じじぃの「介護生活3日め」

【いちばんやさしい!】 『日本の仏教がわかる本』 一校舎社会研究会 永岡書店 (一部抜粋しています)
娑婆(しゃば)
刑務所から出所するなり、「シャバの空気はうめえや!」というせりふを吐くテレビドラマの場面がある。つまり、娑婆は、自由を束縛されている刑務所などとはちがって、その外の自由をしばられない世界、もっとくだけていうと、自由気ままな俗世間を意味する。
しかし、娑婆とはインドの言葉の「サーハ」に由来するもので、耐え忍ぶ地という意味である。現実は苦しみや悩みが満ちている俗世間のことをいう。であるから、娑婆は、本来、自由な世界のことではないのである。
阿吽(あうん)
「ぼくらはあうんの呼吸だ」と言い、二人の息がぴったり合っていることを表す。しかし、ほんらいは物事の始めと終わりを表す言葉である。インドの文字である梵語の初めは、「あ」といって口を大きく開いて発音する言葉で、これが「阿」と訳され、一番最後にある「ふーん」と口を閉じて発音する言葉が「吽」と訳されたことに由来する。私たちが使っている日本語の「あいうえお」で始まる五十音は、この梵語の配列を参考にして考え、整理されたものといわれている。ちなみに、社寺の門前の狛犬や、山門の仁王様は、一方が口を開いて「ア」と、他方は口を閉じて「ウン」と阿吽の姿をしている。
諦め(あきらめ)
「あきらめの悪いやつだ」のように使っている。物事に対して、それ以上の努力を断念する、という消極的な意味で用いられている。
釈迦は、悟りを開いた後の初めての説法で、「四諦」について説いている。諦とは「まこと」とか「真理」という意味で、動詞として読むときには「あきらめる」で、その意味は、「明らかに真実を見る」である。釈迦は、その悟りの内容を、苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つの心理に分けて教え、それを見ることによって、真理を知ることができると説いた。したがって、諦という語は、現在のように消極的な用い方ではなく、真理を悟るという強いはたらきをもつ語である。
三昧(さんまい)
読書三昧やゴルフ三昧のように、一つのことに没頭して楽しむことを「・・・三昧」とよんでいる。三昧は、インドの言葉の「サマーディ」を音訳した語で、精神を一つのことに集中して乱さないことをいい、仏教修行にかかせないものである。三昧は、精神集中という意味で一般に使われる言葉になったと考えられる。
あばた
「あばたもえくぼ」、男性諸君ならば、わが身に必ずや思い当たることであろう。愛する人であれば、みにくいあばたも、えくぼのような魅力に見えてしまうということであろう。
あばたーーこれはインドの言葉のアルブダが語源で、腫れ物とか水疱などを表す。仏教で説く八寒地獄の一つに、阿浮陀地獄があり、口の四悪業を犯した者、たとえば嘘をついたり、悪口を言ったり、聖者を軽蔑する言葉を吐いたりした者が落ちる地獄である。この地獄に落ちると、極寒にさらされるため、身体中に腫物ができ、そのために、大変苦しむといわれている。現代ではこの阿浮陀が「あばた」となり、天然痘などのあとの痕跡の意味として用いられるようになった。幸い、天然痘はいったん撲滅されたが、あばたがえくぼに見える男心は、衰えていない。
【コラム2】食とブッダ
ブッダの生まれたインドの料理いえばカレー。カレーの由来にブッダがかかわっていることをご存じだろうか。
王子シッダールダの頃である。山にこもって修行していたが、場所がら食べ物が少なく、木の実、草の根や葉を食べてしのいでいた。修行が終わってカレーという地に下山したシッダールダは、山で摘んだスパイスを取り出して民衆に与えた。人々は、香りがよく、病を治し、活力を回復させるそのスパイスに感謝し、これを不老長寿の霊薬としって重宝氏し、土地の名にちなんでカレーと名づけたという (異説もある)。

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どうでもいい、じじぃの日記。
うちのばばぁ(女房)が東金の病院に入院して3日目である。
朝、電話で、鎌倉のおばから「あんたは、今まで随分、aさんにお世話になってきてんだから、今度は、恩返しする番だよ」と言われる。
何もできないが、ずっと、ばばぁに付き添ってやることにした。
ベットの端に座り、【いちばんやさしい!】 『日本の仏教がわかる本』を読んだ。
「娑婆(しゃば)」の本来の意味は「耐え忍ぶ地」だそうだ。
「阿吽(あうん)」の本来の意味は「物事の始めと終わり」だそうだ。
「諦め(あきらめ)」の本来の意味は「真理を悟る」だそうだ。
「三昧(さんまい)」の本来の意味は「精神集中」だそうだ。
「あばた」の本来の意味は「身体中に腫物ができる」だそうだ。
あふぅ〜ん。
本の中の問題⑥より
③「そこのXX、寄っていかない」と声をかける場面がある。もともとは真心をもって布施するひとのことをさす、この言葉は何んだ。
XX -- インドの言葉で布施という意味の「ダーナ」を訳したもので、財施をする家をX家とよんでいる。(漢字2文字でやんす)
続きは、又明日書こう。