じじぃの「歴史・思想_81_中東の世界史・チュルク語・中東とは何か」

Who are the People of Central Asia? Genetics of the Turkic Peoples

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ajnrJsV-fGU

Near and Middle East (中近東)

報道1930

2019年11月28日 BS-TBS
【キャスター】高畑百合子、松原耕二 【コメンテーター】堤伸輔(雑誌編集者) 【ゲスト】藤崎一郎(元駐米大使)、木村太郎(ジャーナリスト)、津上俊哉(日本国際問題研究所・客員研究員)、小原凡司(笹川平和財団上席研究員)

米中”人権”でも対立 香港は14分で壊滅? なぜ? 中国人民解放軍の特殊部隊が。ウイグル”弾圧”文書 習近平政権内部から流出か。

●“ウイグル弾圧の文書” 記者の団体が公開
ウイグル族の収容施設は、500ヵ所に100万人超のウイグル族を収容。
ウイグル語を北京語に矯正したり、食事、トイレ、入浴も24時間監視されていて、思想を改めなければ出所できない。
中国・耿爽報道局長は、「西側メディアはデマを楽しんでいる。テロ対策であり民族や宗教、人権侵害は存在しない」と発言。
米国・ポンペオ国務長官は、「非常に深刻な人権侵害。でたらめではなく意図的で継続中のもの」と発言。
津上俊哉、「捕まっている人たちは、ウイグル社会の知的なリーダーの人たち。大学教授やインテリとかそういう人たちを集中的に捕まえて放り込んでいる。ウイグルの文化みたいなものを抹消しようとしているように見える。自分の頭で考えられる人たちが一番怖いと思っているんだと思う。早く大変まずいことになっていることに気が付いてもらいたい」
米国で「香港人権民主主義法」が成立したことについて。
木村太郎、「ユダヤ人から見ればウイグル弾圧はホロコーストと同じに見える。米国にはユダヤ人が多い。米国は今後きびしく中国の人権弾圧にあたるだろう」
https://www.bs-tbs.co.jp/houdou1930/

ウイグルの子供たちを教育する漢族の教員の体験談

2019-07-30 実録
中国内陸部の大勢の教師が、新疆での中国共産党の「中国化」の取り組みのために採用されている。しかし、その多くは着任するとすぐに後悔するという。
中国共産党 は、新疆ウイグル自治区ウイグル族ムスリムを同化させる包括的な計画を実施するため、ウイグル族の文化と伝統を破壊している。次世代のウイグル族の住民が、幼少期から「中国化」教育を受け、無条件で共産党政権を支援するように、当局は長期に渡り、ムスリム少数民族に対し、漢族の文化を押しつけ、ウイグル語の教育を排除してきた。

また、ウイグル族及びその他のトゥルク語の住民には子供の中等教育を他省で受けさせることを奨励してきた。さらに、ウイグル族の学校は次第に全ての科目を北京語で教えるよう求められてきた。

https://jp.bitterwinter.org/educating-uyghur-children-in-xinjiang/

『「中東」の世界史 西洋の衝撃から紛争・テロの時代まで』

臼杵陽/著 作品社 2018年発行

「中東」とは何か? より

ところで、「中東」(Middle East)とは一体どこを指すのか? これまできちんと定義あるいは説明することもなく、またカギ括弧を付けたり付けなかったりして「中東」や中東という地域概念を自由自在に使用してきたが、ここでまとめて考えることにしたい。結論的には、「中東」は具体的な特定の場所の地名ではなく、東西という方位、中東・近東・極東といった遠近あるいは距離の概念が組み合わされて、様々な描かれ方があるということなのである。
「中東」を”Middle East”という英語で表現した時は、現在では(第二次世界大戦後という意味であるが)、エジプト、スーダンアフリカの角(つの)と言われるソマリアを含む地域からトルコ、イラン、アフガニスタン、までを含めた範囲、つまりサハラ砂漠以北の北アフリカ西アジアを含む地域を指すことが一般的である。
ただ、フランス語の地域名の官位は英語のそれとは必ずしも一致していない。フランス語では「近東」(le Proche Orient)と「中東」(le Moyen Orent)との組み合わせの使用法が圧倒的である。「近東」がトルコ、エジプト、シリア、パレスチナイスラエルの東地中海海岸の国々を指し、「中東」が「近東」よりも東側のイラク、ヨルダン、アラビア半島の国々、そしてイラン・アフガニスタンを指す場合が多い。これを合わせて「中近東」(le Proche et le Moyen Orent)と呼ぶ場合もある。「レヴァント」(le Levant)は、シリア、レバノンパレスチナイスラエルの東地痛快海岸地域を指すことが一般的である。
現在の英語圏で米ソ冷戦後によく使用されているのはむしろ「中東・北アフリカ」(Moddle East & North Africa:略してMENA)という表現で、西アジア北アフリカまでを含めている。

現代中東のカテゴリー 言語文化圏、イスラーム世界 より

近東・中東・中近東という地域概念の変遷を見たところで、今度は言語文化圏という観点からこの地域を見てみよう。現代中東は3つの言語文化圏から成っている。現在の中東研究者は、言語が話されている地域に基づいて、アラビア語が話されているアラビア(アラブ)語圏、トルコ語(および、その方言であるチュルク系諸語)が話されているトルコ(チュルク)語圏、そしてペルシャ語が話されているペルシャ語圏(イラン・アフガニスタン)という3つの語圏が中東という地域を形成しているという見方である。それよりも外側の、より広い範囲に位置づけられるのがイスラーム教徒の世界(ムスリム世界あるいはイスラーム世界)である。
アラビア語が話されている地域をアラビア語圏とするならば、アラビア半島から北アフリカまでが含まれていることになり、これを中東の一部とすることになる。トルコ語圏になると、末尾に「~スタン」と付く国々が中央アジアからさらにはシベリアのあたりまで広がっている。チュルク語圏はその話者がそれほど多く住んでいない地域もあるから色塗りをすると広範囲に見えるが、実際にはすべてがチュルク語話者というわけではない(例えば、ヤクートという言葉を話す地域は色分けすると大変広範囲な地域となるが、人口はごく少数である)。そしてペルシャ語が話されているペルシャ語圏が、イランからアフガニスタン、さらにタジキスタンまでとなる。

じじぃの「老人ホーム・健康で幸福な老人への道!事実はなぜ人を変えられないのか」

What a Japanese Nursing Home is Like

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Lf-OBn8Nwko

介護施設でより幸せに暮らすには

池上彰のニュース検定

2019年12月3日 テレビ朝日 【グッド!モーニング】
シリーズ・先進的介護施設の現場。
きょうのキーワード「独自通貨」。

問題 デイサービスの別名は?

通所介護
・在宅介護
・施設介護
正解 通所介護
宮崎・都城市・ほほえみの園のデイサービスに通う利用者は小物作り、洗濯、食事の配膳などの仕事を自発的に行い、その対価として独自通貨“笑”を受け取る。
介護を受けるだけでなく、活躍できる場になっている。
受け取った通貨を使ってプロのマッサージを受けたり、カラオケ、映画を楽しんだり、利用者が作った小物を購入したりすることができる。

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『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

ターリ・シャーロット/著、上原直子/訳 白揚社 2019年発行

健康で幸福な老人 より

自分の人生をコントロールしていると感じられる人は、より健康で幸せだ。それを念頭に置いて考えると、私たちの実験の参加者はマンシュー(金融関係のブログを書いている男性)やテオ(バーテンバーをしている男性)同様、「合理的」にふるまっているのかもしれない――コントロールを維持することによって、幸福感を高めていたのだから、たとえば、その他の条件が同じなら、自分がコントロールしていると思っている癌患者の方が長生きするし、心疾患のリスクの低さもコントロール感の高さと関係している。恐れ、不安、ストレスなど、身体に有害なすべてのものがコントロール感によって減少することを考えれば、意外ではないかもしれない。
それでは、人々のコントロール感を増大させることができたら、その人の幸福感は高まるだろうか? イェール大学のジュディス・ロディンとハーバード大学のエレン・ランガーは、1970年代に行われた古典的研究のなかでそれを解明しようとした。ロディンとランガーは、コントロール感の深刻な低減を経験した人たちの集団に関心をもった。運が良ければ私たちもいっか仲間入りできるかもしれないその興味深い集団とは、高齢者である。歳をとるにつれて、自分の生活や環境をコントロールする能力は着実に減っていく。ある人にとってその低減は、定年退職して通常は働くことで得られる主体性を失ったときから始まる。それは身体の衰えとともに減り続け、最も顕著になるのは介護施設に入ったときだ。毎日のスケジュール、いつ何を食べるか、自由時間には何をするか、大人になってからずっと自分で決めてきたことを、突如誰かが決めてくれるようになる。運転、買い物、料理など、それまでは自分で行っていたかもしれないすべてのことを、誰かが代行してくれる。これではまるで、残りの人生をずっと飛行機に乗って過ごすようなものだ。パイロットは善意にあふれているが、いかんせんあなた自身が操縦しているわけではない。
ロディンとランガーが足を踏み入れたのは、そのような場所だった。2人は高齢者を操縦席へ戻してはどうかと考えていた。介護施設の入居者に、もっとたくさんの選択肢や責任、強い主体性をもたらせたらどうなるだろうか? より健康で幸せになれるだろうか? 言い換えるなら、高齢者のコントロール感を高めることで、その人生に影響を与えられるだろうか? その答えを探るため、2人の研究者はコネチカット州介護施設に連絡を取り、管理者たちに実験への参加を打診した。施設側は賛意を示した。
    ・

この種の実験について私が目を見張るのは、介入のシンプルさである。少しばかりの責任を与え、選択肢があることを思い出させるだけで、人の幸福度は高まるのだ。

この知識は家庭でも職場でも非常に役に立つ。あなたが親ならば、子供たちにもっと責任を与えればいい。職場では、従業員を意思決定のプロセスにどんどん関わらせることで、意欲や満足感を促進することができる。恋人がいるのなら、2人がこの先どんな人生を歩んでいきたいか。いつでも言い合える環境を作るのもいいだろう。興味深いことに、コントロール感に必要なのは「感じること」なのだ。命令をするのではなく、「主体性」を大切にしながら相手を最終的なゴールへ導く方がうまくいく。

                            • -

どうでもいい、じじぃの日記。
私は今年で73歳になった。
この頃、オナラをすると、パンツが黄ばんだりする。
便もれだあ。
特に、勢いよくオナラをする時は要注意だあ。
トホホのホ。

じじぃの「科学・芸術_937_ウェールズ・英語詩人」

And Death Shall Have No Dominion by Dylan Thomas - Poetry Reading

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eE74rOHKWrs

R. S. Thomas - Iago Prytherch lyrics

Iago Prytherch, forgive my naming you.
You are so far in your small fields
From the world's eye, sharpening your blade
On a cloud's edge, no one will tell you
How I made fun of you, or pitied either
Your long soliloquies, crouched at your slow
And patient surgery under the faint
November rays of the sun's lamp.
https://lyrics.az/r-s-thomas/-/iago-prytherch.html

ウェールズを知るための60章 吉賀憲夫(編著) 発行:明石書店

英国を構成する4つの「国」の1つウェールズ。最も早くイングランドに併合されたが独自性を保ち続け、英語と全く異なるウェールズ語を話せる若者も少なくない。アーサー王伝説のルーツを持ち、海苔を食すなど日本との意外な共通点もあるウェールズを生き生きと紹介する。
Ⅶ 伝説・文学・地誌・学術
第58章 ディラン・トマスとR・S・トマス――20世紀のウェールズを代表する英語詩人
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750348650

ウェールズを知るための60章』

吉賀憲夫/編著 赤石書店 2019年発行

ディラン・トマスとR・S・トマス――20世紀のウェールズを代表する英語詩人

詩に関しては、ウェールズには長い伝統がある。ウェールズの人々は詩とともにあると言えるほどである。ドルイドが権威を持って活躍していた頃から、あるいはそれ以前から現代まで。2つの言葉を有する国であるがゆえに、ウェールズには詩にも2つの伝統があると言えるが、ここでは20世紀に英語で詩を書いたウェールズの詩人たちの中から、世界的な名声を博したディラン・トマスとR・S・トマスを取り上げる。
イギリス文壇におけるW・H・オーデン以降最大の詩人のひとりと称されるディラン・トマスは、スウォンジーのクムドンキン・ドライヴ5番地で生を享けた。英語教師であった彼の父親によって与えられた名は『マビノギオン』中の「波の息子」に由来する。1925年から31年までスウォンジー・グラマースクールで教育を受けたが、英語以外の科目には、一切興味を示さず、試験にひとつも合格しないまま卒業した。在学中には校内雑誌の編集を務め、卒業後は『サウス・ウェールズ・ポスト』紙に就職し、約1年間、校正係(のちに記者)として働いたが作家として身を立てるため退職した。
1933年、『サンデー・レフェリー』紙に「緑の導火線を通して花を駆り立てる力」が掲載され、高く評価された。これをもって彼は詩人としての第一歩を記したのである。1937年、キャトリン・マクナマラと結婚、彼は生涯にわたり経済的には恵まれていなかったが、創作活動にのみ力を注ぎ、過度なまでに飲酒したため、結婚後は一層困窮し、親戚や友人の援助により家計が成り立っているという有様であった。3人の子宝にも恵まれたが、一家の経済状態は悪化する一方で、転居を繰り返した。1947年、友人マーガレット・テイラーの援助により南ウェールズ・ラーンのボート小屋を改造した家に住むようになり、ここがトマスの終の住み家となった。彼の作品はアメリカでも高い評価を得ており、1950年にはアメリカ各地で詩の朗読と講演を行い、好評を博した。しかし、1953年、3回目のアメリカ講演旅行中、ニューヨークにて客死した。死因は長年にわたる過度な飲酒とも言われている。
彼の詩集は5冊出版されているが、最高作は1941年に上梓された『死と入口』であるとする声が多い。単一の詩作品としてウェールズで人気が高いのは、幼年時代を回想した「ファーン・ヒル」で、最後の2行はロンドンのウェストミンスター寺院のポエッツ・コーナーに刻まれている。またラジオ劇『ミルクウッドの下で』も多くの人に好まれており、詩も含めディランの最高傑作であるとする人さえいる。
     ・
R・S・トマスは1913年、カーディフに生まれた。父親が船員であったため、一家はイギリス各地を転々としたが、1918年、北ウェールズのホリヘッドに落ち着いた。英語で教育を受けたとはいえ、自然豊かでウェールズ語話者の多いこの地で育ったことがトマスにとっては後に意味を持つことになったのかもしれない。1932年、彼は奨学金を得てバンゴール大学に入学、古典を学んだ。大学卒業後は、聖ミカエル大学で神学を学び、1936年、ウェールズ聖公会副牧師に任じられ、チャークに赴任した。ここで画家のミルドレッド・エルドリッジ(通称エルン)と知り合い、1940年に結婚。1942年には牧師に昇任され、1978年の退職までにいくつかの教区で奉職した。
彼は1946年に処女詩集『原野の石』を発表しており、牧師としての仕事を並行して執筆活動も精力的に行なっていたが、牧師退職後は執筆活動に専念した。彼の諸作品は高く評価され、多くの賞を得て、1996年にはノーベル文学賞にもノミネートされた。2000年、クリッキエスの近くのペントレヴェリンにて、心臓の病により87歳でトマスは他界した。看取ったのは2人目の妻エリザベスであった。
R・S・トマスは非常に多作家であり、詩集だけでも20冊以上を上梓している。テーマとしては政治的、精神的なものを扱うことが多いが、ウェールズに生まれ、30歳を過ぎてから苦労してウェールズ語を学ぶなどして、一層愛国的な傾向を強めていった牧師・詩人としては、それは極めて自然なものと言えるかもしれない。イングランドの圧政やそれに対するウェールズの奇妙な従順さに対する憤怒、人々の信仰心のあり方への疑問、自らの神との「対話」などが影響していたであろうことは想像に難しくない。
彼の作品の特徴のひとつは、厳しい自然の中に生きる素朴な農民の姿を描いたことである。出世作「ある農夫」に登場するイアーゴという名の農夫は、彼の作品のなかでたびたび歌われることになる。もうひとつの特徴は神の探求である。特に晩年の作品ではより形而上学的で、精神性の強いものとなっており、新たな神話の創成を目指しているさまが見て取れる。

じじぃの「血液1滴・マイクロRNA・すい臓がん・超早期がんも見つけられる!がん検査キット」

東芝 がん検査の新技術 13種のがんを1滴の血液で検出

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LLohs9Md-OM

東芝が開発したがん検査キット

血液1滴でがん検査 東芝、21年にもキット実用化

2019/11/25 日本経済新聞
東芝は血液1滴から13種類のがんを発見できる検査キットを開発した。がんにかかっているかどうかを2時間以内に99%の精度で判定できるという。2020年にがん患者を対象に実証試験を始め、21~22年に人間ドックの血液検査などで実用化することを目指す。2万円以下で検査できるようにする考えだ。

東芝感染症検査用などで販売している遺伝子検査チップをもとに開発した。がんができると血液中に増える「マイクロRNA」という物質を検出する。

東京医科大学国立がん研究センターが開発に協力した。
過去に採取されたがん患者の血液で精度を検証した。大腸がんや肺がん、膵臓(すいぞう)がんなど13種類のがんについて、何らかのがんにかかっているかどうかを99%の精度で判定できたという。
大きさが1センチメートルに満たない早期のがんも発見できた。医療現場ではこの検査を受けて、どの臓器にがんがあるかを画像診断などで確認する。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52551680U9A121C1TJC000/

『ビジュアルで見る 遺伝子・DNAのすべて』

キャット・アーニー/著、長谷川知子、桐谷知未/訳 原書房 2018年発行

RNAの世界

遺伝子活性の微調整から将来的な治療の基盤づくりまで、RNAはただの分子メッセンジャーというよりも、はるかに大きな役割を担っている。

ここまで、RNA(リボ核酸)を、遺伝子とそれがコードするたんぱく質の橋渡しをする分子メッセンジャーという形で見てきた。これはもちろん重要な役割だが、それだけではない。RNAは多様な形と大きさで現れ、細胞のなかでさまざまな仕事をしている。自ら対になって2本鎖RNAやもっと大きく複雑な3次元形状をつくることや、1本鎖DNAと結合してRNA-DNAハイブリッドを生み出すことができる。
また、タンパク質と組み、細胞内で重要な仕事をするリボザイムは、アメリカの科学者シドニー・アルトマンとトーマス・チェックが初めて発見した。ふたりはRNAの謎のいくつかを解明したことで1989年にノーベル化学賞を受賞した。
すべては、ヒトの細胞内に大量のRNAが漂っていることを示している。ヒトゲノムのなかで、伝令RNA(mRNA)に転写され、タンパク質をつくらせる遺伝子は2パーセント未満なのに、他にもDNAの領域の多くがRNAに転写されることがわかってきた。これらをすべてまとめるとゲノムのかなりの部分を占めるが、多くの場合、こういうRNAすべてが何をしているのか、なぜそんなに大量につくられるのかはまだわかっていない。
     ・

科学者たちの現在の考えでは、マイクロRNA(小さなRNA断片)は遺伝子活性を微調整する役割を務め、すべてが適切な働き続けるのを助けている。したがって、ある種のマイクロRNAの不具合が、がんや心臓病などの病気、肥満やアルコール依存症などの健康問題につながっていても不思議ではない。

サイズは小さくても、マイクロRNAは間違いなく大きな影響力を持つが、この小さな分子がどのように遺伝子と健康の制御に役立っているかについては、まだ学ぶべきことがある。

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どうでもいい、じじぃの日記。
暇なもので、病気に関する本やテレビをよく見ている。
すい臓がんは見つかりにくく、すい臓がんの症状が出た時にはすでに末期ということが多い。
最近では、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん、ジャーナリストの竹田圭吾さんがすい臓がんで亡くなった。

東芝 がん検査の新技術 13種のがんを1滴の血液で検出

まあ、人間いつかは死ぬが、すい臓がんが早期発見可能になったことは朗報に違いない。

じじぃの「科学・芸術_936_ウェールズ・風景画(ピクチャレスク)」

Joseph Mallord William Turner

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-ItcwbsLDjA

View of Snowdon from Llyn Nantlle, one of the Richard Wilson

ウェールズを知るための60章 吉賀憲夫(編著) 発行:明石書店

英国を構成する4つの「国」の1つウェールズ。最も早くイングランドに併合されたが独自性を保ち続け、英語と全く異なるウェールズ語を話せる若者も少なくない。アーサー王伝説のルーツを持ち、海苔を食すなど日本との意外な共通点もあるウェールズを生き生きと紹介する。
Ⅵ 絵画・スポーツ・音楽・生活
第45章 ピクチャレスクなウェールズを描いた画家たち――リチャード・ウィルソンとその周辺
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750348650

ウェールズを知るための60章』

吉賀憲夫/編著 赤石書店 2019年発行

ピクチャレスクなウェールズを描いた画家たち――リチャード・ウィルソンとその周辺 より

1738年に出版されたウェールズ旅行記集の中で、ある旅行者はウェールズの山岳地帯を「ノアの洪水後の瓦礫の山」と表現している。これは、この書物が出版された18世紀前半にウェールズを旅した人々が共通して抱いたウェールズの自然観であった。しかし、18世紀後半になるとこの自然観に変化が現れた。ピクチャレスクの登場である。ピクチャレスクとは文字通り「まるで絵のような」という意味だが、それはサルヴァトール・ローザ、クロード・ロラン、ニコラ・プサンの描いた風景と同様の、「まるで絵のような」風景が現実の中にあるのだという逆転の発想であり発見であった。
かって瓦礫の山にしか見えなかったピクチャレスクの山が、当時の美と崇高という美学的・哲学的議論を経てピクチャレスクという審美理念に到達し、鑑賞の対象となったのである。それは風景の中に、洗練されたものと粗野なものとの組み合わせを楽しむという新しい趣向であり、風景画や当時の観光旅行に強い影響を与えた。ウィリアム・ギルピンが南ウェールズのワイ川のピクチャレスクな美を1782年の著書で紹介して以来、この本をガイドブックとして、ウェールズに新しい美を求めて人々が押し寄せてくるようになるのである。
ウェールズが多くの画家たちの興味の対象となる前に、ウェールズではすでに、後にイギリス風景画の父と称される画家リチャード・ウィルソンがウェールズの風景を描いていた。彼は、中部ウェールズのペネゴエスで生まれ、1750年から1757年にかけイタリアで風景画の修業をした。帰国後、《ウィンステイ近郊の風景》や《スランゴスレンから見たディナス・ブラーン城》などのウェールズの風景を描くが、有力な後援者もなく、ロンドンでの生計は成り立たなかった。彼は故郷のデンビーシャーに戻り、貧困のうちに翌年そこで没した。しかし彼の死後、古典的形式を保ちながら、その中にロマンチックな感情を湛(たた)えた彼の風景画はコンスタブルやラスキンの賞賛するところとなった。彼は《ナントル湖から見たスノードン》をはじめとして、ウェールズやロンドン近郊の風景を描くことにおいて、イギリス風景画の発展に大いに寄与したのであった。
リチャード・ウィルソンの弟子トマス・ジョーンズは近年とくにその評価が高まっている画家である。彼は中部ウェールズの地主の家に生まれ、オックスフォード大学に進むガ中退し、ウィルソンの弟子になった。1774年にはトマス・グレイの詩「吟唱詩人」に基づいた同盟の作品を描いている。彼は1776年から1793年までイタリアに滞在し、風景画を描いた。代表作に《ナポリの家》などを含む連作「ナポリの眺め」がある。彼は帰国後も絵を描き続けたが、1785年以降は画家を本業とすることはなかった。
18世紀後期になると画家や裕福な地主層がピクチャレスクな美を求めてウェールズにやって来た。これら富裕層の人々は旅の記録を残すために画家を伴うこともあった。画家たちは新しい美をまとったウェールズの風景を描いた。それらは版刻されることにより書物の挿し絵として、また画集として広く一般に流布した。
画家たちが旅で使用した画材は水彩であった。水彩は持ち運びが手軽であったふだけでなく、イギリスの変わりやすい天候や、水や空気の流れ、変化に富む地形や風景を素早く的確に表現することのできる最適の媒体であった。水彩風景画は17世紀の地図作成技術のひとつであったが、やがてそれが地誌学的な情報以上のものを伝えるこtのできる芸術であるということがわかると、上流階級の上品なたしなみのひとつとなった。
     ・
J・M・W・ターナーは1792年から1798年の間に5回ウェールズを訪れたが、そのあいだ彼は《ティンターン大修道院翼廊》《ワイ川にかかるライヤダー・グワイ橋》《南から見たコンウィ城》などの水彩スケッチを描いた。その中でも1795年の南ウェールズ旅行の時のメモと鉛筆スケッチに基づいて制作され、1797年の王立美術院展に出品された水彩画《ユーウェニー修道院》は批評家に絶賛された。

じじぃの「映画『ジョーカー』・深刻化する貧富の格差・1930年代に逆行か!報道1930」

映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=C3nQcMM5fS4&feature=emb_title

香港デモ

大ヒット問題作『ジョーカー』共感と酷評がまっぷたつのワケ

2019.10.19 現代ビジネス 御田寺 圭
●生きづらさの欲張りセット
先日封切られ、大きな反響を呼んでいる映画『ジョーカー(原題:JOKER)』。
社会から軽視され軽蔑され疎外される男が、悪のカリスマ「ジョーカー」に堕ちていく姿を描いた作品だ。
貧困、格差、社会保障の打ち切り、雇用環境の悪化、行政サービスの劣化・縮小、虐待・ネグレクト、介護、障害への無理解、差別──アーサーは現代社会が抱える様々な「負の側面」に苦しみながら生きる男だ。それらのうちのどれかが、とくに彼をとりわけ責めさいなんでいるわけでもなく、すべてが等しく彼をじりじりと閉塞して孤立した世界へと追い込んでいった。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67821

報道1930

2019年11月26日 BS-TBS
【キャスター】出水麻衣、松原耕二 【コメンテーター】堤伸輔(雑誌編集者) 【ゲスト】田中均(元外務審議官)、中西寛京都大学教授)、西村カリン(ジャーナリスト)

世界で拡散! 抗議デモ、深刻化する貧富の格差、1930年代に逆行か、市民の怒りの根源は?『見えない戦争』とは

同時多発する格差デモ世界は1930年代に回帰しているのか。拡大する貧富の格差28人の富が下位38億人分に匹敵。世界の抗議デモに現れる「ジョーカー」メイクの参加者。世界は再び「ブロック化」へ向かうのか。
ローマ教皇 「格差拡大」に警鐘
長崎・爆心地公園でローマ教皇フランシスコはスピーチで戦争を非難するだけでなく軍拡競争が人々に貧しさをもたらすテロ行為だと厳しく非難した。
1936年、南米アルゼンチンにイタリア系移民の子とて生まれたフランシスコ教皇(本名・ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)。
家は貧しくはなかったが父の方針で小学校を出たころから清掃員として働き労働の大切さを学んだ。
フランシスコという教皇名は貧しい人に寄り添った中世イタリアの清貧の聖人・アッシジのフランシスコに因んだ。
教皇となった現在も質素なアパートで生活し、毎年バチカンでは貧困層やホームレスを招いて「貧しい人のための世界祈願日」の朝食会を行っている。
首相官邸を訪ねたフランシスコ教皇安倍総理大臣を前に、貧しさを生んだ世界のシステムに切り込まねばならないと語った。
●映画「ジョーカー」と抗議デモ
逃亡犯条例改正案に端を発した香港デモ。

その参加者の中に先月上旬に公開された映画『ジョーカー』(ワーナーブラザーズ映画)の主人公のメイクを模した人が。

映画では貧困に苦しみ会社や行政に見捨てられた主人公が社会に絶望し、次第に孤立した世界へと追い込まれる。
「ジョーカー」は怒りや憎しみを暴力に変えてしまった。
映画の中の世界では富を独占するエリート層と庶民の間で「格差」が広がりやがてジョーカーは人々の間で英雄視されていく。
倉田徹教授、「デモの根底には中国との経済融合で富めるものと一般市民との格差がある」
この動きは世界各地に広がっている。
燃料税の引き上げが発端に始まったフランスの「黄色いベスト運動」は開始から1年が経ってもなお続き、ここでもジョーカーの姿が。
レバノンでは政府が無料通信アプリに1日約22円の課税案を発表したことでデモが発生。
南米チリのデモきっかけは政府によるわずか4円の地下鉄料金の値上げだった。
このデモの影響でAPEC首脳会議が中止となった。
●世界経済は1930年代に類似
中西寛、「いまの世界が戦前の1930年代に似てきている」
第1次大戦の特需をばねに、自由放任主義を掲げ、経済のグローバル化を図った米国。
米国の株価の大暴落に端を発する世界恐慌が始まったのは、1929年10月。
ニューヨークには失業者があふれ、職を求める労働者は連日デモを行い、社会は混乱。
そのときルーズベルト大統領が行ったのが、公共投資で景気回復をはかるニューディール政策
米国は外に拡大することをやめ、内向きに自国ファースト路線に舵を切った。
英国やフランスなど植民地を持つ国は、高い関税障壁を設け、自らの支配地域だけで経済圏を作る。
ブロック経済の始まり。
これに対し、植民地を持たない日本、ドイツ、イタリアは近隣国に侵攻し、独自の経済圏を求め始める。
国内では貧困にあえぐ人々の不満が排外主義をあおり、それぞれの国でファシズムが台頭。
各国が自国ファーストの動きを強めた結果、世界は第2次世界大戦に突き進んでいった。

1930年代の流れ。

1929年 世界大恐慌→大量失業→自国優先→高関税、経済のブロック化→国際秩序の破綻→第2次世界大戦。

現在の流れ。

2008年 リーマンショック→グローバリゼーションの加速→貧富の格差拡大→自国優先へ→米中関税合戦、一部で経済がブロック化。
田中均、「人口、お金が益々小さくなる。無から有になる思想を含めたイノベーションが必要」
中西寛、「世界の民間経済を握っているのは米中関係、チリのAPECでトランプも習近平もとりあえずの妥協はしたかったと思うが、チリのAPECが中止になったことで2人が会うきっかけが難しくなった」
https://www.bs-tbs.co.jp/houdou1930/

じじぃの「科学・芸術_935_ウェールズ・英語とウェールズ語」

Japanese Spectators Sing Welsh National Anthem At Training Session - Rugby World Cup

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TE5rK_pM9r0

Japanese mascot belts out Welsh national anthem arm

in arm with players

イギリスの秘境 vs.ロンドンのアーティ農園

2012/06/10 NEMOGRAPHY
ウェールズによく行くので日本人の知人友人に「英語とウェールズ語はどのくらい違うの」と聞かれることがある。
実はこの2つ「訛っている」という程度の差ではなく、2つの異なる言語で、例えば「グッド・モーニング」は「ボレダー」、「ウェルカム」は「クロイソ」といった次第。道路標識や公文書は2言語で表記されている。ウェールズ語が先に来るので一瞬戸惑うことも。
https://nemoroberts.wordpress.com/2012/06/10/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%A2%83-vs-%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E8%BE%B2%E5%9C%92/

ウェールズを知るための60章 吉賀憲夫(編著) 発行:明石書店

英国を構成する4つの「国」の1つウェールズ。最も早くイングランドに併合されたが独自性を保ち続け、英語と全く異なるウェールズ語を話せる若者も少なくない。アーサー王伝説のルーツを持ち、海苔を食すなど日本との意外な共通点もあるウェールズを生き生きと紹介する。
Ⅲ ウェールズ語保存の歴史
第22章 ウェールズ語――英語とはまったく異なる言語
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750348650

ウェールズを知るための60章』

吉賀憲夫/編著 赤石書店 2019年発行

ウェールズ語――英語とはまったく異なる言語 より

ウェールズ語は、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の中のブリトン語系の言語である。同じ島で話されている英語(ゲルマン語系)と系統が異なり、発音、文字、文法、語彙がすべて異なる。
ウェールズ語の文字体系は、いわゆるアルファベットのうち、k、j、q、v、x、zを除いた20文字に、2つの文字の組み合わせ(ch、dd、ff、ll、ph、rh、th)を加えたものである。書かれた文字はすべて発音し、各文字には同じ1つの発音があるのが原則である。綴りを見れば、いわゆるローマ字読みで発音できる。例えば tad「父」は「タード」、pen「頭、終わり」は「ペン」と読む。ただし、注意すべき文字もある。例えば、「f」の文字1つでは vの発音、重ね字にして「ff」とすると fの発音になる。
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ウェールズ語は、後ろから前に修飾する言語である。例えば、「おはよう」を表すボレ・ダーはボレ「朝」とダー「良い」が結びついた表現であるが、形容詞が名詞を後ろから修飾している。英語とは真逆の文法である。この分法は地名にも見ることができ、「ペナボンド(ペナ・ア・ボンド、「その橋」(ア・ボンド)の「終わり」(ペン)))」がその1例である。他にもスウォンジーウェールズ語名「アベルタウェ」は「アベル」(河口の意)と「タウェ」(河川名)の2語から成り、「タウェ川の河口」を表す地名である。ここでも後ろから前に係っているのがわかる。
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ウェールズ語の語彙は主にケルト語系のものが多いが、多民族との接触の歴史を通じて、外国語から多数の語を借用してきた。ローマ帝国統治時代にはラテン語から多数の語彙が伝播した(例「ポント」pont[橋」はラテン語 ponta「橋」から)。11世紀のノルマン征服以降、フランス語からの語彙が主に地名に見られる(ピューマリス<Beaumaris>は「美しい沼沢地」を表すフランス語から)。
しかし最も多い借用語は、何といっても英語由来の借用語である。英語からの借用はアングロ・サクソン時代から始まっており、しばしばウェールズ語形に英語の古形が残っていることがある。例えば、「鷹」をウェールズ語で「ヘボク」と呼ぶが、ここには英語の「ホーク」の古英語形「ヘヴォク」が残っている。1536年のウェールズ併合以降、現在に至るまでの5世紀間に、2言語話者としてのウェールズ語話者が増える過程で、英語からの語彙借用はさらに増加する。英語の影響は、借用語だけでなく翻訳借用にも見られる。例えば「~を楽しみにする」は「エドリヒ・アムライン・アト」(edrych ymlalen at)と言うが、これは英語の look forward to を遂語的にウェールズ語に訳したものである。
ウェールズ語が純粋でなくなりつつあると嘆く人々もいるが、ウェールズ語は歴史を通じて常に外国の文化とともに外国の言語を受け入れ、新たな表現形式として上手に吸収してきた。その歴史は現在も続いているのである。ウェールズ語語彙の創造性は、ウェールズ語が生きた言語である証である。