じじぃの「人の死にざま_192_サーンス」

カミーユ・サン=サーンス - あのひと検索 SPYSEE
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C. Munch Conducts Saint-Saens Symphony No. 3 'Organ' 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ic8-5XvpHhc
カミーユ・サン=サーンス フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835年10月9日-1921年12月16日)は、フランスの作曲家、オルガニスト、ピアニスト。現在では、組曲『動物の謝肉祭』、交響曲第3番『オルガン付き』、交響詩『死の舞踏』などが特に有名。その作風は折衷的、あるいは穏健かつ知的といわれる。
【ヴァイオリンと管弦楽のための作品】
・序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28(1863年

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『クラシックのおすすめ―いい音楽との出会い』 黒田恭一/著 音楽之友社 1999年発行
サン=サーンスの≪序奏とロンド・カプリチオーソは音楽の世界を旅しはじめた幼いききての出会った名曲のひとつだった≫ (一部抜粋しています)
19世紀フランスの作曲家カミーユ・サン=サンースが25歳のときに作曲したヴァイオリンとオーケストラのための作品に≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫がある。スペインの名ヴァイオリニスト、パブロ・サラサーテのために作曲された作品だけに、技巧のこらされた華麗な作品である。
ぼくが≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫という素敵な作品があることを知ったのは映画『かれらに音楽を』(アーチ・メイヨ監督作品)によってである。この名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツが実名で出演していた映画は1939年に製作されているが、日本で公開されたのは1951年になってからである。ぼくは中学生のときにこの映画を見た。『かれらに音楽を』では≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫以外にもさまざまな作品がハイフェッツによって演奏されていた。しかし、ぼくはそこではじめてきいた≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫に夢中になってしまった。
この作品の≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫という、いかにも専門的な感じのすることばを連ねたタイトルもまた、生意気ざかりの中学生の好みに合致したにちがいなかった。ようやくのことで≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫のハイフェッツがバルビローリの指揮するロンドン・フィルハーモニーと共演したSP盤を買ってもらえたのは、たぶん、映画を見てから半年ほどたってからだった。
ごく短いオーケストラのまえぶれがあった後に、ヴァイオリンが憂いをおびたメロディをうたいだす。きくたびに、そこのところでは思わず息をのんだ。ああ、なんてきれいなんだろう、世の中にこんな美しい音楽があっていいのだろうか! クラシック音楽をきく楽しさに目覚めたばかりの中学生は、≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫のレコードをかけては、そう思って溜息をつかずにはいられなかった。やがて、音楽は次第に熱気をおびていって、オーケストラがリズムをきざむようになると、ヴァイオリンは颯爽と華麗な音楽をうたいはじめる。それ以前の部分が「序奏」で、そこから後の部分が「ロンド・カプリチオーソ(気まぐれなロンド)」だということを知ったのは、もう少し後になってからである。
ぼくの両親は、ふたりとも音楽好きだったが、音楽についての専門知識の持ちあわせがあったわけではなかった。周囲にも音楽教育をうけた人間はいなかった。
来客があるたびにぼくは応接間によばれ、親父に命じされて、あれこれレコードをかけさせられた。体のいいレコード係である。おそらく、ぼくがくりかえしきいているのを耳にして好きになったのだと思われるが、親父は、そういうとき、しばしば、「おい、あの序奏なんとかという曲をかけてみろ」と、ぼくにいった。あのような名曲をつかまえて、「序奏なんとかとは、なにごとか、教養のない親父にも困ったものだ」とニキビ面の中学生はむっとしながらも、ハイフェッツのひく≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫のレコードをとりだし、丁寧に盤面をぬぐってからかけた。
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「あの、序奏なんとか」としかいえなかった親父もすでにいない。しかし、できることなら、1度、当時に較べれば信じられないほどいい音できけるコンパクトディスクでこの曲を親父にきかせたかったな、と考えたりもする。頑固一徹だけがとりえの明治男の親父であったから、素直に、いい音だな、とはいってくれなかったとは思うが、まあ、それはそれでいい。
ぼくがクラシック音楽を好きになりはじめたころ、親父は、ぼくが音楽のことについてなにかいうたびに、しつこく、知ったかぶりをするな、と強い口調でいった。ぼくは知ったかぶりをしているつもりなどまるでなかったが、当時のぼくはほんの少し背伸びしたことをいいたい年頃だった。しかし、親父は、それを許さなかった。すでに自分でも親父の死んだ年齢に都会年齢になってみると、いかに親父でも、≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫という曲のタイトル程度はいえなかったわけでもないのに、この曲についていうときにいつも、「あの、序奏なんとか」といいつづけたのは明治男ならではの照れだとわかってきた。さらに、あのときの親父には、さらりと、しかもいくぶん得意げに≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫と口にする中学生のぼくをいましめたいと思う気持ちもあったにちがいなかった。
ぼくは、クラシック音楽をきいていて、いつも、ああ、なんてきれいなんだろう、世の中にこんなに美しい音楽があっていいのだろうか! と思いつづけてきた。1歩すすめば、かならず、宝の山にぶつかり、素晴らしい演奏家に出会えた。サン=サーンスの≪序奏とロンド・カプリチオーソ≫は、音楽の世界を旅しはじめた。そのはじめの頃に出会った名曲であった。
オーケストラの、ごく短い、思いをうちに秘めたような前ぶれがあって後、ヴァイオリンがなにかいいよどんでいるような口調で憂いをおびたメロディをうたいだすのをきくと、ぼくは、手さぐりしながら人生をはじめようとしていた遠い日のあれこれが一気に記憶の底からよみがえり、柄にもなく胸がときめいてくる。

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