正しい。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/182.html
ウィリアム・スミス・クラーク ウィキペディアWikipedia)より
ウィリアム・スミス・クラーク札幌農学校 (現北海道大学) 初代教頭。いわゆるお雇い外国人のひとりである。 専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えた。この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をした。
【少年よ、大志をいだけ】
彼の言葉、‘Boys Be Ambitious’(少年よ、大志をいだけ) は、よく知られている。これは、札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松(現在の北広島市島松)でクラークが発したものとされている。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
クラーク博士 (1826-1886) 60歳で死亡。
ウィリアム・スミス・クラークアメリカ、マサチューセッツ州州立農科大学の学長。明治9年50歳のとき日本政府の招聘(しょうへい)によって来日、札幌農学校で8ヵ月教え、「ボーイズ・ビイ・アンビシャス」の一言を残して去った。
ただし、この言葉は後年に至って誤解的に聖化され過ぎたきらいがある。
帰国後彼は海上大学設立に失敗し、資金調達のため鉱山に手を出して破産し、その心労は心臓を痛めつけ、明治19年3月9日、貧窮のどん底で世を去った。臨終をみとった牧師に向い、彼は「わが生涯での慰めは日本のサッポロにいた8ヵ月だけです」といったといわれる。
山師という悪評のため、葬儀もひそかに行われた。ただ1人、当時アメリカに留学していた札幌農学校出身の内村鑑三が――彼が農学校に入ったのはクラークの去ったあとであったが――土地の新聞にクラーク弁護の一文を投書したところ、クラークのためにひどい迷惑をこうむった人々から非難が集中して、内村は四苦八苦した。

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クラーク博士と新渡戸稲造 アンティークマン
http://blog.goo.ne.jp/osamutoyoda/e/5af22bb98ef756c0b9975e826b80b92f