じじぃの「人生を考える本」

1月29日 産経新聞 『のんびりいこうよ』 赤羽みちえ著 (一部抜粋しています)
コマ1目
  趣味がヨットの夫は散骨を望んでいる。
   オレが死んだら骨は海にまいてくれ。
コマ2目 (船の上で)
  彼のおばちゃんも散骨だった。
  ちゃんとお坊さんも乗船してくれるんですよ。
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コマ7目
  両親のお墓にも入れないしツライところです。
  おまけに子供もいないし、私死んだら誰が動くの?←夫より長生きする(したい)と信じている。
コマ8目 (机の前で)
  死んだあとのことなんてどうでも・・・
  みちえのぶつぶつ ちゃんとお金と遺書を残してみんなに迷惑かかんないようにしないと。
  よくない自分がいるから困る。

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『宇宙のかけら』 竹内薫著 絵 片岡まみこ 講談社 (一部抜粋しています)
わたしの名はカロア。
おかっぱ頭で背中としっぽが黒くて、宇宙が大好きなねこです。
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あるとき、カオルがわたしの眼をみつめながら、こういったの。
「いいかい、カロア、ぼくもおまえも、いつかは死んでしまう。でも、悲しむことはないんだよ。だって、ぼくもおまえも、星のかけらでできているんだから。何十億年もまえに、とおい宇宙で、星が死んで、爆発して、そのかけらが宇宙にひろがった。長い長い時をへて、そのかけらがふたたび集まって、ぼくやおまえのからだをつくった。ぼくやおまえが死んだら、そのかけらは星のかけらにもどるんだ。みんないっちょなんだよ。だから、悲しまなくてもいいし、怖がるひつようもない」
そしてカオルは、わたしの頭をやさしくなでてくれた。
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いつか、地球のうえの生命にはおわりがくるかもしれない。
この宇宙にもおわりがくるかもしれない。
それでも、星のかけらからつくられたわたしたちが、ほんの一瞬、輝いて生きることには意味がある。
宇宙は不思議。
いのちも不思議。
いま、わたしたちは、ふたたび、星のかけらにもどる・・・・・

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『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』頼藤和寛著 文藝春秋より (一部抜粋しています)
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死ぬことがわるいことであるというのは、単に生命の側からみた論理にすぎない。
いや厳密に言うと、生命の論理にさえ死の必要性は織り込まれている。
さらに言えば、生きていることと死んでいることとの差は、われわれがうかつにも思い込んでいるほど大きくはない。
死んでしまったあとにどれほどの安楽や辛苦があるというのか。
かりにあったとすれば、いよいよ生きているあいだと違いがなくなる。何もないとすればゼロであるが、生きているあいだもプラスとマイナスで合計はゼロなのだ。

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週刊新潮連載「人間自身」の『墓碑銘』 池田晶子著 (一部抜粋しています)
墓碑銘と聞いて思い出すのは「次はお前だ」というローマの秀逸なるそれだ。
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では自分の墓碑銘は何が相応しいか。
それなら私はどうしよう。一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。ならこんなのはどうだろう。「さて死んだのは誰なのか」。楽しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。

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良寛
「しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」

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どうでもいい、じじぃの日記。
1月29日の産経新聞『のんびりいこうよ』という赤羽みちえ氏のコラムマンガが載っている。
このマンガは連載で母の介護生活をずっと綴ったものだったが、母が亡くなり、父も他界し、今は夫との2人の生活になっていることを描いている。
じじぃも環境的には同じなので、グッとくるものがあった。
このマンガで生と死を少し、考えさせられた。
そこで最近、印象に残った生と死を扱った本、その他を整理してみた。
産経新聞竹内薫の科学時事放談が毎週載っている。
『宇宙のかけら』竹内薫氏の宇宙についてのエッセイだろうと思って通信販売で購入した。
本の内容はエッセイというより童話だったが、宇宙のしくみを猫に語りかけるようにして書いている。
片岡まみこ氏のイラストがすばらしい。
『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』は直腸がんで亡くなった頼藤和寛さんの体験記だが、人生感がちりばめられていて、読んでいて感動した。
本の中に「ちくしょう、ガン細胞はまだ体内のどこかに潜んでいるようだ。」があった。達観しているようでも、病気を治そうとして手術をしているので、手術後の経過で腫瘍マーカ値が上がっていると聞いたときはショックだったろう。
じじぃもこの著者と同じ痔持ちである。お尻からの出血が痔ではなく直腸がんからだったりすることがあるらしい。
人ごととは思えない。
2001年4月、直腸がんのため53歳で亡くなった。
『墓碑銘』週刊新潮に連載されていた池田晶子さんの最終回のエッセイだ。
週刊新潮に連載されていたこともあって、ときどき池田晶子さんのエッセイは読んでいた。
以前、「自分は生と死はなにも変わらないと思っているので死ぬことはなにも怖くない」という文章を読んで不思議な人がいるもんだなぁと思っていた。
そして、最終回の『墓碑銘』。
確かにお墓に「次はお前だ」が刻まれていたらドキッとするに違いない。
見事なエッセイだった。
2007年2月、腎臓がんのため46歳で亡くなった。
良寛の名言「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候・・・」
一昔前まで人生50年だった。60まで生きた。この辺でお陀仏になってもいい歳なんだろう。