じじぃの「急性すい炎・慢性すい炎・すい液がすい臓を溶かす?健康」

【すい臓がん】本当に怖い「膵臓癌」血液検査で早期発見へ 期待高まる最新研究【医療のミカタ】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zWL1dxzHyHI

慢性すい炎の症状・原因・治療・検査法とは すい臓がんや糖尿病のリスク

2020年10月27日 NHK Eテレ
【解説】下瀬川徹(東北大学大学院教授)
慢性すい炎は、すい液がすい臓を溶かす自己消化が長い時間をかけて起こる病気です。
慢性すい炎を引き起こす主な原因はアルコールで、飲酒量が増えれば増えるほど発症しやすくなります。慢性すい炎になると、通常はすい臓が少しずつ壊れていくため完治は望めず、すい臓がんのリスクをも高めてしまいます。
●禁酒、禁煙など生活習慣の改善を
慢性すい炎と診断された場合、まずすべきことは禁酒です。というのも、飲酒は慢性すい炎の進行を早めるだけでなく腹痛の原因にもなるためです。飲酒だけでなく喫煙も悪化因子のため、禁煙も大事です。食事療法は、慢性すい炎が初期の時は腹痛をやわらげるために脂肪の多い食品を避け、後期には消化・吸収の働きが低下するため、適切なエネルギーを摂るよう心がけます。
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_645.html

【医師が解説】お酒の飲み過ぎで膵臓が溶ける? 慢性膵炎とは

2019年07月02日 lifenet
慢性膵炎という病気を知っていますか?
この病気の原因の約半分は「飲酒」といわれ、筆者が医師として出会う慢性膵炎の患者さんの多くはお酒好きであると実感しています。また、飲酒同様に喫煙も慢性膵炎に悪影響を与えることがわかっています。
●働き者の膵臓が壊れると自らを溶かしてしまう
膵臓が何らかの原因でダメージを受けてしまうと、上述の膵液が膵臓自体を溶かして傷つけます。傷ついて炎症が慢性的に続くと次第に膵臓が硬くなったり(線維化)、膵液の通り道である膵管が変形したり詰まったりします。これが「慢性膵炎」と呼ばれる状態です。つまり、膵臓が壊れると、自らの作り出す消化液の力で自らを溶かしてしまい、機能不全に陥るのです。
https://media.lifenet-seimei.co.jp/2019/07/02/17277/
どうでもいい、じじぃの日記。
私は74歳を超え、何が起きても不思議ではない年代になった。
毎月、糖尿病で近くの病院に通院している。
今月のHbA1Cの値は8.2だ。
医師の話だと、血糖値が高くなりことで起こる1番の障害は腎臓障害らしい。
ひどくなると、血液透析をしないといけなくなるとか言われた。
11月16日のテレビ欄(NHK Eテレ)に「健康選 急性すい炎 激痛! 内臓が溶ける?」が載っていた。
「慢性すい炎は、すい液がすい臓を溶かす自己消化が長い時間をかけて起こる病気です」
すい臓の主な働きは「インシュリン」を分泌することらしい。
すい炎は直接インシュリンとは関係はないが、すい臓のすい管が正常に働かなくなる病気らしい。
テレビで原因は、お酒の飲み過ぎによることが多いのだとか。
すい臓も肝臓と同じく、沈黙の臓器と呼ばれている。
まあこの歳になると、放っておいてもどこかおかしいところがあるみたいだが。

じじぃの「歴史・思想_374_物語オランダの歴史・英蘭戦争」

Michiel de Ruyter Officiele Trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Gp6RzKQX704

Michiel de Ruyter

イギリス=オランダ戦争英蘭戦争

世界史の窓
17世紀後半に展開された海上貿易の覇権をめぐるイギリスとオランダの戦争。第1次(1652~)はクロムウェルが定めた航海法にオランダが反発、第2次(1665年~)は王政復古期イギリスのチャールズ2世との海戦をオランダが優位に戦い、第3次(1672年~)はイギリスとフランスその他がに呼応してオランダを攻撃した。フランスが両国共通の敵となるにおよび英蘭の対立は解消される。
●第2次:1665~67年
王政復古後イギリスのチャールズ2世はさらに通商上の利益の独占を目指して航海法を更新すると共に、1664年には新大陸のオランダ植民地ニューネーデルラントを侵略、その中心ニューアムステルダムを占領してニューヨークと改称した。反発したオランダが宣戦布告して1665年に第2次英蘭戦争が起こった。
第1次での敗北を反省したデ=ウィットは海軍の増強(その原資は、オランダが長崎貿易で得た銀が充てられたという)、海軍提督デ=ロイテルは艦隊の訓練を重ね、今回は十分な態勢をっていた。1666年6月にはノースフォアランド岬沖で「四日海戦」と言われる激戦(17世紀最大の海戦と言われた)でオランダ海軍が大勝利を占めた。さらに、オランダ海軍は、テムズ川支流メドウェー川をさかのぼり、イギリス海軍の基地チャタムを襲撃して戦艦を焼き払い、旗艦ロイヤル・チャールズ号を奪うなどの戦果を挙げた。こののロンドンを脅かすオランダ海軍を指揮したデ=ロイテル(ライテルとも表記)は、現在でもオランダで最も人気の高い歴史上の人物となっている。
https://www.y-history.net/appendix/wh1001-056.html

『物語 オランダの歴史』

桜田美津夫/著 中公新書 2017年発行

はじめに より

2004年10月から11月にかけて、オランダで放送された「最も偉大なオランダ人」(De Grootste Netherlander)と題するテレビ・シリーズの最終回で、数十万人の視聴者の投票をもとに最終的に選び出されたオランダ史上の偉人ベストテンは以下のようなものであった。
①ピム・フォルタイン
②オランイェ公ウィレム
③ウィレム・ドレース
④アントニ・ファン・レーウェンフック
⑤デシデリウス・エラスムス
ヨハン・クライフ

⑦ミヒール・デ・ライテル

アンネ・フランク
レンブラント・ファン・レイン
フィンセント・ファン・ゴッホ
    ・
前者に含まれるのが、オランダ人気質を語る際必ず引き合いに出される人文主義エラスムス独立戦争の指導者オランイェ公、17世紀の海軍提督デ・ライテル、微生物研究者のファン・レーウェンフック、そして多芸多才の画家レンブラントである。

英仏との戦争、国制の変換――17世紀後半から19世紀初頭 より

第1次英蘭戦争

オランダの経済的繁栄を羨(うらや)むイングランド商人たちは、内乱下では経済的ライバルに挑戦する余力はなかった。しかし議会派勝利後の1651年、保護主義的な「航海法」によって、イングランド議会はオランダに真正面から挑戦してくる。航海法は、イングランドおよびその植民地に搬入される商品の運搬をイングランド船や、その産出国ないし最初の積出国の船に限定しようとするもので、明らかにオランダの海運業に打撃を与えることを狙っていた。
この航海法が導火線になり、翌1652年も第1次英蘭戦争勃発する。かねてからイングランド側は国の周りの海域に対する主権を主張し、そこでイングランド船に遭(あ)ったときには旗を降ろして敬意を示せと高飛車に要求していた。5月29日、ドーヴァーで、商船を護送中のマールテン・トロンプ率いるオランダ艦隊と、ロバート・ブレーク指揮下のイングランド艦隊が遭遇し、前者が後者の要求に応じず、最初の砲火の応酬がなされた。
準備不足だったオランダ側は2年間の戦いで多数の船舶を失い、外国私拿捕船の掃討で功があったヨハン・ファン・ハーレンや、1639年のダウンズ海戦でスペイン艦隊を撃退した前述のトロンプといった優れた艦隊指揮官をも失う。
王政打倒後のイングランドで1653年に護国卿となったクロムウェルは、もともと、自身が軍事遠征中で不在だったときに議会が決めたこの戦争に対して、ヨーロッパのプロテスタント陣営の結束を乱すばかりか戦費もかさむという理由で批判的であった。彼の意向が反映されて、1654年、英蘭両国はウェストミンスター条約を結んだ。その時点ではオランダ側が劣勢だったので、デ・ウィット(オランダの政治家)は多くの譲歩を強いられた。そのなかには、ホラント州議会はオランイェ公を2度と州総督に任命しないという秘密条約も含まれていた。

第2次英蘭戦争での勝利

イングランド」ではその後、王政が復活してチャールズ2世が即位する。その治世のもとで、1665年、またもや商業上の覇権をめぐる争いとして第2次英蘭戦争が発生する。第1次英蘭戦争終結から11年後である。
デ・ウィットは、フランスとの同盟、およびオランダ史上最も偉大な海の英雄ミヒール・デ・ライテル(1607~76)との緊密な協力などにより、序盤の劣勢を立て直し、オランダを優勢へと導く。転機になったのが、第1にノース・フォアランド岬沖で戦われた「四日間海戦」(1666年6月11~14日)。第2にデ・ウィットの発案に基づき、オランダ艦隊がテムズ川をさかのぼり、支流のメドウェー川にあるチャタムの英海軍基地を襲撃して多数の艦船を焼き払うとともに旗艦ロイヤル・チャールズを奪い去った「チャタム進撃」(67年6月19~24日)であった。

2015年に公開されたオランダ映画『ミヒール・デ・ライテル』(邦題『提督の艦隊』は、これらの海戦を含む英蘭の長期の戦いを雄大なスケールで描いている。

デ・ウィットは第1次英蘭戦争の敗因に学んで、すでに海軍重視の軍備増強を進めていた。
オランダ海軍は、1597年以降、5つの「アドミラリテイト」(海事支庁)によって維持されていた。所在地は、①ロッテルダム(マース川方面)、②アムステルダム、③ミッデルブルヒュ(ゼーラント州)、④ドックムのちハルリンゲン(フリスラント州)、⑤ホールンまたはエンクハイゼン(ホラント州北部、交替制)であった。
各海事支庁は7名の委員で構成され、うち4名は管轄区域のレヘント層であった。1648年以降、7名のうち数名が定期的にハーグに赴き、他の海事支庁と協議を行った。海戦の方針を決めるのは全国議会であり、全国議会の代表団は戦場にも立ち会った。
デ・ウィットの海軍強化の方針を実行に移したのが、友人であった提督デ・ライテルである。デ・ライテルはカルヴィン派の船乗りの家に生まれ、当初は商船の運航に携わり、1652年以降海軍に籍を置いていた。
デ・ライテル提督は乗組員たちが艦砲を迅速に発射できるよう訓練し、船長や将官らが命令に従って自在に艦船を操れるよう徹底的に指導した。彼は勇気と細心さを併せ持ち、変転する戦況に応じて思うままに艦船を展開することができ、現に華々しい戦果を挙げた。乗組員からの信望も厚く、ついたあだ名は「祖父ちゃん」であった。戦勝に浮かれもせず、ある目撃証言によれば、「四日間海戦」後も提督は艦長室を自分で掃除するなど普段通りだったという。

じじぃの「沈黙の習近平・バイデン政権誕生で米中関係・日中関係は?プライムニュース」

【BS】『バイデンで米中関係は沈黙の習近平に日本は宮家&朱&興梠が討論』2020年11月17日(火)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=P4g0SUpwyyE

プライムニュース 「バイデンで米中関係は 沈黙の習近平に日本は 宮家&朱&興梠が討論」

2020年11月17日 BSフジ
【キャスター】竹内友佳、反町理 【ゲスト】宮家邦彦(内閣官房参与 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)、朱建榮(東洋学園大学教授)、興梠一郎(神田外語大学教授)
米国でバイデン政権誕生が濃厚となりつつある中、米中関係を中心に、国際関係の今後を展望する。
大統領選で当選が確実となったバイデン前副大統領に各国首脳が祝意を示す中、“沈黙”を続けているのは中国だ。習近平政権は、現状をどのように受け止め、今後の対米戦略をどのように描いているのだろうか。
バイデン氏は10日に欧州首脳と相次いで協議したのを皮切りに、外交における政権移行の準備を加速させている。バイデン氏の外交姿勢をめぐっては、トランプ政権と異なり「対中協調重視」に傾くのではないかとの懸念も根強い。
こうした中、日本時間の12日に行われた菅首相との電話会談で、バイデン氏は沖縄県尖閣諸島について、日米安全保障条約5条の適用対象だと確約した。これに対し、中国外務省は「日米安保条約は冷戦の産物」などと批判している。
外交安全保障、中国研究の専門家とともに、バイデン政権が誕生することで米中対立に変化は生じるのか、今後の国際関係を見極めるためのポイントや日本のとるべき対応は?
●防衛協力を強化 日豪首脳会談
菅首相はオーストラリア・モリソン首相と首相官邸で会談。
菅首相はモリソン首相を肘タッチで出迎えた。
会談でモリソン首相は「ヨシ」「スコモ」と呼び合うよう提案し、「オーストラリアは日本と志を同じくするインド太平洋の2つの国だ」と強調。
両首脳は海洋進出を強める中国を念頭に「自由で開かれたインド太平洋」の推進に向けた協力を確認。
自衛隊とオーストラリア軍の共同訓練を容易にする「円滑化協定」に大枠で合意。
菅首相は「日豪円滑化協定はインド太平洋地域の平和と安定に貢献するという日豪の意思を強固に支えるもの」と述べた。
共同記者発表の後、モリソン首相は来年の東京大会の成功を祈念し、菅首相に2000年のシドニー五輪の金銀銅メダルを贈った。
●「政権移行進める」米国大統領補佐官
米国・トランプ大統領が政権移行に向けた協力を拒み続ける中、大統領補佐官が新政権発足に向けて引き継ぎを進める考えを表明。
ホワイトハウス・オブライエン大統領補佐官は16日に内容が公開されたオンラインフォーラムで、「現時点でバイデンが明らかに勝利しているようだ」と指摘し、「政権移行の手続きを円滑に進める」と確約。
政権中枢からバイデンの勝利を認める声が出たことで、さらに苦しい立場に立たされたトランプ大統領だが、この日も「私が勝利した」とツイッターに投稿し、敗北を認めない姿勢を崩していない。
これに対し、バイデンは「これがトランプ流だ。彼のやり方は何も変わらない。連携しなければ、より多くの死者が出る可能性がある」と批判。
バイデンは「新型コロナウイルスのワクチンの配布計画の引き継ぎができないと供給に遅れが出る」と警告し、早期に政権移行手続きを始めるよう訴えた。
オブライエン大統領補佐官は「国家安全保障会議は強いプロ意識を持って政権移行に臨むのは疑いない」と述べた。
●“側近”が「政権移行」確約 トランプの敗北で決着?
米国・オブライエン大統領補佐官が新政権発足に向けて引き継ぎを進める考えを表明。
宮家邦彦、「オブライエン大統領補佐官が言ったことはあまり意味がないと思っている。オブライエンは国家安全保障担当の補佐官。彼は『もしバイデンが2020年の選挙の正式の勝者であると認定されるのであれば、自分たちのチームは政権移行をちゃんとやる』と言ったが当たり前のこと。米国の政権移行プロセスは1963年の政権移行法に基づいて行われる。GSA(一般サービス局)の長官が誰が勝ったか認定したうえで初めて始まる。今のマーフィー長官はトランプ大統領の政治任用だから、ずっと認定をしていない。トランプが負けたと言った時に、初めてマーフィー長官が『バイデンが勝った』と言って、法律に従った政権移行プロセスが始まる」
●「台湾は中国に含まれず」米国・ポンペオ発言の波紋
バイデンが大統領選の当選を確実にしたことを受け、先週金曜日、中国外務省報道官が初めて反応を示した。
中国外務省・汪文斌副報道局長は会見で「米国国民の選択を尊重する。バイデンと(副大統領就任が確実な)ハリスに祝意を表明する」と述べた。
12日のラジオ番組でポンペオ国務長官は「台湾が中国の一部でないとの米国の立場はレーガン政権時代から35年にもわたって続いている」と述べた。
興梠一郎、「中国はバイデン政権に移る2ヵ月間でトランプが何をやりだすかわからないと恐れている。中国のいろんな論評を見ていると『最後の狂気』という言葉がよく出てくる。トランプが最後に何をやるか分からないと。特に台湾で何かやらかすかもしれないというのがあって、トランプを刺激しないというのがある。ポンペオ国務長官が『台湾が中国の一部ではない』と言ったタイミング。中国外務省報道官の発言は『米国大統領選の結果が米国の法律と手続きに従って確定する』ということを言っている。まだ決まっていないという含みを残している」
●バイデン政権で米中関係は?
12日のラジオ番組でポンペオ国務長官は「台湾が中国の一部でないとの米国の立場はレーガン政権時代から35年にもわたって続いている」と述べた。
宮家邦彦、「1972年の米中共同コミュニケでは台湾が中国の一部だと言う中国の意見については聞き置いているだけで同意していない。日本は日中共同声明で『理解し尊重する』と言っている。それに比べて明らかに一歩進んでいる。トランプ政権の中の中国に厳しい人たちは、あともう2ヵ月しかないと。とにかくやれることは全部やろうと、既成事実化しようと。バイデン政権になっても元へ戻せないように、もしくは戻すのが大変なように既成事実をつくろうとしていることは事実だと思う」
●バイデン政権で台湾政策は?
米政府は10月21日、台湾に空対地ミサイル135発など総額18億ドル(約1900億円)の武器売却を承認し、議会に通知した。米台が軍事面で急接近をみせ、中国はいら立ちを募らせている。
10月26日に対艦ミサイルシステム最大100基(約2500億円)。
11月3日に軍用ドローン4機(約630億円)。
宮家邦彦、「トランプがまだ大統領であることは間違いないから、彼らがどんどん決めていくのを苦々しく見ていて、バイデンになったらどう巻き返すか考えるしかない」
朱建榮、「中国の報道官の発言から見て、中国は基本的にバイデン政権にほぼ決まったということで外交部報道官が発言した。トランプが最後に何をやるか分からない。現時点で必要以上に彼を刺激しない。中国はバイデン政権についての話は外交部報道官レベルでの発言にとどめている。ポンペオ国務長官の発言は歴史的に見てポツダム宣言から米国がサインしたものを台湾が中国に返還されると誰でも分かっている」
興梠一郎、「米国は対立によって自分が巻き込まれてとんでもない戦争に巻き込まれるのは一番嫌だというのが基本的なスタンス。例えば尖閣諸島にしても煮え切らない。台湾側が米国を最後まで頼りにできるかどうか。一線を越えて中国を刺激し過ぎると何をするか分からない」
米国の国内経済を立て直す時は、米中の経済戦争は早期収拾に舵を切るのか。
宮家邦彦、「私がバイデンなら、関税をただでゼロにすることはない。本丸は中国の経済システムそのもの。その部分で譲歩するなら考える」
朱建榮、「トランプ政権が去年中国との間に実際に今回の貿易の面での暫定合意だけでなくいろいろ約束を交わした。トランプのものをそのまま中国に戻るということはない。バイデンは当面国内の分裂など国内問題を重点的に行なうだろうからこれ以上中国と悪くはならないはずだ」
興梠一郎、「中国はよく研究している。中国は貿易の第一合意をバイデンは利用する、TPP(環太平洋経済連携協定)は難しい、台湾は均衡政策に戻ると予想している。台湾問題は戦略的なあいまいさを壊さないのではというのが中国の見方。国務長官が誰になるのかまだ決まっていない。バイデンの発言をみているとほとんど国内問題。オーストラリア、日本、韓国の首脳と電話会談をしたときの原文を見ると、コロナ、気候変動、経済回復。民主主義の強化は最後に出てきた。台湾問題にまで手が回らない」
日米安保条約第5条の尖閣諸島への適用

日米安保条約第5条

「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」
先週菅総理は初めてバイデンと電話協議を行った。
日米安保条約第5条の尖閣諸島への適用について、インド太平洋地域の平和と安定に向けて。
宮家邦彦、「米国がこの段階で言及するか心配だった。その意味ではよかった。尖閣に対する5条の適用は長い歴史がある。オバマ政権でようやく文書で共同声明の中に書き込み、トランプ政権に引き継がれた。本来バイデンが認めてもおかしくはない。しかし新しい大統領でどうメッセージを送るかは非常に大きかった。米国は国際協調と同盟国でやるのが当たり前。最初に確認だけはしておくということ。最初でこれだけやり取りができるということは、総理官邸から指示があり、大使館に連絡をして、これでいこうという話し合いができて初めてこの結果ができる。この条約は中国だけでなく北朝鮮、ロシア、台湾に対してもメッセージになっている」
興梠一郎、「中国の公船は以前と比べて大型化してきている。尖閣諸島を日本が常に自分の施政化に置いて実効支配していくんだと言っていかないと。問題は日本の漁船を中国の公船が領海内で追いかけ始めたこと。去年から始まったが、これは中国側が取り締まるという構図を作る狙いがある。日本人が尖閣で経済活動ができなくなる。今後は実効支配を目に見える形でやっていかないと第三者が見た時にわからなくなる」
●米中対立と「RCEP署名」 経済連携と安全保障
RCEP(東アジア地域包括的経済連携)は米国のバイデン次期政権からみると、どう見えるのか。
宮家邦彦、「米国にはRCEPは魅力のあるものではない。彼らは米国経済第一。TPPについては中国が政策変更しないと入れない。RCEPはみんなで会合があるなら顔を出す。それで良いのでは」
反町理、「中国はアジア初の経済連携を基盤に一帯一路とどう結びつけていくのか」
朱建榮、「RCEPはアジアにおけるサプライチェーンだ。日本は米国とのつながりと同時にRCEPを通してアジアとうまくやっていく。中国にとっても良いことだ」
反町理、「中国はRCEPを通して世界と自由で市場開放しているという宣伝に使うのではないか」
興梠一郎、「中国は多国間主義と自由貿易主義でやっているということを言っている。RCEPに米国はいないから言いたい放題だ。知的財産権など注意して見守る必要がある」

【提言】 「米中関係の行方と日本の対応の在り方」

宮家邦彦 「日米中 ‡ 正三角形」
 経済と政治で日米中は正三角形でない。中国をとるか米国をとるかの二者択一ではない。
朱建榮 「一喜一憂せず、長い視野」
 バイデン政権に一喜一憂せず、10年後アジアがどうなっているかを考えてほしい。
興梠一郎 「重層的な外交網」
  RCEPであれTPPであれ重層的に。イギリス、ドイツ、フランスなどはTPPに興味を持ち出してきている。中国を民主化の方向に向かわせる。
https://www.fnn.jp/subcategory/BS%E3%83%95%E3%82%B8LIVE%20%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

じじぃの「歴史・思想_373_物語オランダの歴史・独立戦争」

Willem van Oranje. William of Orange. Wayang.

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zuvOis9kcv0

William of Orange

The Story of William of Orange (Illustrated) (English Edition) Kindle

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William of Orange, once a Catholic, converted to the Protestant cause and eventually rose to lead the Protestant rebellion against Spanish rule in Netherlands.
He ultimately sacrificed his life, his wealth, and his family for the cause of religious toleration and inspired the Netherlands to revolt against Spanish rule.

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オランダ独立戦争 コトバンク より

八十年戦争、ネーデルラント独立戦争とも呼ばれる。 1568~1648年にかけてスペイン領ネーデルラントが本国に抗して争い、ホラント、ゼーラントユトレヒトなど北部7州が独立して、オランダ (ネーデルラント) 連邦共和国を建国するにいたった戦争。
中世以来ネーデルラントは毛織物工業と中継貿易とによって繁栄し、諸都市は広範な自治権をもち、自由の気風が盛んで、宗教改革以後カルビニズムが市民階級の間に普及していた。 1556年スペイン王位についたフェリペ2世はカトリシズムの守護者をもって任じ、プロテスタントに激しい迫害を加え、また都市に重税を課し、商業を制限し、自治権を奪って財政収入の増大をはかるなど、中央集権的支配を強化した。このような圧制に対し、カトリシズムを奉じる市民階級をさえ含めて、ネーデルラントのすべての住民が反抗し、多数の中小貴族の指導のもとに 66年広範な民衆運動が開始された。翌 67年ネーデルラント総督として来任したアルバ公は、プロテスタントに対する徹底的な弾圧を行い、「血の評議会」による裁判の犠牲となるものは、指導者エフモント伯をはじめとして 8000人をこえた。またアルバ公は上流貴族と富裕な市民階級の財産を没収し、貿易に重税を課したため、商工業活動は麻痺し、数千人が職を失い、多くのカルビニストや富裕な市民は国外に亡命した。
海外に亡命したカルビニストらは貴族の指導により「ゼーゴイセン (海乞食) 」と呼ばれる軍事組織をつくり、72年以後ゼーラント、ホラント両州の諸都市を占拠し、ドイツに亡命したオランニェ公ウィレム1世 (沈黙公)を統領として迎えた。 76年ウィレムの努力で「ヘントの平和」を実現し、全ネーデルラントの平和と統一が実現した。

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『物語 オランダの歴史』

桜田美津夫/著 中公新書 2017年発行

はじめに より

2004年10月から11月にかけて、オランダで放送された「最も偉大なオランダ人」(De Grootste Netherlander)と題するテレビ・シリーズの最終回で、数十万人の視聴者の投票をもとに最終的に選び出されたオランダ史上の偉人ベストテンは以下のようなものであった。
①ピム・フォルタイン

②オランイェ公ウィレム

③ウィレム・ドレース
④アントニ・ファン・レーウェンフック
⑤デシデリウス・エラスムス
ヨハン・クライフ
⑦ミヒール・デ・ライテル
アンネ・フランク
レンブラント・ファン・レイン
フィンセント・ファン・ゴッホ
    ・
前者に含まれるのが、オランダ人気質を語る際必ず引き合いに出される人文主義エラスムス独立戦争の指導者オランイェ公、17世紀の海軍提督デ・ライテル、微生物研究者のファン・レーウェンフック、そして多芸多才の画家レンブラントである。

反スペインと低地諸州の結集――16世紀後半 より

16世紀中頃、今日のベルギー、オランダ、ルクセンブルクを合わせた地域にほぼ相当する「低地諸州」(Nederlanden)を支配下に置いていたのはハプスブルク家であった。この地域は、フランスのヴァロワ家の傍系であるブルゴーニュ家による支配の時代(1363~1477年)以降、徐々に一体化が進んでいた。そして1543年に低地諸州の統一をほぼ完成させたのが、今日のベルギーのヘント(ガン)市で生まれたハプスブルク家神聖ローマ皇帝カール5世で、スペイン王としてはカルロス1世を名乗った。
カール5世は低地諸州の統治者ではあったが、ブラーバンド公、ホラント伯といった全部で「17」余りの個別の称号を併せ持っていたにすぎない。低地諸州の「州」とは、あくまでも独立の邦(くに)だったのであり、カール5世はそれぞれの州(邦)の君主だった。
    ・
1559年6月末頃、オランイェ公ウィレムが、カトー・カンブレジ条約(1559年4月スペインのフェリペ2世とフランスのアンリ2世との間に結ばれた、イタリア領有に関する和平条約)を確かなものにすべく、ハプスブルク側の外交視察団の一員としてフランスのパリに赴いたとき、和平条約を祝う催しの1つとして、首都郊外のヴァンセンヌの森で一向うちsろって狩猟が行なわれた。ところがオランイェ公は偶然、他の要人たちとはぐれて、フランス国王アンリ2世と2人きりになった。伝統的な歴史解釈では、このとき同王が語った言葉が、オランイェ公にスペイン王権に対する反抗を決意させたとされる。その様子をオランイェ公は、1581年に公刊された自己弁明書のなかで、自ら次のように語っている。
  私はかつてフランスにいたとき、アルバ公[フェリーペの側近]がフランスや低地諸州をはじめ全キリスト教世界の新教徒を根絶するための手段についていかなる交渉を進めているが、国王アンリ自身の口から聞いたのである。そしれ王は――王はわたしが和平交渉の代表者の一人である以上、こうした重要問題についてもすでに承知しているものと早合点していた―― 私にスペイン王およびアルバ公の助言と意図のあらましを語った。そこで私は、王がその話を途中でやめてしまわないように、私にはまだ聞かされていない部分もあるのだがというふうに答えた。これに誘われた王は、さらに詳しい話をしてくれた。こうして私は、異端審問官による異端弾圧計画の全貌をすっかり聞き出すことができたのである。[中略]私は告白する。このスペインの害虫をこの国[低地諸州]から駆除するために最善を尽くすことを本気で決意したのはそのときであったと。
                   ( J.E Verlaan, Apologie)
    ・
中央派(カルヴィン派とカトリック派間)の分裂は必至となった。スペイン宮廷内の動静を知りうる立場にいたオランイェ公は、これ以上危険を冒すことを避け、翌1567年4月下旬に低地諸州を去り、5月末には生まれ故郷のドイツ、ディレンブルグに帰り着く。他方エヒュモント伯やホルネ伯は、すでにマルハレータの政府と妥協していた。こうして、1566年に始まった騒乱は、翌67年春までには、執政マルハレータの政府だけの力で沈静化されたのである。
それでもフェリーペ2世は、低地諸州に懲罰軍を送ることを決定する。司令官にはスペイン宮廷内の武断派を代表するアルバ公を当てた。「剛直公」の異名を持つ猛将である。
アルバ公と約1万人の軍隊は1567年8月22日、ブリュッセルに到着する。早くも同月中にマルハレータが自ら執政職を辞したので、アルバ公が後を継いだ。王の血族でない異例の執政の誕生である。スペイン軍はその後も増強され、6万7000人ほどに膨れ上がる。
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1572年、オランイェ公は新たに低地諸州への同時侵攻作戦を計画した。その際、海側から脅威を与えてアルバ公を牽制する役割を与えられたのが海乞食党である。彼らは当時イングランド南岸の諸港を根拠地にしていたが、取り締まりを迫るアルバ公に配慮したエリザベス女王によって退去を命じられた。こうして26隻の船舶と約1100人の乗員からなる海乞食党船団は、オランイェ公の出撃準備が整う以前に海上に放り出される。
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結局、フランス王弟アンジュ―公を新しい君主に迎えるという実験は、アンジュ―公の力量不足により大失敗に終わる。
一方、もともとアンジュ―公を疑っていたホラント州とゼーラント州は、オランイェ公自身をフェリーペ2世の後任に据えようと画策する。渋り続けたオランイェ公も最後には受け入れに傾いていた。だが、1584年夏、オランイェ公は51歳で凶弾に倒れてしまう。
当時オランイェ公は、デルフトの元女子修道院を改装したプリンセンホフで暮らしていた。その近侍のなかに、カルヴィン派を装いまぎれ込んでいた者がいた。狂信的カトリックのバルタザール・ジェラールである。彼は、外交使節団に加わってフランスに向かう前の7月8日、オランイェ公の宮廷付き牧師に衣服がみすぼらしくて困っていると訴えて、幾ばくかの金銭をせしめた。翌日、彼はその金で、ある下士官から2挺の拳銃と数発の弾を購入する。
7月10日、プリンセンホフに来て機会をうかがっていたジェラールは、オランイェ公が1階で昼食を終え、2階の執務室に戻ろうとしたところを、外套の下に隠し持っていた銃で至近距離から狙撃した。3発中2発が同公の体を貫通し、弾丸は後ろの壁にも傷跡を残した。慌ててかけつけた身内に見守られながら、オランイェ公はすぐに息を引き取ったという。

じじぃの「鋼鉄で武装した甲虫(コブゴミムシダマシ)・車にひかれても潰れない強さ!産経新聞」

Compression Resistant Ironclad Beetle

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zkH5LaoLJ3w&feature=emb_title

鋼鉄で武装した甲虫 コブゴミムシダマシ

車に踏まれても潰れない異常な強度を持った昆虫の秘密が明らかになる、カリフォルニア大学・東京農工大学

2020年10月25日 エピネシス
車に踏まれても潰れないという、異常なまでの強度を持った昆虫「コブゴミムシダマシ」の秘密が、カリフォルニア大学と東京農工大学の合同研究チームにより明らかになりました。
コブゴミムシダマシ(Phloeodes diabolicus)はおもに北米・西海岸のナラの木に生息する体長約3cmの小さな昆虫です。
https://epinesis.net/archives/post-6964.html

「鋼鉄で武装した甲虫」 ひかれても潰れない強さ解明

2020年11月15日 産経新聞
「鋼鉄で武装した甲虫(こうちゅう)」と呼ばれ、米カリフォルニア州南部の乾燥地帯に生息する昆虫は、硬い羽や胴体が特殊な構造で互いに支え合うことで、車にひかれても潰れない硬さを生み出していることを東京農工大などの国際チームが突き止めた。自分の体重の4万倍近くの重さに耐えられ、その構造が、航空機や自動車の強度向上などに応用できる可能性があるという。
コブゴミムシダマシ(デビッド・キサイラス米カリフォルニア大アーバイン校教授提供)という体長約3センチの昆虫で、見るからにゴツゴツした外見をしている。羽は互いにくっつき合って開かず飛べない。体を頑強にして外敵の鳥などが食べにくいようにしているらしい。
チームが実際に車でひいてみたが潰れず、羽が開かない近縁種の昆虫の2倍以上の強さだった。
体を殻のように取り組む骨格の構造を詳しく調べたところ、硬い羽の境目は互いに2組の凹凸構造でがっちり接合されていた。1組で接合が弱い近縁種に比べ、かみ合って抜けにくい状態だった。また、凹凸部分では、昆虫の硬い外皮などを形成するキチン質と、骨格の強度を高める役割を持つタンパク質が多数の層を作り、かかった重さをしなやかに受け止めていた。

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どうでもいい、じじぃの日記。
車に踏まれても潰れない昆虫がいるらしい。
「やっぱりイナバ。100人乗っても大丈夫!」
イナバ物置もすごいが、この昆虫もすごい。

じじぃの「歴史・思想_372_物語オランダの歴史・偉人ベストテン」

Pim Fortuyn 2004-11-15 De Grootste Nederlander

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q3SAbniHyA8

10. Vincent van Gogh (schilder)

Top 10 Grootste Nederlanders (KRO programma 2004)

Alletop10lijstjes
In 2004 werd er een programma door de KRO uitgezonden, genaamd ‘De grootste Nederlander’.
Door een commissie, bestaande uit Joost Zwagerman, Herman Pleij en Andree van Es werd een lijst van tweehonderd kandidaten samengesteld, waaruit het publiek tien kanshebbers mocht kiezen. Sven Kockelmann en Frits Spits presenteerden het programma en maakte bekend wie volgens het bellend en sms’end publiek de grootste Nederlanders waren. Hieronder benoemen wij de top 10.
https://www.alletop10lijstjes.nl/top-10-grootste-nederlanders-kro-programma-2004/

『物語 オランダの歴史』

桜田美津夫/著 中公新書 2017年発行

はじめに より

2004年10月から11月にかけて、オランダで放送された「最も偉大なオランダ人」(De Grootste Netherlander)と題するテレビ・シリーズの最終回で、数十万人の視聴者の投票をもとに最終的に選び出されたオランダ史上の偉人ベストテンは以下のようなものであった。
①ピム・フォルタイン
②オランイェ公ウィレム
③ウィレム・ドレース
④アントニ・ファン・レーウェンフック
⑤デシデリウス・エラスムス
ヨハン・クライフ
⑦ミヒール・デ・ライテル
アンネ・フランク
レンブラント・ファン・レイン
フィンセント・ファン・ゴッホ
ちなみに日本でとくに知名度が高い哲学者スピノザは21位、法学者グロティウス31位、画家フェルメール66位となっている。
    ・
いずれにせよ、この上位10人の顔ぶれからは、オランダ人自身の歴史意識について、いくつかの特徴を読みとることができる。
第1に、19世紀の画家フィンセント・ファン・ゴッホを別にすれば、オランダ人が最も偉大と感じる歴史上の人物は、独立戦争前夜から黄金時代の繁栄に至る16~17世紀と、国難を乗り越え新たな国づくりに成功した20世紀以降、という2つの時代から選ばれていることだ。
前者に含まれるのが、オランダ人気質を語る際必ず引き合いに出される人文主義エラスムス独立戦争の指導者オランイェ公、17世紀の海軍提督デ・ライテル、微生物研究者のファン・レーウェンフック、そして多芸多才の画家レンブラントである。
20世紀以降に含まれるのは、ドイツ占領政府によるユダヤ人迫害の犠牲者アンネ・フランク第二次世界大戦後の困難な戦後復興に尽力したドレース元首相、最近亡くなったばかりの元サッカー選手クライフ、そして移民排斥を唱え、2002年の総選挙目前に殺害された異色の政治家フォルタインである。
第2の特徴は、現代の特異な政治家1名、軍人1名、科学者1名、スポーツ選手1名、画家2名に対して、専制政治との闘いや寛容ないし共生の理想と結びついた人物が4名ランクインしていることである(エラスムス、オランイェ公、アンネ・フランク、ドレース)。この4人が選ばれたのは、オランダという国のあり方の根本と多かれ少なかれ関わりがあると見なされたためであろう。
ところで、われわれ日本人が思い浮かべるオランダには、また別のイメージがともなう。長崎、出島、シーボルト蘭学といった言葉と結びついた、鎖国日本と交流があった唯一の西洋の国というイメージである。オランダは日本の古い歴史と深く関連づけられ、どこか過去の存在という印象がつきまとう。
だが、言うまでもなくオランダは、今日もなお独特の光彩を放ち続けているのである。

じじぃの「バイデン政権の米朝交渉・鍵を握るのは崔善姫氏?日曜スクープ」

北朝鮮高官が訪ロへ出発 米朝交渉巡り意見調整か

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TWxGJtZte6g

1番左に座っているのが崔善姫第1外務次官

バイデン政権の米朝交渉 カギは「マダム・チェ」と3階の書記室が握る

2020年11月13日 ライブドアニュース
「あの女にやられた」。2019年2月28日、ハノイで行われた第2回米朝首脳会談が決裂した後、米政府関係者の一人が発した言葉だ。
米国国務省のビーガン北朝鮮政策特別代表は同年2月6日から8日まで、北朝鮮外務省の金赫哲対米特別代表と交渉したが、金氏は中座を繰り返し、交渉権限がないことがはっきりした。2月21日からハノイで始まった実務協議に登場したのが、崔善姫氏だ。
https://news.livedoor.com/article/detail/19214495/

日曜スクープ

2020年11月15日 BS朝日
【司会】山口豊上山千穂木内登英野村総研エグゼクティブ・エコノミスト/元日銀審議委員)

爆発的感染を防げるか!?新型コロナ拡大「第3波」懸念。全国各地で“過去最多”続出

世界が注目 今週のニッポン

・世界の投資家が注目する日本の株高。29年ぶりの高値更新
・英国が注目・日米安保条約
 米国の経済紙・フィナンシャルタイムズ「バイデン次期大統領、尖閣諸島日米安保条約が適用されると明言」。
 菅総理大臣は12日、米国大統領選挙で勝利が確実になっているバイデン前副大統領と初めて電話会談を行い、「尖閣諸島日米安保条約5条の適用対象であることを確認した」と述べた。
 記事では「バイデンが当選後中国に対してとった最初の重要な外交政策だ。この発言は米国が中国に対して同盟国と一緒に強硬な路線をとるという姿勢を早い段階で示したものだ」と分析。
・ドイツが注目・村上春樹作品ドイツで人気
 ドイツ国営国際放送・ドイチェベレ「村上春樹がドイツで人気の理由」。
 村上春樹の長編小説「ねじまき鳥クロニクル」のドイツ語新訳版が先月ドイツで出版された。
 ドイツの出版社によると新訳版は異例のヒットを記録。
 今回の新訳は村上文学のドイツ語翻訳を多く手掛ける翻訳家・ウルズラ・グレーフェによるもの。
 記事では「ドイツの読者は戦後の日本社会で育った村上の作品に自らを重ねて理解している。国の伝統や歴史を拒絶し、新しい自由な生活を追い求め、米国の音楽がその過程で大きな役割を果たした」とし、「政治的不安が高まっているいま、日本の文学は現実世界から離れて安らげる場所を提供してくれる。現実逃避ではなく避難場所であり、新たな世界への想像力を育んでくれる」と専門家のコメントを引用して伝えた。

徹底解説 ニュースの焦点

【ゲスト】讃井將満(自治医大さいたま医療センター副センター長)
過去最大か・新型コロナ第3波
新型コロナ、感染者数が過去最多もピークはこれから?
1波、2波とは異なる大流行の兆候も…対策すり抜けて感染広がる原因とは。
これからピーク?「気温」「増加速度」「対策疲れ?」。
国立国際医療研究センター・大曲貴夫医師(東京都モニタリング会議)は「急速な感染拡大の始まりと捉えている。これが4週間そのままの増加比で継続すると新規陽性者数は約4.8倍、1日あたり1160人程度となる」と語る。
忽那賢志医師は「私たちもいい加減コロナに疲れてきている。これが油断につながり、さらには感染拡大につながらないかとても心配」と語る。

ニュースの核心に迫る!時事論考

【ゲスト】杉田弘毅(共同通信社特別編集委員)、牧野愛博(朝日新聞編集委員
米大統領選バイデン氏“勝利宣言”でも沈黙の北朝鮮金正恩委員長、次の動きは!?
●沈黙の北朝鮮・軍事挑発“再開”の恐れは・米国新政権で対話路線の転換必至
歴代の米国大統領と北朝鮮の核を巡る動きを紹介。
オバマ政権に入っても北朝鮮は核実験を繰り返した。
トランプ政権が発足した2017年には弾道ミサイルを立て続けに発射した。
2018年6月、トランプ大統領金正恩委員長との間で史上初となる米朝首脳会談シンガポールで、翌年にはハノイで行われた。
バイデンは10月22日の最終討論会で「トランプは悪党、凶悪犯のお友達と仲良くしている間に高性能なミサイルを手に入れてしまった。(金正恩委員長と会談する条件として)核能力の引き下げに同意すること、朝鮮半島を非核地帯にすべきだ」と述べている。
米朝関係の進展を阻む“北朝鮮の特権層”・ハノイでの首脳会談決裂の深層
牧野愛博、「今後、米朝間で非核化交渉をしていく上で北朝鮮の特権層が進展を阻んでくるのでは」。
そのカギを握っているのが崔善姫第1外務次官。
「あの女にやられた」。2019年2月28日、ハノイで行われた第2回米朝首脳会談が決裂した後、米政府関係者の一人が発した言葉だ。
トランプ大統領はビーガン氏が実務協議で求めていた要求を改めて突きつけた。ところが、金正恩氏は戸惑うような表情を見せるばかりで寧辺核施設の放棄にこだわり、会談は決裂した。

米政府関係者は当時、「実務協議で我々が要求した内容が金正恩に伝わっていなかった」と語っていた。

崔氏がなお米朝関係のキーパーソンの地位にとどまっているとの見方を示した。
牧野愛博、「北朝鮮と交渉するにあたって2つの方法がある。1つ目は北朝鮮に対して従来の常識から日本が脱却すること。2つ目は平壌に連絡事務所を設置すること」
北朝鮮の非核化に向けて、バイデン政権が打つ次の一手について。
次期副大統領が確実視されているカマラ・ハリス上院議員は「北朝鮮が核プログラムを撤回するために検証可能な措置を取るなら北朝鮮住民の生活を改善するために選択的制裁緩和を考慮する」と述べている。
https://www.bs-asahi.co.jp/sunday_scoop/