じじぃの「死ぬということ・第7章・認知症!死の雑学」


素敵な出逢い…感動 感激 Oh、Brava!!

2017/06/08 内藤 定一さん|多度津から懐かしいシーンが
19年間、アルツハイマーを患った奥様を介護しつつ、その生活から成された心境を短歌で数多く残した歌人、内藤 定一さんの絵画展が仲多度郡多度津町で開催されます。
歌集「スロー・グッバイ」の作者としても知られる内藤さんは、3年半前に90歳で亡くなられるまで、多度津町内外の風景をスケッチや写生で数多く描かれたことでも知られます。
https://marmalade3232.ashita-sanuki.jp/e1016605.html

認知症界のレジェンド」長谷川和夫さんが残したもの

2021/12/02 読売新聞
真っ先に挙げられる功績「長谷川式スケール」
その功績として真っ先に挙げられるのが、74年に公表した「長谷川式簡易知能評価スケール」(91年に改訂版を公表)だろう。
「これから言う3つの言葉を言ってみてください。桜、猫、電車」「100から7を順番に引いてください」などの質問から成る、診断に使われる認知機能検査だ。物忘れ外来などで、「長谷川式スケール」による検査を受けた人も多いのではないか。
https://www.yomiuri.co.jp/column/anshin/20211130-OYT8T50006/

中公新書 死ぬということ――医学的に、実務的に、文学的に

黒木登志夫【著】
【目次】
はじめに
第1章 人はみな、老いて死んでいく
第2章 世界最長寿国、日本
第3章 ピンピンと長生きする
第4章 半数以上の人が罹るがん
第5章 突然死が恐ろしい循環器疾患
第6章 合併症が怖い糖尿病

第7章 受け入れざるを得ない認知症

第8章 老衰死、自然な死
第9章 在宅死、孤独死安楽死
第10章 最期の日々
第11章 遺された人、残された物
第12章 理想的な死に方
終章 人はなぜ死ぬのか――寿命死と病死

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『死ぬということ――医学的に、実務的に、文学的に』

黒木登志夫/著 中央公論新社 2024年発行

「死ぬということ」は、いくら考えても分からない。自分がいなくなるということが分からないのだ。生死という大テーマを哲学や宗教の立場から解説した本は多いが、本書は医学者が記した、初めての医学的生死論である。といっても、内容は分かりやすい。事実に基づきつつ、数多くの短歌や映画を紹介しながら、ユーモアを交えてやさしく語る。加えて、介護施設や遺品整理など、実務的な情報も豊富な、必読の書である。

第7章 受け入れざるを得ない認知症 より

  ひっそりとこの世のとなりで生きているアルツハイマーの妻と私と  内藤定一

  徘徊の妻連れ戻る黄昏れてようやく街に灯の点る頃         同
   
内藤定一夫妻は、ともに旧国鉄職員。その妻が、定年退職のときにアルツハイマー病になった。この2首には、現実を受け止め、妻に寄り添いながら、ひっそりと生きている様子がうかがえる。夫は、「それゆけ、ハイカイ号」と名づけた自転車で、妻のハイカイに付き合ったという。本文中に引用した短歌のように、「ほんもののやさしさだけ」が2人の間を結びつけていたのだ。

2 認知症を知る

認知症」への改名
今となっては信じられないことに、2004年まで認知症の医学名、行政名は「痴呆」であった。「痴」にしても「呆」にしても「ばか」「おろか」「あほう」の意味がある。長谷川和夫(精神科医、1929~2021)によると、「痴呆症」ケアセンター長の会議で、痴呆は侮蔑的という意見が出て、長谷川を含むセンター長の連名で名前の変更を厚労省に提案し、公募を基に選考した結果「認知症」に決まった。なお、英語名のdementiaは、ラテン語のde-mentia、「理性を欠く人」という語源である。

認知症は高齢化のスピードを超えて増えている
認知症は高齢化の速度を超えて増えていることが、福岡県久山町の研究からわかった。高齢化の影響を調整しない「年齢末調整有病率」では、65歳以上人口の20%近くまで増加している。ところが、高齢者の増加を修正した「年齢調整有病率」でも認知症は増えている。年齢を調整すると減少しているがんとは対照的である。困ったことに認知症そのものが増えているのだ。

3 認知症の中核症状と周辺症状

われわれは、驚くほど多くのことをマスターして生きていることに、あらためて気がつく。場所、日時、時間、方向を認知し、過去を記憶し、社会に適応し、人間関係をうまくこなす。
テレビ、電話、掃除機、電子レンジ、スマホ、車などなどを使いこなさなければ、現代の社会を生きていられない。ところが、それができなくなるのが認知症なのである。長谷川和夫が自らの経験から、認知症を「生活の障害」と言ったのはこのことだったのだ。

認知症の症状は、大きく中核症状と周辺症状に分けられる。中核症状は大きく、次の3つである。

 ・記憶障害:単なる「もの忘れ」「ど忘れ」とは異なる。食事の内容ではなく、食事したこと自体の記憶がなくなる。物を紛失したとき、誰かにとらえたと思い込む。ガスコンロの消し忘れは火災につながりかねないので、IHコンロに替えた方がよい。

 見当識障害:今日が何月何日何曜日かがわからなくなる。外に出た時、見慣れた風景がわからなくなり、迷子になる。『明日の記憶』の主人公は渋谷の街で突然方向を失い、会社に帰れなくなった。もっとも、コロナ禍で毎日家に閉じこもっていたとき、私も新聞かスマホを見ないと曜日がわからなくなった。

 ・実行障害:何をするのも面倒になる。掃除は面倒くさい。料理もしたくない。リモコンが使えなくなる。電化製品を入れ替えると使えない。お金を払おうとしても、正確に小銭を数えることができないので、お札でおつりをもらうことになる。このため、財布は小銭でいっぱいになる。

恍惚の人
認知症がまだ「痴呆」と呼ばれていた1972年、有吉佐和子は『恍惚の人』を発表した。84歳の茂造は、妻の死が理解できず、一気にぼけが進行して徘徊するようになる。そして、次々に起こる周辺症状。

  昭子は、異様な臭気に気付いて目を醒ました。なぜか悪臭が鼻ではなく耳を貫いた実感があった。(……)茂造が四ツン這い蠢(うごめ)いている。(……)
  「何をしているの、お爺ちゃん」
  声をかけて近づいた途端にぎょっとなった。
  茂造は右掌をひろげて畳の目になりに(……)撫でていたが、その畳の上には黄金色の泥絵の具に似たものが塗りたてられていたのだ。

「弄便(ろうべん)」と言われるこの周辺症状は、介護者を一気に疲弊させる。

弄便

弄便は、認知症の症状のひとつで、おむつの中の便を素手で触ったり、その手で衣服や壁などに便を擦り付けたりする行為のこと。

有吉佐和子は、中核症状をほとんど記載することなく、いきなり「困った症状」である周辺症状を詳しく書いた。人々は、認知症とはこんなひどい病気かと思い、恐れた。彼女は「痴呆症」への注意を喚起しようと思ったのかもしれない。その功績は認めるにしても、周辺症状のすさまじさから、認知症に対して強い偏見と誤解を植え付けたという点では、「困った本」である。