K-1 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
名称の由来
Kは「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技、あるいは「格闘技」そのものの頭文字を意味する。K-1と言う名前は、創始者であり当時正道会館館長、株式会社ケイワン社長の石井和義が新日本プロレスのG1 CLIMAXに感動し、それにあやかって付けられたとされるが、当時大人気だったフジテレビのF-1中継に対し、車の最高峰がF-1なら空手(格闘技)の最高峰でK-1にしよう、と谷川貞治(現K-1プロデューサー)の提案が通ったという説もある。いずれにせよ、空手、キックボクシング、カンフーなどの打撃系格闘技を統合して最強の格闘者を決めるショーを行うというのが設立のコンセプトである。
K-1 WORLD GPシリーズ優勝者
1回 1993年 ブランコ・シカティック(クロアチア)
2回 1994年 ピーター・アーツ(オランダ)
3回 1995年 ピーター・アーツ(オランダ)
4回 1996年 アンディ・フグ(スイス)
5回 1997年 アーネスト・ホースト(オランダ)
6回 1998年 ピーター・アーツ(オランダ)
7回 1999年 アーネスト・ホースト(オランダ)
8回 2000年 アーネスト・ホースト(オランダ)
9回 2001年 マーク・ハント(ニュージーランド)
10回 2002年 アーネスト・ホースト(オランダ)
11回 2003年 レミー・ボンヤスキー(オランダ)
12回 2004年 レミー・ボンヤスキー(オランダ)
13回 2005年 セーム・シュルト(オランダ)
14回 2006年 セーム・シュルト(オランダ)
15回 2007年 セーム・シュルト(オランダ)
16回 2008年 レミー・ボンヤスキー(オランダ)
K-1 WORLD MAXシリーズ優勝者
1回 2002年 アルバート・クラウス(オランダ)
2回 2003年 魔裟斗(日本)
3回 2004年 ブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)
4回 2005年 アンディ・サワー(オランダ)
5回 2006年 ブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)
6回 2007年 アンディ・サワー(オランダ)
7回 2008年 魔裟斗(日本)
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どうでもいい、じじぃの日記。
じじぃが子どもの頃、力道山の全盛期だった。力道山がルー・テーズ、フレッド・ブラッシー等をバッタ、バッタ倒していた時代だった。
その時代で過ごしてきたためか、格闘技は好きでずっと見ている。
去年の9月27日、セーム・シュルト対ピーター・アーツの戦いで、じじぃのピーター・アーツが勝った。
「K−1 WORLD GP 2008」で、そのピーター・アーツ対バダ・ハリの戦いで、若造のバダ・ハリが勝った。
決勝戦のバダ・ハリ対レミー・ボンヤスキーの戦いで、若造のバダ・ハリはレミー・ボンヤスキーに負けた。1ラウンドにダウンをしたバダ・ハリが逆上し、2ラウンドにうずくまっているレミー・ボンヤスキーになぐりかかったのだった。負けたとはいえ、反則で負けたので、バダ・ハリが弱くて負けたというわけではなかった。
大晦日の『Dynamite!!』で総合格闘技のアリスター・オーフレイム対バダ・ハリの戦いがあった。
何と、K-1ルールでやったのに、バダ・ハリが1ラウンドで簡単にKOされてしまった。
K−1の試合はほとんど見ている。
K−1の歴代優勝者の中のピーター・アーツ、レミー・ボンヤスキーと対等に戦ったバダ・ハリが簡単に負けてしまった。アリスター・オーフレイムとは何者なんだ。K−1はそんなレベルだったのか。
そんな中で、昨日(3月28日)、フジテレビで「K−1 WORLD GP開幕戦」を見た。
アリスター・オーフレイム対レミー・ボンヤスキーの戦いで、レミー・ボンヤスキーが勝った。
K−1の強さが証明された試合だった。何かホッとした。
ピーター・アーツ対エロール・ジマーマンの戦いで、じじぃのピーター・アーツが勝った。
ピーター・アーツ 1970年生まれ、38歳。我ら、じじぃの星だ。
こんな事、書かれてピーター・アーツもビックリだろうな。(^^;