じじぃの「科学・芸術_958_アイルランド・イングランドによる支配」

Study Ireland 8: Battle of the Boyne - 1690

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_uGXtYvvk0U

ボイン川の戦い 1690

ボイン川の戦い

ウィキペディアWikipedia) より
ボイン川の戦い(Battle of the Boyne)は、1690年7月1日(ユリウス暦グレゴリオ暦では7月12日)、ウィリアム3世率いるイングランド・オランダ連合軍と、退位させられたジェームズ2世率いるアイルランド軍の間に行われた戦い。
アイルランドのボイン川河畔で行われた。イングランド軍36,000人とアイルランド軍25,000人が戦い、ウィリアム3世が勝利してイングランド王位の保持を決定的なものにした。

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アイルランドを知るための70章』

海老島均、山下理恵子/編著 赤石書店 2004年発行

イングランドによる支配のはじまり クロムウェルアイルランド征服

イングランドによるアイルランド支配は12世紀にはじまったといわれる。1154年、アイルランドキリスト教会をローマ教皇の統制下に置こうとした教皇ハドリアヌス4世は、イングランド王ヘンリー2世に教書を送り、アイルランドの支配権を与えた。だが、その当時ヘンリー2世のイングランド支配は盤石なものではなかったので、アイルランドに軍隊を派遣する余裕などなかった。
というのも、ヘンリー2世は、ノルマンディで生まれ、イングランド人というよりフランス人であり、いわゆるアングロ・ノルマン人だった。イングランドは1066年に、フランスのノルマンディ地方を基盤とするウィリアム1世に征服され、アングロ・サクソンの貴族にかわって、ノルマン系の貴族の支配下にあったのである。そのため、実際に軍隊が送られたのは、皮肉なことにゲール系アイルランド人(アイルランド先住民)んp要請にヘンリー2世が応じた結果だった。
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アイルランドにはイングランドの政治システムが移入された。ダブリン城が建設されるとともに、イングランド王にかわり総督がアイルランド統治の責任者となり、二院政の議会も導入された。イングランドが支配する領域はしだいに拡大し、14世紀初頭までに島の4分の3に及んだという。
だが、イングランド系は、ゲール系アイルランド人を根絶したり、彼らを土地から追放するといった過酷な手段を用いなかったこともあって、ゲール系アイルランド人はしだいにその支配地域を島の半分まで回復した。また、イングランド系もゲール系と通婚するなどゲール化していき、イングランド系とゲール系は奇妙な共存関係にあったといえよう。こうした状況を一変させたのが、チューダー朝ヘンリー8世エドワード6世メアリー1世エリザベス1世)による軍事占領と宗教改革だった。
チューダー朝アイルランドを軍事的に占領し、それ以後のアイルランド支配の基礎を作った。ヘンリー8世は1541年、アイルランド議会からアイルランド国王の称号を贈らせ、これ以後イングランド国王がアイルランド国王を兼ねた。彼が王位に就く前、アイルランド支配は少数のイングランド系貴族を通じた緩やかなもので、イングランド王の支配権もダブリン周辺にとどまっていた。
しかし、イングランド宗教改革を行ったヘンリー8世は、アイルランドでも宗教改革を断行し、カトリックを厳しく弾圧し、彼らの土地を収奪した。
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こうした植民はゲール系の反発を招き1641年、アルスター地方で蜂起が決行され、翌年にはそれがアイルランド全土に広がった。イングランドは「ピューリタン革命」によって国内が混乱し、しばらくはアイルランドの「反乱」を鎮圧することで見送られた。だが、イングランドにおける内乱を終結させたオリバー・クロムウェルは、1649年、1万2000名の将校を率いてダブリンに上陸し。ドロハダで4000名、ウェックスフォードで2000名の人びとを虐殺したといわれている。このロムウェルの残虐行為は、アイルランド人の間で永く語り継がれていく。さらにイングランド人はアイルランド人の土地没収を進め、それを政府の債権者とクロムウェルの軍隊の兵士に分け与えた。カトリックの土地所有者に占める割合は著しく減少した。また、「反乱」に参加しなかった者さえも、それまで所有していた土地を没収され、そのかわりに西部の荒地が与えられることとなった。
1688年のイングランドの「名誉革命」は流血を伴わない革命として有名であるが、一方、この革命はアイルランドを戦場と化した。王位を追われフランスに亡命したカトリックジェームズ2世は、アイルランドを足場にしてイングランド王を復位しようとしたのである。1689年、ジェームズ2世フランス軍を伴いアイルランドに上陸したが、アルスター地方のプロテスタントの植民者から徹底的な反撃を受けた。1690年にはイングランドウィリアム3世が自らアイルランドにわたり、ボイン河でジェームズ2世軍を打ち破った、これ以後も戦闘はつづいたが、最終的にウィリアム3世が勝利を収めたのであった。

じじぃの「徴用工問題の解決策・2020文在寅政権の対日政策は?プライムニュース」

日韓の弁護士ら、徴用工問題解決に向け共同宣言 2019/11/20

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?time_continue=75&v=LkE_iIlQomM&feature=emb_title

反日か、融和か 2020文在寅政権の対日政策

プライムニュース 「反日か、融和か 2020文在寅の対日政策 東京五輪へ新カードも」

2020年1月10日 BSフジ
【キャスター】長野美郷、反町理 【ゲスト】新藤義孝自由民主党政務調査会長代理)、武藤正敏(元駐韓国特命全権大使)、黒田勝弘産経新聞ソウル駐在客員論説委員
昨年末、ようやく首脳会談が実現したものの、日本側が懸念する“徴用”をめぐる問題には明確な解決策が示されないまま越年した日韓関係。「対日融和」の姿勢も見られ始めたとされる文在寅大統領の年頭演説に注目が集まったが、日本に対しては一方的に「輸出管理の見直し」を求めるだけの“一方通行”に終わった。
大統領が内政課題や対北政策で“夢”を語る一方、国外では南北融和と米朝協議の停滞や対日関係悪化、国内では経済の低迷や広がる反政権デモなど、今年も「内患外憂」で政治的な“手詰まり感”を露呈している文在寅政権。選挙イヤーの今年、どのような手段で政権浮揚策を打ち出してくるのか?
一方で、年末に「検察改革」を強化する法案が韓国国会で可決し、権力集中と政権基盤強化は着々と進めている文在寅政権。韓国世論は、文政権の「野心」をどう評価するのか?
国交正常化から55年にあたる節目の今年だが、相変わらず日本を悩ませかねない韓国・文在寅政権の思惑を読み解き、2020年の日韓関係を展望する。

”徴用工”問題「解決策」は

日韓の弁護士・市民団体の会見 ”元徴用工”問題について
原則
 ①加害者が事実を認めて謝罪
 ②謝罪の証としての賠償
 ③事実と教訓の次世代継承(歴史教育
提案
 日韓の弁護士・学者・財界・政界関係者による協議体を設立
韓国政府 外交部のコメント
 協議体設立の提案を含めて日本側と解決策を緊密に協議していく
反町理、「韓国の弁護士が提案したものは先祖帰りのように見えるが」
武藤正敏、「先祖帰りです。日本はまったく受け入れられるものではない。韓国政府は原告団が言っているから検討しようということで、原告団を説得しようとはまったくしていない。これでは徴用工問題は解決しない」
黒田勝弘、「韓国の弁護士も何か言わないといけないという雰囲気ではある。このままでは何も解決しないという認識をもつ段階にきている。韓国議員のなかに五輪休戦、棚上げだという人がいる」
新藤義孝、「日本が何も玉を投げてくれないから、我々の出す提案に乗ってくれということです」
黒田勝弘、「文在寅サイドの外交官出身の要人の話で『この問題の最後の落とし所は、韓国に大統領の統治行為という言葉がある』と言った。超法規的な大統領の国を思っての措置がある。最後は統治行為として調整をしろと。過去に金大中が裏金を用意しろというのがあった」
反町理、「文在寅三権分立とずっと言ってきて、これは統治行為なのだから最高裁の判決をひっくり返してというのはあることなのか」
新藤義孝、「難しいのは長い間続けられてきた反日、歴史の歪曲教育を受け入れている人たちにとっては、過去の歴史的責任を自覚して日本及び日本企業はこれに対処せよと本気で思っている。日本の炭鉱で働いている写真を韓国の教科書にまで載せてこれを素直に受け入れている人たちにとってなんて日本はここまで苦しめるのかと思っている」
武藤正敏、「文政権は言うこととは別に統治行為、違法行為はやってきている。次の選挙でなんとしても勝って今の政権を引き継がせようとするだろう」

【提言】 「2020年の日韓関係に望むこと」

新藤義孝 「目覚めよ、韓国!」
 韓国は歴史認識が今あまりにも行き過ぎてこの国の根幹まで変えようとしている。それでは国と国との付き合いはできない。長い歴史の中で悪い関係のときより良かったほうが長い。そういう意味で目覚めよ、韓国!、です。
武藤正敏 「韓国人よ目覚めよ!!」
 まったく同じです。新藤さんの言ったことに付け足すと日韓関係で日本が何かやろうとしても無理です。韓国人自身が今文政権がやっていることは無茶苦茶だということを理解して文政権に対して反旗を立てることしかない。今やっていることは独裁そのものだ。
黒田勝弘 「さらなる対韓発信を!!」
 韓国人よ目覚めよ、はその通りだが、それには韓国に情報を発信する必要がある。たとえば慰安婦合意は評判が悪いが僕はかなり成果があったと思う。あれは慰安婦の方がかなり理解した。それをなぜ韓国の皆さんに理解させようとしないのか。もっとアピールした方がよい。
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html

じじぃの「科学・芸術_957_アイルランド・ケルトの再考」

The Story of Ancient Ireland

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KRcuhyq82Fs

アイルランドを知るための70章』

海老島均、山下理恵子/編著 赤石書店 2004年発行

ケルトの再考 アイルランド人はどこから来たのか より

アイルランド人はケルト人で、英国人はアングロ・サクソン人だととくいわれる。だが、英国にもケルト人が住んでいたこともあれば、英国が古代ローマ人やノルマン人などの支配を受けたこともあることを考えれば、単純に英国人はアングロ・サクソン人とはいえない。同じように、アイルランド人をケルト人だと断言することはできない。というのもアイルランド古代ローマの支配を除いて、ほぼ英国と同じ人種・民族に侵入された経験をもっているからだ。英国人とアイルランド人を人種的に区別するのはむずかしいのではないだろうか。
氷河時代アイルランドグレートブリテン島につながり、グレートブリテン島ヨーロッパ大陸につながっていた。西フランスやスペインには人類が住んでいたが、彼らは、食糧となるものがなかったアイルランドまでやってくることはなかった。氷河が溶けはじめ、人間の食糧となる大鹿がアイルランドにも姿を現したおよそ紀元前6000年頃、アイルランドグレートブリテン島から離れた。アイルランドに最初に姿をみせた人間は、スカンジナビアからグレートブリテン島を経由して、西に進んでアイルランドにやってきたといわれる。その当時、グレートブリテン島かとアイルランドの間にある海峡は、人間がわたることができたという。彼らは狩猟をしながら生活を営み、アイルランドの先住民の原型となったのである。
その後も新たな人口の移動があった。紀元前3000年頃、中東地域で農耕がはじまり人口が増加すると、人々は新たな土地を求めて移動を開始した。そして中東からフランスやスペインに移住し、海を越えてアイルランドまでやってきた。こうした人びとがアイルランドで土地を耕作し、大量の肉を食べていたことが考古学調査からわかっている。紀元前2000年頃になると、アイルランドでは青銅器時代がはじまり、ウィックロー山地でとれる砂金を用いて、金細工の製品が作られるようになった。青銅器時代につつく鉄器時代アイルランドにもたらしたのは、ケルト人ではないかといわれているが、くわしいことはわかっていない。だが、アイルランド社会にケルトの文化が根づいたことは、事実である。
ケルト人は紀元前1200年頃に登場し、ローマ人やゲルマン人によってヨーロッパ大陸の西部に追いやられるまで、中央・西部ヨーロッパを支配したといわれる。ケルト人がいつアイルランドにやってきたのかについては定かでない。
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ただ、ローマ帝国との関連でわかっていることがある。それは、4世紀頃からグレートブリテン島におけるローマ支配が弱体化すると、アイルランド人がグレートブリテン島に攻撃をしかけたということである。そしてウェールズスコットランド」にアイルランド人の「植民地」が成立した。アイルランド人は一部とはいえグレートブリテン島を植民地支配した経験をもつのだ。
古代のアイルランド史に関する史料的な限界があるなかで、有益なのが、2世紀頃にアレクサンドリアで活躍した数学者・天文学者・地理学者プトレマイオスが記したアイルランドに関する記述である。そこには数多くの川や王国が記されている。この当時のアイルランドには「小王国」が存在し、その数は100程度だったのではないかといわれているが、はっきりしたことはわかっていない。英国勢力に征服されるまで、アイルランドでは全土を政治的に統一する政権は生まれなかった。
とはいえ小王国が乱立するなかでも有力な氏族が存在した。イ・ニール家である。彼らは5世紀以来、アイルランド中央部や北部に支配権を拡大し、それまでアイルランドが5地域に分割・統治されていた体制を支えたといわれている。伝説によれば、イ・ニール家の初代ニールは「ターラ王」で、ニールの息子リーレがその後を継ぎターラ王となり、その兄弟たちは北部アルスター地方に勢力を拡大したといわれる。
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11世紀になるとターラ王を称することはあまり意味のないものとなっていった。ヴァイキングが侵入したアイルランドでは、内陸部のターラよりもダブリンやリムリック、ウォーターフォードなどの沿岸の町を支配することがより重要な意味をもってきたからだった。だが、そうであっても、ターラはアイルランド人にとって重要な意味をもちつづけた。たとえば1840年代に英国との合同を撤廃しようとする運動を指導したダニエル・オコンネルは、参加者が100万人ともいわれる集会をターラで開いている。

じじぃの「真っ黒な海中で魚が点滅発光して泳ぐ理由!理系の疑問」

Self Illuminating Rainbow Jellyfish : Flashing lights!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Qy90d0XvJlE

Triplefin blenny

『理系の素朴な大疑問』

博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2019年発行

真っ黒な海中で泳ぐイカが青白く光る理由 より

イカを暗いところで泳がせると、青白く光って見えることがある。
また、夜の海岸を散歩していると、浜辺に打ちあげられた魚の死体が青白く光ることがある。
これは発光バクテリアという小さな菌の仕業である。
イカをはじめ魚たちは、ただで発光バクテリアを共生させているわけではない。彼らの光を利用することで雄雌を見分けやすくしたり、餌となる小動物を誘ったり、敵を威嚇したりするために利用している。
発光バクテリアの出す光は意外と明るく、しかも熱を伴わないのでエネルギー効率がよい。
そこで、バクテリアを利用したランプをつくろうという研究も進められている。
かつてパリで開催された博覧会で、壁や天井一面にバクテリアを塗って青白く輝く部屋がつくられたという。このようなバクテリア・ランプは通常1週間程度しかもたないが、バクテリアの培養方法を工夫すれば、3年以上持続させることも不可能ではないという。
いまのところは、コストの問題などもあり実用化されていないが、将来、とくに電源のないようなところでは、電球や蛍光灯の代わりにバクテリア・ランプが使われるようになるかもしれない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、NHKで「発光する生き物」をやっていた。
映像の最後に、点滅して鮮やかな色を出しながら泳いでいる魚が出てきた。
だいたい、魚が発光するのは体内に共生している発光バクテリアによるものらしい。
一説には地球上がまだ嫌気的条件下(無酸素)にあった頃、有害な酸素を除去するために用いられたという。
しかし、点滅しながら泳ぐ魚はどんな仕組みで点滅させているのだろうか。
液晶テレビの場合は、液晶分子に微小な電圧を変えて「色」を表現している。
点滅しながら泳いでいる魚も微小な電圧を加えながら発色しているのだろうか。
「光る生物」は結構、謎なのだそうだ。

じじぃの「科学・芸術_956_アイルランド・島の成り立ち」

View from Above- Ireland

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JqkdB6nQJqI

Giant's Causeway

アイルランドを知るための70章』

海老島均、山下理恵子/編著 赤石書店 2004年発行

移り気な天候 島の成り立ち より

アイルランドの位置は北緯51度30分から55度30分。札幌よりもずっと北にある。だからだろうが。「寒そうですね」とよくいわれる。ダブリン空港における平均気温は札幌と大差はないが、夏は東京で通常25度以上、札幌でも20度を超えることを考えるとかなり涼しい。一方、冬はもっとも寒い月でも0度前後、東京より少し寒いくらいで、札幌よりはずっと暖かい。国内観測値として最北端に位置する北アイルランドのマリンヘッドでさえ、月の平均気温はめったに氷点下にならない。つまり年間を通して暑くもなく、寒くもないわけだ。大西洋からの湿った暖かいメキシコ湾流の影響で、それほど寒くならない気候が保たれているといわれる。
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こうした天候がアイルランドを緑深い「エメラルドの島」としたといっても過言ではない。アイルランド島地殻変動によってグレートブリテン島から離れ、氷河作用によって地形が形成されたといわれる。太古の時代の海は暖かく、炭酸カルシウムを含む海洋生物の堆積によって石灰岩ができた。このため、現在のアイルランド西部の大地にはむき出しの石灰岩が存在する。粗削りで、起伏に富んだ石灰岩の景色が印象的なのがカウンティ・クレアのバレン高原やカウンティ・ゴールウェイのアラン諸島など。岩の割れ目には可憐な高山植物がたくましく咲いている。海岸線は波と風に浸食され、海に切り立つカウンティ・クレアのモハーの断崖やアラン諸島のイニシュモア島にあるドン・エンガスのような独特の景観を生んだ。世界遺産として登録されているカウンティ・アントゥリムのジャイアンツ・コーズウェイも地殻変動と氷河活動の結果として生まれたという。石の六角柱が並ぶ不思議な風景で、伝説の巨人フィン・マックールにちなんで、この名がつけられた。泥炭層(ピートボグ)も典型的な風景だ。不完全な状態で腐敗した太古の植物が湿った状態で蓄積し、燃料としても使われる泥炭となった。これも雨が多いアイルランドならではの景色といえる。
草木のはえない地形がある一方で、深い緑に包まれた大地もある。川、湖、谷がいたるところに点在する。恵みの雨が草木を育て、牧草地と水辺の風景がアイルランドの田園をエメラルド色に輝かせた。
移り気な天候に悩まされつつ、その天候によって育まれた自然のなかで生きるアイルランドの人びと。彼らの挨拶は天気の話題ではじまることが多い。「まったくひどい天気だこと!」とお決まりのセリフを口にしながら、そんなことは慣れっこだわといった余裕の笑顔をみせて、今日もアイルランドの1日が始まる。

じじぃの「はやぶさ2・2020年1月9日現在・無事帰還中!夕刊フジ」

Japan's Hayabusa-2 space probe brings rare asteroid samples to Earth | DW News

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pac5ZZTjIl0

美笹深宇宙探査用地上局 アンテナ組立工事 工事トピックス映像 #6(ドローン撮影#3)【4K映像】

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C6VxaSHwBM0

JAXAの新アンテナ公開 高性能、はやぶさ2と交信

2018.12.15 SankeiBiz
1984年から使われているアンテナの後継機として現在建設中。従来の2倍以上のデータを送受信することが可能で、探査機「はやぶさ2」を含めた国内外の探査機や人工衛星との交信に利用される。
JAXAによると、新型アンテナは直径54メートルで現行機(64メートル)より小型になるが、宇宙探査機の搭載機器が高度化している現状を踏まえ、取り扱えるデータ量を多くして性能を向上させた。

2020年3月以降に完成予定で、総工費は約100億円。はやぶさ2は地球から遠く離れた小惑星を探査し、太陽系の成り立ちや生命誕生の起源を解き明かすことが期待されている。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/181215/mca1812151020002-n1.htm

夕刊フジ』 2020年1月4日発行

はやぶさ2が成し遂げた大成果 【執筆者】日本の元気 山根一眞 より

2019年11月13日、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウ」の探査でごっそりの成果を得て、地球帰還の途についた。「はやぶさ2」が小惑星で得た岩石のサンプルを携えて地球に帰還するのは来年末だ。
私が14年12月3日、種子島宇宙センターでのH・IIAロケットによる「はやぶさ2」の打ち上げを見届けてからおよそ5年。地球と太陽の距離の約2倍、3億キロかなたの直径わずか870メートルというちっぽけな小惑星で、正確で狙い通りの観測やサンプル採取ができるのか一抹の不安があった。だが「はやぶさ2」は昨年6月27日、リュウグウに到着後、505日間にわたり衝突装置による小惑星の表面へのクレーター生成などを行い、惑星探査史上7つの世界初の偉業を成し遂げた。
はやぶさ」初号機ではいくつものイオンエンジンの故障、燃料漏れによる姿勢制御不能、そして通信途絶など、「わくわく、はらはら、どきどき」が連続したが、「はやぶさ2」はエンジンの故障もなく「100点満点中1000点です」(プロジェクトマネージャ、津田雄一さん)という秀才ぶりを発揮した。
「秀才チーム」はリュウグウの表面を覆う万単位の岩石すべてを精密観測し、それらの体積や質量による微小重力の影響を計算し、目標に向かって刻々と移動する探査機の位置をセンチ単位で制御するといった信じがたいオペレーションもこなした。「はやぶさ」初号機は、拙著『小惑星探査機はやぶさの大冒険』が原作の「はやぶさ 遥かなる帰還」(東映渡辺謙主演)など3本もの映画が公開されたが、映画関係者からは「トラブルがなく秀才すぎる『はやぶさ2』は映画にはならないなぁ」という声が出ているほどだ。
もっとも、「はやぶさ2」が成し遂げた「7つの偉業」は探査機を精密に操る「工学的成果」であり、「はやぶさ2」の目的はリュウグウの物質(岩石微粒子)を詳しく分析し太陽系や生命の起源を解明する「科学的成果」を得ることにある。
はやぶさ2」が膨大な数のリュウグウのサンプルを得たことは確実で、来年末に豪州のウーメラ砂漠にサンプルを満載した「カプセル」が着地すれば、惑星科学者たちによるサンプル分析が始まる。その仕事は、全国の大学や研究機関のオールジャパンで行うことになっている。私はその数拠点を訪ねているが、いずれもきわめて大きなスケールで準備態勢が進んでいることに驚いている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
はやぶさ2」は2019年11月13日に、地球に向けて小惑星リュウグウ」を出発した。
JAXA宇宙科学研究所によると、地球からおよそ3億キロというかなたの探査機から届く超微弱電波を受信するアンテナは「携帯電話の1000万倍という高感度が必要」なのだそうだ。
その通信を担ってきたのが長野県にある白田宇宙空間観観測所の直径64メートルという超巨大パラボラアンテナだった。
このまま順調に帰還できれば、2020年末ごろに、初代「はやぶさ」と同じくオーストラリアのウーメラ砂漠に試料の入ったカプセルを投下する予定となっている。

じじぃの「歴史・思想_102_世界の幽霊屋敷・町、都市、島」

Ellis Island

Salem Ghosts

wolf and boy adorns a wall

『絶対に出る 世界の幽霊屋敷』

ロバート・グレンビル/著、片山美佳子/訳 日経ナショナル ジオグラフィック 2018年発行

町、都市、島

ペストが猛威を振るった数百年間、ヨーロッパでは人の移動が厳格に管理されていた。ひとたび町に侵入すれば、ペストは瞬く間に蔓延し、数週間で10人に1人が命を落としたからだ。犠牲者の数が多すぎて埋葬が間に合わず、遺体が山済みになり、二次感染の恐れも広まった。生存者はまさに戦々恐々といった心持だっただろう。「検疫(quarantine)」という言葉はこの時代のイタリアで生まれた。ペストの流行中、ベネチアでは他所からやってくる人々を足止めしていた。ペストの犠牲者の埋葬地となったベネチアのラグーンに浮かぶ島では、死体が土の量を上回ったという。

エリス島の建物の廊下 (米国ニューヨーク)

米国への入口だったエリス島には、62年間で約1200万人の人々が上陸した。中には「自由の国」の大地を踏むことができなかった移民もいる。エリス島に到着した人々の多くは長旅から不調をきたしており、約3000人が回復することなく移民用の病院で命を落とした。島にはその不運な人々の幽霊が今でも出るという噂だ。子供の声が聞こえたり、家具がひとりでに動いたりするという。

ザ・ハウス・オブ・セブン・ゲイブルズ(七破風の屋敷 米国マサチューセッツ州 セイラム)

セイラムは1692年の夏に19人が処刑された魔女裁判で悪名高いが、町のは他にもたくさんの心霊スポットがあり、毎年10月には25万人以上が訪れる。
宿屋の女主人ブリジット・ビショップはセイラム魔女裁判の最初の犠牲者だ。現在、ブリジットのリンゴ園の跡地に建っているバーや、処刑された絞首台があったガロウズ・ビルには、彼女の怨霊が出没するという。

ボベーリア島の壁画 (イタリア、ベネチア

ベネチアのラグーンLに浮かぶボベーリア島の礼拝堂は、20世紀初めに建てられ、後に放置された精神病院の一部だった。主治医が患者の幽霊に拷問された後に鐘楼から身投げしたという言い伝えがある。
ペストは1576年の大流行だけで、ベネチア市の人口の3分の1にあたる5万人もの命を奪った。それ意外にペストが21回も流行している。1630年から31年にかけての流行では4万6000人が犠牲になった。