じじぃの「人の生きざま_797_ミシェル・マイヨール(天文学者)」

Peebles, Mayor & Queloz: Winners of 2019 Nobel Prize for Physics announced

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q4yf5dWEQRI

ミシェル・マイヨール博士

ミシェル・マイヨール博士がノーベル物理学賞に輝く!

2019.10.08 公益財団法人 稲盛財団
2015年に京都賞基礎科学部門を受賞したミシェル・マイヨール博士が10月8日、ノーベル物理学賞の受賞者に選ばれました。受賞理由は「太陽系外惑星の発見」です。このたびのご栄誉、誠におめでとうございます!
太陽以外の恒星をまわる「系外惑星」は、50年以上探索してもなかなか見つけられませんでした。しかし、マイヨール博士が1995年に、約50光年の距離にある太陽に似た恒星「ペガスス座51番星」をまわる系外惑星を、初めて発見しました。
京都賞受賞者でノーベル賞(#NobelPrize)を受賞された方は、今回を含めると11人目となりました。
https://www.inamori-f.or.jp/2019/10/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%8C%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E3%81%AB/

『広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由』

チャールズ・L・アドラー/著、松浦俊輔/訳 青土社 2014年発行

科学でスポックを探すと 系外惑星と系外移住 より

他の星系に生命がいるという考え方は古く、少なくとも古代ギリシャの頃から人々が想像を巡らせる元だった。それでも、太陽系の外に生命を探そうという本格的な科学の試みが出て来たのは1960年代になってからで、当時は片隅の試みだった。カール・セーガンやフィリップ・モリソンなどの有名な研究者が何人もこの研究に参加したが、十分な資金は出してもらえなかった。どんなに熱心な関心を抱く人にとっても、ずっと片隅の研究にとどまっていた。
それが大きく変化したのは1990年代で、この研究は片隅から現代天文学の中心的な位置へと移動した。今の研究資金は1990年代になる前に比べると何百倍にもなっている。そうなった理由としては、このテーマへの関心が増えたからというよりも、技術が発達したからというほうが大きい。
     ・
1960年代には、太陽系には他に高度な生命がいるところはないことが明らかになったので、関心は他の太陽系に仮想される惑星の生命に向かった。とはいえ、他の太陽系へ旅行するためのエネルギーコストはとても手が出ないほど高く、いくら相対性理論があると言っても、時間もかかる。そのため、太陽系の外にいる生命を遠くから探知するというほうへ焦点は移った。ジュゼッペ・コッコーニとフィリップ・モリソンは、1959年、電波望遠鏡を使えば、10光年以上離れたところから高度なエイリアン文明が出す電波あるいはマイクロ波が検出できることを指摘した。
1960年代は電波望遠鏡の時代で、この種の望遠鏡が無数の発見をして、とりわけビッグバンの熱による背景放射やパルサーを検出したのもこの時期だった。実は、1962年、ジョスリン・ベル=バーネルが初のパルサー発見となる電波信号を検出したとき、その信号が周期的なことから、最初は地球にコンタクトを試みるエイリアンからの信号だと考えられた。この信号は当初LGM-1という名を与えられたが、この略号は「小さい緑の人」のことだった。私は1959年から1993年までの時代をSETI時代と呼ぶ。地球外知的生命探査が栄えた時期だからだ。さしあたり、カール・セーガンやフランク・ドレイクが最初に組織し、後にスティーヴン・スピルバーグなどが資金を出して、いくつかの知的エイリアン探査計画が実施され、電波あるいはマイクロ波の回路で地球にコンタクトを試みる異星の種族を探したが、見つからなかった。
1960年代には、系外惑星(エクソプラネット)――太陽系の外にある惑星――を探知することは不可能だった。そのため研究者は知的生命が送ってくる信号を探そうとした。それ以外に信号を検出するすべはなかった。

しかし状況は変化して、1993年には、地上の光学望遠鏡が他の恒星を公転する最初の惑星を探知した。その後700以上の系外惑星が確認されており、さらに候補は2000を超える。

太陽系の惑星は、今や圧倒的少数派となっている。ほとんどの惑星は、宇宙に設置された観測装置――最初はハッブル宇宙望遠鏡、さらに最近になるとケプラー探査機――で発見されているが、他にも多くの地上、宇宙、両方の検出装置で見つかっている。
現代の技術をもってしても、当のそのものを撮影された系外惑星はほとんどない。

じじぃの「緊迫する香港デモ・緊急状況規則条例・マスク禁止の波紋!プライムニュース」

香港“マスク禁止法”発動 警察発砲で14歳負傷

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=WIkyG-bHjIs

大規模デモが続く香港

周庭氏「こんなバカバカしい法律」覆面禁止法に怒り

2019年10月4日 日刊スポーツ
中国本土に容疑者を引き渡せるようにする逃亡犯条例改正案をめぐる抗議行動が激化する香港で4日、林鄭月娥(リンテイ・ゲツガ)行政長官が会見を開き、デモ参加者がマスクなどで顔を覆うことを禁じる「覆面禁止法」を制定したと発表した。
一方、市民は猛反発し抗議運動が過熱した。民主化運動家の周庭(アグネス・チョウ)氏(22)はツイッターで「香港の終わりの始まり。香港政府は今日マスクを禁止できれば、明日は夜間外出を禁止でき、明後日はインターネットも禁止できます。とにかく、政府の権力は無限大となり、市民の権利と自由が全部奪われます」などと批判した。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201910040000651.html

プライムニュース 「緊迫香港!市民×警察 “発砲”続くデモ対応 習近平政権の危機感は」

2019年10月8日 BSフジ
【キャスター】竹内友佳、反町理 【ゲスト】佐藤正久(前外務副大臣 自由民主党参議院議員)、朱建榮(東洋学園大学教授)、野嶋剛(ジャーナリスト 大東文化大学社会学部特任教授)
今月1日、北京で建国70周年軍事パレードが行われた日、香港では抗議活動のデモが行われ、参加した男子高校生が警察の発砲で一時重体になる事件が起こった。
一国二制度」のもと高度な自治が認められてきた香港と中国の関係が緊迫感を増し、台湾問題への影響も不可避との見方もある中、アメリカは上下両院の外交委員会で「香港人権・民主主義法案」を可決し、香港問題への関与を強める動きを見せている。
建国70周年軍事パレードで軍事力強化を世界にアピールした中国。10日からは“米中貿易戦争”を巡る閣僚級協議がワシントンで始まるが、果たして政治体制・軍事・経済など、多岐にわたって対立する“米中覇権争い”は今後どうなっていくのか?米朝交渉が再び動き出す中、国交樹立70周年を迎え関係強化を進める中朝。米中の思惑が複雑に絡み合う北朝鮮問題はどこに向かっていくのか?
●検証!緊迫する香港デモ 中国政府の対応と日本の向き合い方
香港デモについて
佐藤正久、「デモ隊に参加した人から見れば、いま声をあげなければ恐怖が社会全体を覆ってしまい、今後何も言えなくなってしまうという思いが強い。一方で、香港政府が緊急法を出したということは、高度な自治をうたった一国二制度が機能不全に陥っていることの表れな気もする。警察官が5000人も出てデモを鎮圧できていない。10月1日の国慶節も終わったので、中国の中央政府と香港政府が調整して緊急法を出してでもデモを力によって鎮圧する方法に舵を大きく切った」
野嶋剛、「現状は悪化の方向に向かっている。緊急法によるマスク禁止によって対話、歩み寄りの機会さえ奪いかねない。楽観的にはなれない状況」
●検証!緊迫する香港デモ “マスク禁止”の波紋
今年6月以来、香港デモが4ヵ月以上続いている。
先週、香港政府がデモ隊のマスク着用を禁止したことで市民の反発をより強める結果となっている。
マスク禁止は緊急状況規則条例として施行された。
緊急状況規則条例は1922年、英国の植民地時代に制定され、立法会(議会)の同意なしに、行政長官の権限で規則を設けることが可能。
1967年の反英暴動以来、52年ぶりの適用。
集会でのマスク着用禁止は5日午前0時に施行され、違反した場合は禁錮1年、または罰金2万5000香港ドル(約34万円)。

デモ参加者は警察と衝突する少数の「勇武派」と多数の「和理非(平和、理性的、非暴力)派」に大別される。

香港の集会でのマスク着用禁止について聞く。
朱建榮、「6月、7月は大規模な抗議があり、その後は一部の人。勇武派と和理非派の2つが2014年の雨傘運動の時には両者が対立していたが、今回は両者が合流している。今まではマスクをしても火炎瓶を投げたり行動を取るまでは捕まえられないが、今は着けるだけで逮捕できる。2つを分断する意味がある。マスクとは個人の識別ができないような顔全体を覆うという定義がある」
野嶋剛、「2つの狙いがある。1つはデモ隊に精神的なダメージを与える。マスク、ヘルメット、黒シャツが香港デモにおいて一種の象徴。マスクを禁止することによって運動の士気を崩す部分があった。もう1つは恐怖を与える。全ての抗議行動はビデオに撮っているので、顔認証システムが進んでいるので、マスクはデモ参加者の安全を守っている。それをできなくさせて、デモを挫こうとしている。勇武派と和理非派を分断させるには逆効果」
朱建榮、「大半の市民が抗議運動から手を引いている。香港の警察が対応できないのは実働部隊が2万5000人しかいない」
佐藤正久、「普通のマスクをした人も捕まった。小学生まで捕まっている。警察が捕まえている映像も出ている。香港デモに対して警察が暴力的な取り締まりをやったということで火に油を注いで、今回の緊急法でもっと大きな油を焚べてしまった。なぜ緊急法でマスク禁止法をやったのか。16日から始まる議会で作ればいい。マスク禁止法は口実であり、本丸は緊急法。力によって押さえつけるというステージに変えた」
●検証!緊迫する香港デモ “緊急状況規則条例”の危機感
香港デモについて聞く。
佐藤正久、「行政長官の指揮下に警察はいる。武装警察は中央軍事委員会の人たち。長官も今まで『辞めたい』など色々なメッセージを出しているが、辞められない。中央政府の意向なしには動いていない。香港政府の動きは中央政府と連携せずにはできない」
野嶋剛、「香港警察の実働は2万5000~3万人。各地で毎週のように起きている大きな攻撃行動に対処できない。確実な情報として中国から警察官が派遣されている。武装警察ではなく公安警察が来ている。香港警察と中国の公安系統が一体化している。その中において主導権は表面的には香港側にあるが、香港警察の行動の中にかなり中国の意向が入る余地が出ているし強まってきている」
朱建榮、「日本人記者が現場で撮った写真で、現場の責任者は英国人だと言っている」
●検証!緊迫する香港デモ 「一国二制度」の維持と限界
香港の「一国二制度」は1997年、英国から中国への香港返還時に採用。
内容は
「返還後50年間、資本主義を維持し、独自の政治精度を容認」「外交、国防を除く『高度な自治』を容認」「香港基本法憲法に相当)『言論、報道、出版の自由』『集会、デモの自由』『信仰の自由』を明記」。
中国政府は8月以降、香港から約30km離れた深圳に人民解放軍と警察の中間に位置し、国内の治安を維持する「人民武装警察部隊」を集結させている。
香港の「一国二制度」について聞く。
朱建榮、「6月から香港デモが起きた。6月、7月にデモが大きくなったのは北京が予想していなかった。8月、武装警察の演習などをやって香港に圧力を加えて沈静化しようとしたが効かなかった。9月に入ってから中国側の対応が変わってきた。8月末まで中国は香港に対し暴乱、テロリストに近いと言っていたが、9月以降は言っていない」

野嶋剛、「6月、7月あたりは民主派からデモの申請が出るとOKを出していた。8月、9月になると安全上の理由でデモ自体を禁止する傾向が出てきた。結果、デモ自体が違法となり悪循環になる。デモや集会は自由なので全て認めるべきだが、中国の出先機関に近いなど様々な理由をつけて禁止する結果、本来平和的な形で行われるはずだったデモも事実上トラブルが起きやすくなった」
佐藤正久、「香港の中で収めようと中央政府はしているが、逆に言うと非常に怖いことが起きかねない。緊急法を使いながら厳しいことをやればやるほど泥沼化する可能性がある」
●検証!緊迫する香港デモ 米国の関与と狙い
香港デモについて聞く。

香港デモ “5つの要求”

・「逃亡犯条例」改正案撤回
・警察の「暴力」に関する独立調査委員会の設置
・デモを「暴動」とした定義の撤回
・逮捕されたデモ参加者の釈放
普通選挙実現
米国には1997年、香港返還に合わせて発効された香港に関税やビザ発給での優遇措置を認める「米国香港政策法」がある。
先月25日、米国上下両院の外交委員会は「香港人権民主主義法案」を可決。
「米国香港政策法」の優遇措置継続の是非を判断するため、香港自治の現状に関する年次報告作成を国務省に義務付けるもの。
今後、上下両院の本会議で可決され、トランプ大統領が署名すれば成立。
朱建榮、「政治活動は加減が大事。それを香港が分かっているか。北京が手を出さないのは、手を出すということは一部の過激派の罠。問題の根っこは香港自身にあるが、米国が利用しているのは間違いない」
佐藤正久、「大事なことは元々米国も日本も中国も、自由と基本的人権と法の支配を求めている。根本の価値観からして、今の香港は危うい。基本的な価値観ということに対してどうなのか。オバマ政権の時とトランプ政権が違うのは、オバマ政権は中国に寛容政策をとりすぎて、南シナ海の問題も知的財産権も騙されたと思っているため中国に対して厳しいものがある。今の香港の状況を真剣に見ていただきたい」
朱建榮、「そうであれば、サウジという国が記者を殺したり国内にも人権がない。それに対して共通の価値観をどうして適用しないのか」
佐藤正久、「米国も自国の国益を考えながら外交というのは現実と理想をどうやって合わせるかで動く」
●検証!緊迫する香港デモ 香港の重要性と存在感
米国の政策に対する中国外務省の発言について。
野嶋剛、「現状中国は経済的に外貨が不足している。為替が自由に取引できる香港を通じて調達する。香港という存在は中国にとって不可欠。米国の香港政策法に支えられている。習近平体制になってから締め付けが強まり、香港にも台湾にも強硬になっている。この法律の前提が変わってきている。米中がそれぞれの思惑があるのは当然。そういう大国の思惑を利用しなければ香港の思いは到達できない。台湾や日本にも言えるが、米国と中国の間でいかに自分たちの利益を最大化することを考えないといけない。香港の民主化を求める人達は米国の力を利用することがプラスになると思っている」
反町理、「香港のビジネス界を仕切っている人達から見たら、デモの人達はコマに過ぎないのか」
野嶋剛、「香港の財界の人達は基本的に親中派で懸念している。雨傘運動と違うのは逃亡犯条例に対して、エスタブリッシュメントなグループも反対している」
朱建榮、「香港の経済界は中国とうまくやりながら最大の利益をとってきた」
野嶋剛、「香港の人達が、物価が上がって貧しくなったからこのデモに参加しているというのは賛成できない。1人当たりGDPは日本より高い」
佐藤正久、「中国政府は人権を言われるのが嫌。自由や基本的人権、法の支配を全世界が注目している」
【提言】 「日本の対中外交かくあるべし」
佐藤正久 「関心+言うべき事は言う」
 日本政府は香港問題に関心を持っていることを発信すべきた。基本的人権についてもしっかり言うべきだ。
朱建榮 「アジアの繁栄・安定に共通の責任」
 日本は中国と共にリーダーとしてアジアの繁栄のために一緒に考えてほしい。
野嶋剛 「台湾、香港、人権も忘れずに」
 日本と中国が接近していくのは必然だ。だが、台湾、香港、人権については全部つながっている。日本はアジアの自由主義のリーダーとしてしっかり発信してほしい。
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html

じじぃの「科学・芸術_907_尊厳死・安楽死」

NHKスペシャル 彼女は安楽死を選んだ

NHK安楽死「彼女は安楽死を選んだ」の動画と感想は?話題になった理由

2019.06.14 monamona
NHKスペシャルで放送されて話題となった「彼女は安楽死を選んだ」。
海外で安楽死をすることを選んだ多系統萎縮症の小島ミナさんの密着取材を放映しています。
驚くことは「小島ミナさんが亡くなる瞬間」まで放送されていることです。
https://monamona2525.com/archives/2850

安楽死を遂げた日本人」に密着 私たちに問いかけたこと

2019.06.11 週刊ポスト
「映像が目に焼きついて眠れなかった」……NHKには放送翌日までに約300件もの感想が視聴者から寄せられたという。
NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』(6月2日放送)は、スイスで安楽死を遂げた初の日本人女性に密着し、最期の瞬間まで映した衝撃の内容だった。その女性に寄り添い、番組に協力したジャーナリストで『安楽死を遂げた日本人』著者の宮下洋一氏がレポートする。
https://www.news-postseven.com/archives/20190611_1388659.html

安楽死で死なせて下さい』

橋田壽賀子/著 文春新書 2017年発行

尊厳死との違い より

安楽死尊厳死は、別ものです。いわゆる安楽死とは、あえて致死薬を処方してもらう「積極的な安楽死」。それに対して尊厳死とは、延命治療を拒否することで死期を早める、いわば「消極的な安楽死」です。
日本では安楽死は認められていませんが、尊厳死は認められています。
日本尊厳死協会という団体も、1976年からあります。小泉純一郎元総理が入会したことでも話題になり、最近は漫画家の蛭子能収さんが会員になったそうです。80%が65歳以上だそうですが、会員は11万人を超えているとか。男女比を見ると、女性が男性の2倍というところが面白い。平均寿命が関係しているのかもしれませんが、男性は往生際が悪く、女性の方が潔いのかしら。
日本尊厳死協会は、「リビング・ウイル――終末期医療における事前指示書――」に署名しておき、医療機関に提示することを勧めています。その内容は、以下の通りです。
 [この指示書は、私の精神が健全な状態のある時に私自身の考えで書いたものであります。
 したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、すでに死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。
 ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。
 私が回復不能遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持装置を取りやめてください。
 以上、私の希望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。]
日本尊厳死協会には、私もだいぶ前に入会しました。でもまだまだ死にそうもないので年間2000円の会費が惜しくなり、払わなくなってしまいました。90歳を目前に終活を考えるようになったので、改めて入っておかなければいけないなと思っているところです。

安らかに、楽に、死なせてください より

私が言っているのは、人によっていろいろな考え方があっていい。その人の考え方に応じて、死に方の選択肢があってほしいということです。
自分が世の中の役に立たず、迷惑だけかけるようになったと思ったら、私は生きていたくありません。命を奪うのは可哀想と思わず、安楽死させて下さい。それが私の最後のプライドです。
この人にこれ以上惨めな思いをさせたら、本当に死に切れないに違いない。まだ惨めさの見えないいまのうちに死なせてあげることが、この人の幸せだ。そう思ってくれることが、安楽死だと思います。
安楽死という言葉を使うと、どこか仰々しくなりますね。簡単に言えば私は、”安”らかに”楽”に死にたいのです。

じじぃの「昏迷する日韓関係・文政権批判・韓国デモ変質の正体は!プライムニュース」

韓国300万人デモの真相! 文在寅VS米CIA!? ど~なるチョグク!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XDbG2_drb1c

韓国 保守派 デモ

韓国騒然!反文デモに“300万人”集結 「文氏を大統領の座から引きずり下ろす!」声を上げた退役軍人

2019.10.4発行 夕刊フジ
韓国の首都ソウルで、想像を絶する大規模集会が開かれた。最大野党「自由韓国党」が3日、チョ国(チョ・ググ)法相の辞任や、文在寅ムン・ジェイン)政権の打倒を訴える集会を開いたところ、「300万人以上」(同党広報室)が集まったというのだ。退役軍人会や、キリスト教団体、大学教授、学生らも参加した。チョ氏周辺のスキャンダルや、韓国経済の危機的現状、北朝鮮主導の「赤化統一」への警戒・拒否感から、文政権への批判が一気に高まっている。識者は「文政権崩壊の時限爆弾に火を付けた」と語る。隣国はまた動乱期に突入した。
「むいてもむいても(疑惑が)出てくる『タマネギ(男)』に、法相の資格があるのか!」
自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表は3日の大規模集会で、チョ氏絡みの疑惑が次々と浮上していることを受け、こう辞任を要求した。
文政権が、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を一方的に決定したことについても、黄氏は「氏から関心をそらすためだったのではないか」と訴えた。北朝鮮が当日朝、新型潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)を発射するなど、国民が自国の安全保障に不安を感じていることを踏まえた発言といえる。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191005/for1910050001-n1.html

プライムニュース 「緊急検証!米朝協議 ▽文政権“反日の本音” 韓国デモ変質の正体は」

2019年10月7日 BSフジ
【キャスター】竹内友佳、反町理 【ゲスト】新藤義孝自由民主党政務調査会長代理)、武藤正敏(元駐韓国特命全権大使)、クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)、平井久志(共同通信客員論説委員 元ソウル支局長)
新たなステージへ動き出した半島情勢を徹底検証する。
米朝実務者協議を5日に開催すると北朝鮮が発表。しかし、協議開催を発表した翌日に、北朝鮮が潜水艦発射型とする弾道ミサイルSLBM)を日本海の排他的水域に向けて発射。北朝鮮の軍事的動きの思惑とは何なのか?今後の米朝協議にどのような影響をもたらすのか?
一方、韓国では、法相に任命された曹国(チョ・グク)氏の疑惑をめぐる動きが活発化。検察側はチョ氏の自宅を家宅捜査し、ソウル中央地検はチョ氏の妻を聴取するなど検察の捜査は山場を迎えている。チョ法相を支持する市民とチョ氏退任を求める保守派の集会も活発化し、世論を巻き込んだ動きは、韓国文政権にどのような影響を及ぼすのか?
 そして日本は半島情勢の“今”をどのように見て対応を考えるべきなのか?
●昏迷する日韓関係の今… 今後の展望はあるのか?
史上最悪と言われる日韓関係。好転するとすれば何がきっかけになるか。
クォン・ヨンソク、「せっかく日韓関係が悪くなっているので、根本的に日韓の違いを本格的に対話するというのがいい。この間日韓の経済界の交流があった。今政治によって経済とか交流が被害にあっている。天皇の即位とかGSOMIAの期限切れの日までなんとか。韓国としては輸出管理のホワイト国から外したことを元に戻してほしい。徴用工の問題はまた別に議論すれはよい」
平井久志、「(展望は)無い。文政権と安倍政権は一種のミスマッチだ。ミスマッチだからこそ歯止めを考えないといけない。来年大法院の差し押さえで現金化が起こる。現金化が起こればますます日韓は最悪になる。そこまで行く前に知恵を出し合う」
武藤正敏、「今まで韓国を大事にするから日本が譲ってきた。文大統領の歴史認識それから日本になんでも突っかかる。旭日旗の問題も日本が軍国化しているとか言い出してからだ。一言で言えば文大統領が変わる以外にない」
新藤義孝、「安易に妥協しない。歴史を直視してそれを前提にして日本も向き合っていく」
【提言】 「日本は今、韓国にどう向き合うべきか」
武藤正敏 「国際法の遵守 歴史の客観的理解」
 国際法の遵守とは徴用工の問題。日韓の請求権協定を根本から覆すようなことはしない。それから歴史を客観的に見るということ。
平井久志 「韓国をあっち側へ追いやってよいのか」
 韓国にいろいろ問題があるのは事実。しかし韓国を中国やあっちの側に追いやってしまったら日本の外交・安保・経済に大きな変化をもたらす。引き留めておいたほうがよい。
クォン・ヨンソク 「”キャンドル”への理解」
 韓国に対して異論があると思うが、キャンドルというのはこれからの韓国のキーワード。これから日本が突き合う世代はキャンドル世代だ。彼らは自由と平和と民主主義と人権を主張している。彼らはデモというより楽しく行動している。もう少しキャンドルへの理解が必要。
新藤義孝 「同一性の確立」
 韓国は8・15日に光復節で独立したはずなのに今は4・13日に独立運動を戦って勝ち取ったと文在寅さんは大きくすり替えようとしている。北朝鮮からも非難されている。日本が悪いと言いながら法律や制度は全部日本のコピーです。そして日本の支援で国が大きくなった。どうやって歴史を作ってきたのか認識した上で日本は隣国として友達として付き合いたい。
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html

じじぃの「科学・芸術_906_ミチコ・カクタニ『真実の終わり』」

愉しみながら死んでいく ―思考停止をもたらすテレビの恐怖―

読書メーター
●感想・レビュー
マホどころかネットすらない30年前に出た本。「愉しみながら死んでいく」とは皮肉なタイトルだ。
テレビは世界を変えたのか。家族共通のものだったテレビは、一人一台所有されチャンネル争いもなくなり、スマホでもテレビを見る時代。家族という共同体は完全に解体した。テレビに限らずメディアは大衆の心をつかむために表現が単純化し、わかりやすくから愉しく、深刻なニュースすら娯楽化された。テレビのない生活は考えられない現在、画面の前で時間を浪費し続ける人々。くだらないと思いながらも見続けるテレビは麻薬のような機械だ。

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『真実の終わり』

ミチコ・カクタニ/著、岡崎玲子/訳 集英社 2019年発行

おわりに より

洞察の鋭い1985年の著書『愉しみながら死んでいく』を通じて、ニール・ポストマンは電気プラグが可能にしたテクノロジーによる気晴らし」が私たちの文化的会話を永久に塗り替えていると論じた。それは、より些細な、取るに足らぬものになり、伝達される情報も「単純に割り切った、実質のない、非歴史上の、文脈のないものに、つまりエンターテインメントとして梱包された情報」と化していると。
「我々の聖職者や大統領、外科医や弁護士、教育者やニュースキャスターたちは」とポストマンは書いた。「自らの専門分野の要求よりも演出術を気にかけるようになっている」。
「電気プラグ」とはテレビを指していたが、ポストマンの考察はインターネット時代にもっとぴったり当てはまる。データ過多により、もっとも明るく光るもの、すなわち最も大きな声または最も常軌を逸脱した意見が私たちの注意を引き、最も多くのクリックと熱狂を獲得するようになった。
『愉しみながら死んでいく』でポストマンは、オルダス・ハクスリーが『すばらしい新世界』で描いたディストピア図(薬物と軽薄なエンタテインメントで麻痺した人々が催眠性の人生を送る)と、ジョージ・オーウェルが『1984年』で創作した世界(人々はビッグブラザーの抑圧的な専制支配の下で暮らす)とを比較した。
オーウェルは我々から情報を奪う者を恐れた」とポストマンは記した。「ハクスリーは、我々が受動性とエゴイズムに陥るまでに多くを与える者を恐れた。オーウェルは真実が我々から隠されることを危ぶんだ。ハクスリーは無意味な物だらけの海に真実が溺れることを危ぶんだ」。
ポストマンが言うには、ハクスリーのディストピアは20世紀後半に既に実現しつつあった。全体主義国家に対するオーウェルの懸念がソ連に当てはまる一方で、西側のリベラル民主主義国家への脅威(これが1985年のことだったと覚えておいてほしい)は「あからさまにつまらない事柄」によって麻痺するあまりに、責任ある市民として関与できない人々をめぐるハクスリーの悪夢によって象徴されているとポストマンは主張した。
ポストマンによるこれらの考察は時代を先取りしておりジョージ・ソーンダースによって繰り返されることになる。2007年のエッセイ『The Braindead Megahone(脳死のメガホン)』で彼は、全国規模の会話がO・J・シンプソンやモニカ・ルインスキーを扱う長年の報道によって危険なほど脱落したと論じた。我々の国単位の言語は俗物化され、同時に「攻撃的で、不安を呼び起こし、感傷的で、対立を煽る」あまり、イラクを侵略しようかと真剣に議論を試みる時が訪れた頃には「我々は無防備だった」と彼は述べた。我々が手にしていたのは「O・Jなどを論じるために使っていた未熟で誇張的な道具一式」だけだぅた。それは彼がメガホン男と呼ぶ、耳障りな知ったかぶりの何も分かっていない人物が叫ぶ戯言(たわごと)だ。そのハンドマイクは知能レベルが「バカ」音量が「すべての他音をかき消す」に設定されている。
しかし、ハクスリーに関するポストマンの考察にいくら先見の明がある(そしてハクスリーが私たちの気晴らしの新時代を予知していた)とはいえ、彼がオーウェルディストピアの実際的な重要性を過小評価していたことも明らかだ。あるいは、トランプとその政権が真実の概念そのものに対して犯す攻撃が『1984年』を再びタイムリーにしているのかもしれない。読者もこれを認識し、トランプ就任の月に『1984年』とハンナ・アーレントの『全体主義の起源』をベストセラー・リストへ押し上げた。

じじぃの「ノーベル文学賞2019・今年はこの2名の日本人が候補に!」

(^○^) ワーイ!

2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池を発明した旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した。

ノーベル文学賞 的中の本

ノーベル文学賞 今年はこの2名が候補に

ノーベル賞文学賞予想に多和田葉子さん登場 スキャンダルで異例の2年分の受賞者発表

2019.10.3 産経ニュース
ノーベル文学賞は昨年、選考主体のスウェーデン・アカデミー関係者による性的暴行疑惑などを理由に受賞者発表を見送った。2年ぶりとなる10日の受賞者発表では、2018年の受賞者と今年の受賞者が同時に発表されることになっている。スキャンダルによって権威失墜の危機に陥った同賞が、信頼回復に向けた試金石となる発表で、どんな名前を呼び上げるのか注目されている。
欧州のブックメーカー(賭け屋)の受賞者予想では、村上さんは賭け率9倍で3番人気。同じブックメーカーの予想には、賭け率21倍で、日本人作家の多和田葉子さん(59)が初登場している。もし受賞すれば日本人女性では初の快挙となる。
https://www.sankei.com/life/news/191003/lif1910030020-n1.html

世界中の「ノーベル文学賞」候補作家を詳しく解説! 『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品』を、9月16日に発行

2014年9月1日 Infoseekニュース
株式会社青月社(所在地:東京都千代田区代表取締役:望月 勝)は、『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品』を2014年9月16日に発行いたします。
村上春樹からボブ・ディランまで。世界で話題の文学は、こんなにも面白い!
毎年10月に発表される、ノーベル文学賞。今年こそ村上春樹が受賞するのではと話題にはなりますが、そもそもどんな作家が候補者なのか、どんな基準で選ばれているのかなど、その実情は意外と知られていません。そこで、ノーベル文学賞候補者と噂される作家ばかりを紹介した文学ガイドが登場します
https://news.infoseek.co.jp/article/atpress_50207/
どうでもいい、じじぃの日記。
10月6日、「NHKニュース7」で、こんなことを言っていた。
ノーベル文学賞 去年見送りでことしは2年分発表へ
ノーベル賞の発表の予定
7日:医学生理学、8日:物理学、9日:化学、10日:文学、11日:平和、14日:経済学。
ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』の本を紹介。
スウェーデンアカデミーはセクハラなどのスキャンダルで、去年文学賞の発表を見送った。
そのため、2年分の受章者が発表される。
2015年、旧ソビエトの実態を描いたベラルーシの女性作家・スベトラーナアレクシェービッチが受賞。
2016年、ベトナム戦争に反対する歌が人気を集めたボブディランが受賞。
ノルウェイの森」「1Q84」などベストセラーの常連で世界的な人気作家・村上春樹も“文学賞に最も近い”作家に含まれている。

じじぃの「歴史・思想_60_オーストリアの歴史・ウィーン・合邦のトラウマ」

日本と韓国、ドイツとオーストリアの関係の違いについて教えてください。 Yahoo!知恵袋

回答
指導者と民族性の問題だと思う。
日本の統治が効かなくなり、大韓民国が立国したときの指導者は李承晩です。
約35年間の日本統治下で韓国国民はかなり日本人化が進んでいたみたいです。それを気に入らなかった李承晩は国民に反日感情を植え付け、韓国人化を試みました。
日本を敵にすることで国民の感情をコントロールし、今のようにDNAに刻まれるまでに至ったわけです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11191177766

『物語 オーストリアの歴史-中欧「いにしえの大国」の千年』

山之内克子/著 中公新書 2019年発行

ヒトラーリンツ より

1938年3月、ドイツへの併合か、国家としての独立かを問う国民投票の計画を中止させ、最後までナチス支配に抵抗した首相クルト・シュシュニックを退陣に追い込んだアドルフ・ヒトラーは、ただちにオーストリアに対する進軍を開始した。ミュンヘンから国境に向かった隊列はイン河を渡り、各地で住民の大歓声を浴びながら首都を目指す。この無抵抗のオーストリア信仰作戦において、リンツはまさしく、ナチスドイツ軍を迎えた最初の都市となったのである。

1938年3月15日、英雄広場――内側から来た侵入者 より

「帝都フォーラム」が鮮やかに象徴した王朝によるゆるぎない絶対支配の理想は、政治のあり方としてすでに時代に逆行したものになっていった。とりわけ、民族も言語も異なる諸地域を1人の君主のもとに治めようとするハプスブルグ家の意図は、時とともに各地で大きな齟齬と摩擦を生むようになった。そして、その不協和音を激しい断末魔へと変えたのが、1914年のサラエボ事件にほかならない。ハプスブルグ君主国は第一次世界大戦を引き起こし、そして4年後には地図上から消滅することになる。
それに伴なって、ウィーンは、輝かしい君主国の帝都から新しい小共和国の首都へと、その役割を縮小させた。数世紀にわたり、政治、経済、文化、芸術における唯一無二の中心地だった都市は、いまや、社会不安に苛まれた新生国家の、いわば「形ばかりの首都」になり下がった。しかも、保守的な傾向が強いオーストリア国内において、左派の社会民主党が圧倒的な支持を得て政治を牛耳るこの首都は、他州の人びとの憎悪を掻き立てずにはいなかった。さらに、1921年、国内の人口バランスを主たる理由として、ウィーンがニーダーエスライヒ州から切り離され、全国で唯一、一都市でありながら独自の州政府を構成するようになったとき、この「嫌悪され、疎外された首都」の図式は、いよいよ決定的になったのだった。
しだいに悪化する経済状況と長引く物価高、民族国家として独立した周辺諸国の共産化、そして、互いに対立を深め、ついに市街戦をも引き起こした社会民主党キリスト教社会党の抗争。未来が見えない状況のなかで、人びとは、オーストリアという国のアイデンティティそのものを自問するようになっていた。オーストリアの存在意義とは何か。ドイツ人の国でありながら、ドイツであってはならないのか。
その問い掛けに、あまりにも暴力的な解答の可能性を突きつけたのが、アドルフ・ヒトラーであった。第一次世界大戦後のサン・ジェルマン条約はドイツとオーストリアの合邦を禁じていたが、ドイツへの帰属意識は時とともに国民の間で強い思いへと変わっていた。そして、こうした世情に乗じてナチスドイツが国際条約を破ってオーストリア併合に向けて動き出したとき、ドイツに心を向けた多くのオーストリア人は、これを心底から歓迎したのである。
オーストリア制圧作戦を発動させたアドルフ・ヒトラーは、1938年3月13日、いよいよ首都ウィーンに入城した。その2日後、かつて「帝室フォーラム」の中心として構想された王宮前の英雄広場で彼が行なった「オーストリア合邦宣言」演説の歴史的写真と映像は、当時の人びとの精神状態をも明快に映し出すものである。「私自身の故郷であるオーストリアをドイツに合邦」することを強い口調で宣したヒトラーの前を、リングシュトラーセの建造物の優雅なシルエットを背景に、魅入られた様子の数万人の市民が立錐の余地がないほどに埋めつくしている。その演説の妙は、これほどまでに人の心を強く捉えものであったのだろうか。
ヒトラー自身が演説で明言したように、彼はまさしくオーストリアに生を享けた同国人であった。1907年には芸術アカデミーを受験するためにウィーンを訪れ、不合格通知を受け取ったのち、失意のうちにしばらくこの街をさまよっている。こうした経緯からも、ヒトラーにとって「合邦宣言」は首都への凱旋を意味していたに違いない。
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ヒトラーという「国内から来た侵略者」による侵攻を通じて、多様な民族と言語、文化が交叉する「境界の街」としてのウィーンの歴史に、ひとまず長い休止符が打たれることになった。彼によってもたらされた悪夢のような十数年間を経て、冷戦からベルリンの壁崩壊、難民の時代へと、まったく新しい展開を見せる現代史の流れのなかで、ウィーンがふたたび、あまたの国家と民族、言語と文化をつなぐ結節点としての役割を果たすようになるまでには、この「合邦」のトラウマを克服するための長い時間と努力が必要となったのである。