じじぃの「人の死にざま_177_マ・ポーロ」

アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-tFBBxxcvtg&feature=player_embedded
『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
2つの旅行記
13世紀から14世紀にかけて、2人の大旅行家が現れた。モンゴル時代のアジアを通ってヴェネチアから中国へ旅したマルコ・ポーロとモロッコのアラブ人イブン・バットゥータである。イブン・バットゥータ西アジア、アフリカ東部、中央アジアと巡り、インドで10年を過ごしたのちに、海路中国を訪れた。中国からの帰国ののちも、スペインへ出かけたり、サハラ砂漠を越えて二ジュール川中流の町トンブクトゥへ旅している。マルコ・ポーロの『東方見聞録』と並び称される彼の旅行記『都会の珍奇さと旅路の異聞に興味を持つ人々への贈り物』は、アラビア文学中の白眉(はくび)とされている。
マルコ・ポーロの、中国からの帰国も船であったが、当時の西アジアと中国との海上貿易の盛んな有り様が、2人の旅行記からよく分かる。1405年の明の提督鄭和による大遠征も、こうした中国の海上貿易の延長線上の出来事であった。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
マルコ・ポーロ (1254-1324) 70歳で死亡。
1271年すなわち日本の文永8年、17歳のとき故郷ヴェネチアから、父と伯父に連れられて、商売のために−−というにはあまりにも冒険的な野心に憑(つ)かれて、陸路東方へ旅立ったマルコ・ポーロは、その果てに蒙古帝国の王フビライ汗(かん)に仕える羽目になり、やっと機を得て帰国することが出来たのは、24年後の1295年のことであった。
その翌年彼はジェノヴァとも戦争にかり出され、捕虜となったが、ジェノヴァの牢獄の中で、自分の冒険の回想記『東方見聞録』を口述筆記した。彼は自分の中国滞在中に起こった1821年の日本への再侵攻とその失敗(弘安の役)についても書きとどめている。
1299年釈放され、ヴェネチアに帰って再び貿易の仕事にたずさわったが、1324年、病気のために死んだ。
かれは「ほらふきマルコ」と呼ばれたが、黄金の国ジバングの記述はヨーロッパの大探検時代を呼び起し、やがてコロンブスアメリカ大陸発見の結果をもたらした。

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マルコポーロの冒険・世界に与えた影響
http://www2u.biglobe.ne.jp/~KA-ZU/maruco_1.html