じじぃの「オバマのことば」雑感

『日本にオバマは生まれるか』 横江公美著 PHP新書 (一部抜粋しています)
サウス・サイド出身のミシェル・オバマ夫人は、バラク・オバマアイデンティティを体現する存在である。ミシェル夫人と家庭を築いたことで、オバマは自分探しの旅にひと区切りついたのではないか。
オバマにとって、近い肉親は、いまや父親違いの妹マヤしかいない。彼の家族は、良い意味では多様性に富むが、反面、若いオバマにとっては、アイデンティティに対する悩みの種でもある。高校生のころは、そのことに悩んでいた、と当時を振り返る。
一方、南部の黒人奴隷を祖先に持ち、サウス・サイドに移住してきたミシェルの家族は、アフリカ系アメリカ人の歴史そのものである。しかも、家族仲が良いミシェル家は、オバマが探し求めていたものであった。ミシェルは、水道局で働く夫とカタログショッの秘書として働いていた母のもと、兄とともに育った。ミシェルが「私はアメリカン・ドリームを信じている」と語るように、等身大の人生の中で、最大に努力し、彼女自身が目指す人生を手に入れてきた。
ミシェルの自信と安定は、オバマが理想として生き方である。オバマはミシェルが登場すると、一瞬、子どものような表情を見せる。誇らしげな表情を隠せない。オバマにとってミシェルは愛する妻であるとともに、人生の母なのであろう。デンバーで行われた民主党の全国党大会初日、ミシェルが基調演説を終えると、オバマが生放送で登場した時の第一声は「ミシェルは素敵でしょう」と顔面いっぱいの姿を見せた。
オバマはミシェルに出会ってから、確固たる足取りで歩き始めている。オバマ大統領誕生の陰には、ミシェルの存在が不可欠であったはずだ。
アメリカの歴史を見ると、黒人の指導者は例外なく、といっていいほど殺害されている。キング牧師もマルコムΧもしかりである。1996年の大統領選挙では、湾岸戦争の功労者であったコーリン・パウエルを大統領に推す声が多かった。当時、クリントン大統領の人気はそれほどでもなく、かつ共和党で立候補する顔ぶれも精彩を欠いていた。パウエル自身も自伝を出版するなどして立候補への色気を見せていた。そこまで環境は整っていたが、結局パウエルは、立候補しなかった。理由は妻の反対であった。夫と家族の身辺を心配しての反対だった。
オバマ夫人のミシェルとしても、妻として働く母として、夫の大統領選挙出馬を反対するのは当然であろう。オバマ夫妻には幼い二人の娘がおり、満ち足りた生活を送っている。
ミシェルは、最初は乗り気でなかったものの、心底、反対することはなかった。だだし、条件があった。選挙活動に専念することなく、毎週かならず娘と一緒にいる時間を作る家族サービスを行なうこと。それに禁煙すること−−−、これらの約束を交わして、承諾したといわれる。最近のアメリカでは、エリートの喫煙は珍しい。禁煙できないオバマは、悩み荒れていた若者時代の名残なのであろう。
条件を付けながらも、夫の出馬を認めたミシェルは芯の強い女性である。勝利宣言の時に用意された防弾ガラスが、オバマの勝利は、危険と表裏一体であることを知らしめている。普通の女性であれば、いくら夫が国のために大統領になるべきと思っても、家族の安全を先に考えてしまう。さすが、黒人初の大統領になるべくオバマが選んだ女性である。オバマの大統領への道は、ミシェルなくしては考えられない。
ミシェルは、オバマに並ぶアメリカのベスト&ブライテスト(最も聡明な人々)である。プリンストン大学を卒表し、ハーバード大学ロー・スクールに進学。卒業後は、シカゴに戻って弁護士事務所で弁護士になる。弁護士事務所では、ハーバード大学ロー・スクールの学生インターンとして入ってきたオバマの上司であった。結婚後は、弁護士を辞めてシカゴで働くようになる。最近は、シカゴ大学付属病院の管理職として、2006年度の収入は27万ドルを超える。
一方、上院議員オバマの給料は、約16万ドルだった。住まいは、ミシェルが育ったサウス・サイドである。忙しい時はミシェルの母が娘の面倒を見る。政治家、それも大統領を目指すオトコはロマンチストである。ロマンチストというと聞こえはいいが、つまりは、子どもっぽいところを残しているという意味もある。成熟した視点を持ち、成熟した人生を歩むミシェルこそが、オバマ家族の大黒柱なのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
2月22日、NHK BS 『オバマのことば』新大統領・演説の魅力徹底分析を観た。
オバマアメリカの政界で、注目されるようになったのは、2004年の民主党大会で民主党の大統領候補、ジョン・ケリーの応援演説からだった。その時から、2008年11月の米大統領選の勝利演説までの演説を収録したものの放送だった。
ゲストはタレントの天野ひろゆき熊田曜子。解説者の松尾弌之、中山俊宏。司会は三宅民夫だった。
天野ひろゆき氏はオバマの演説を集めているコレクターだ。
中山俊宏氏は民主党大会でクリントンの演説は政策の演説だったのに対して、オバマは物語を語った演説だと解説していた。
じじぃなりにオバマをちょっと分析してみた。
オバマの写真を見ると、子ども時代から学生時代まで、どこか不安げな表情をしている。
よくハーフは自分の出目がどこにあるのか、自分のルーツ探しをすると言われている。
オバマの子ども時代の宗教がイスラム教で、過ごした場所はインドネシアであったり、ハワイであったりと複雑である。
自分は何者なんだろうとずっと悩んでいたのだろう。
文藝春秋二月号、日本よ、オバマを恐れるなに「コロンビア大学を出た後、意を決してシカゴ郊外のサウスサイドに赴きます。この麻薬と売春と暴力の街こそ彼にとって約束の地だったのです。ここで肌の色の黒い者に向けられた視線を我が哀しみとすることで、自分とは何ものかという問いに決着をつけ、ようやく人生の出発点に立てたのだと告白しています」
が書かれている。
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20090121/1232498465
『日本にオバマは生まれるか』を読んだ。
この本を読んで、彼の演説が物語であるということがよく分かった。
オバマは、自分のルーツを探すという物語を米大統領選で語っていたのだ。
そのルーツ探しでミシェルに出会ったことでルーツ探しは終わったのだ。
後は、自分が信ずる信念をこの物語の中に取り込んで演説をしていたのだ。
自分の信念、それは自分のルーツにミシェルのルーツを加えて作ったものだった。
オバマは黒人とはいえ、白人の血が流れている。両親のルーツは奴隷とは関係ないエリート出身である。
ミシェルは黒人である。両親のルーツは奴隷であるが、ミシェルはオバマ以上の才能の持ち主だ。
ミシェル自身が大統領を目指してもおかしくないほどの経歴の持ち主なのだ。
何も問題が無い。
「リベラルなアメリカも保守的なアメリカもありません。あるのはアメリカ合衆国だけです。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもありません。あるのはアメリカ合衆国だけです。・・・ われわれはひとつの国民であり、誰もが星条旗に忠誠を誓い、誰もがアメリカ合衆国を守っているのです」