じじぃの「カオス・地球_393_死因の人類史・第8章・産みの苦しみ」

【ゆっくり解説】人類は二足歩行への進化で何を得た?「直立二足歩行」の動物がいない理由を解説/四足歩行とどちらが優れている?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Pjkd_xh0H6c

産道


産後におけるからだの変化

2013年10月18日 あゆむ整骨院
ヒトの産道はS字状の急カーブをともなっています。それに対してヒト以外の哺乳類の産道は簡単にいうと直線の円筒のトンネルです。
ヒトの産道がS字のカーブを描いているのが分かります。ヒト以外の哺乳類の胎児は障害物のない一本道を出てきます。
それに比べると、ヒトの胎児は大きな頭を通すために曲がりくねったギリギリの道を回旋しながら出てきます。
http://www.ayumu-tektek.com/info/?p=245

死因の人類史

【目次】
序章 シエナの四騎士
第1部 さまざまな死因(死とは何か?;『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』 ほか)

第2部 感染症黒死病;ミルクメイドの手 ほか)

第3部 人は食べたものによって決まる(ヘンゼルとグレーテル;『壊血病に関する一考察』 ほか)
第4部 死にいたる遺伝(ウディ・ガスリーベネズエラの金髪の天使;国王の娘たち ほか)
第5部 不品行な死(「汝殺すなかれ」;アルコールと薬物依存 ほか)
結び 明るい未来は待っているのか?

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『死因の人類史』

アンドリュー・ドイグ/著、秋山勝/訳 草思社 2024年発行

疫病、飢餓、暴力、そして心臓、脳血管、癌…人はどのように死んできたのか?
有史以来のさまざまな死因とその変化の実相を、科学的・歴史的・社会的視点から検証した初の試み、壮大な“死”の人類史。

第2部 感染症 第8章 産みの苦しみ より

直立歩行が人間の出産を危険なものにした

出産は人間にとってつねに危険で、痛みをともなう行為であり続けてきた。赤ん坊が産道で詰まってしまうだけでなく、感染症にかかってしまうかもしれない。特に出産時やその直後に産婦が細菌に感染して起こる産褥熱は、17世紀のヨーロッパで多くの女性の命を奪ってきた主たる死因死因だった。このころから産院での出産が始まったものの、当時の病院には細菌が蔓延していた。

19世紀半ば、ハンガリー人の産科医センメルヴェイス・イグナーツは、産褥熱の感染を防ぐ方法を明らかにしただけでなく、清潔であることがどれほど重要なのかを示す優れた業績を残した。とくに医師の場合、別の患者の感染症を産婦にうつしてしまうことが多かった。現在、医療従事者が日常的に使用しているガウン、手袋、マスク、キャップなどの故人防護具(PPE)や消毒液、無菌環境をさかのぼれば、いずれもセンメルヴェイスがウィーンで行っていた先駆的な疫学的業績にそのままたどりつく。

いまから約500万年前、私たちの祖先は二足歩行を始め、下肢で直立歩行して、手はほかの用途に使うようになった。二足歩行する動物は皆無ではないが、なぜ人間だけが(文字どおりの)直立二足歩行をするようになったのはいまだに謎のままだ。ドイツの進化生物学者カールステン・ニーミッツが2010年に発表した論文によると、直立姿勢へと進化した理由についてが、少なくとも30もの仮説が提唱されているという。そうした説のなかには、遠くを見ることができるようになるため、歩行以外の目的で手を自由に使えるため、樹上で育つ果物を取るため、湖、森林、サバンナなどの生息環境に適応するため、体温調節が容易にできるようになるためなど、さまざまな理由があげられている。

確かな理由がなんであれ、2本の足で直立歩行することは多くの問題も同時に引き起こしていた。動物を見ればわかるように、2本の足よりも4本の足の方が速く走れるので、捕食者から逃げたり、狩りをしたりするのは難しくなる。頭部の位置が高くなり、バランスを保つのも難しくなるので転倒してケガもしやすくなる。さらに直立姿勢を維持するため、それまで以上のエネルギーが必要になり、四足歩行に最適化されていた関節に大きな負担がかかるようになった。その結果、背痛や関節炎などの病気が現れる。だが、なにより大きな違いは、出産が長時間続く痛みと危険な体験に変わった点だ。人間以外の動物は自分1人で難なく子供を産み落としている。

ヒトの赤ん坊の場合、骨盤を通過するとき、頭部に余裕らしい余裕はほとんどない。ただ、頭蓋骨はまだ閉じておらず、頭部がつぶれることで通過しやすくなっている。そのため赤ん坊は頭頂部にひし形の柔らかい部分を残したまま生まれるが、生後18ヵ月で骨の成長とともにこの部分は完全にふさがる。

赤ん坊が母親の骨盤を通る道がこれほど狭いのは、女性の骨盤のかたちそのものが直立歩行と出産の双方を可能にする妥協の産物であるからだ。出産時、ヒトの赤ん坊はほかの霊長類に比べて複雑な軌道を描き、頭や肩を回転させながら産道や骨盤のもっとも狭い部分を通らなければならない。そのため、単独で出産するほかの動物とは異なり、人間の女性が出産する際には手助けが必要になる。
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産道は複雑な構造で、そこを通る旅はひと筋縄ではいかず、赤ん坊が立ち往生してしまう可能性がつねにあり、とくに脚や尻が先に来ている場合(逆子)がそうである。今日、逆子のほとんどは帝王切開で生まれる。中世の時代、出産がうまくいかない場合には3つの選択肢があった。ひとつは何もしない。もうひとつは無麻酔の帝王切開で、この場合、母親が死亡するのはほぼ確実だった。3つ目は母親の命を優先し、赤ん坊の頭部をつぶして取り出すというものだ。時には胎児の胴体も切り刻んでから取り出す場合もあった。このような場合に備え、当時の産婆は鋭い鉤(かぎ)を携えていた。

産褥熱は姿を消した

出産における清潔さの重要性が最終的に支持されるようになったのは、19世紀後半に「微生物病原説」が受け入れられ、外科手術における感染予防技術の価値が認められるようになってからであり、そのおかげで帝王切開は当たり前の分娩方法となる。
助産婦に対しても正式な訓練を受けることが義務づけられ、イギリスでは1902年に議会で「産師法」が可決された。この法律によって、1910年以降、助産婦は正規の抗議を受け、口頭試験と筆記試験に合格し、必要な件数の出産に立ち会ったことが証明されないかぎり、分娩に立ち会ってはならないことになった。こうした一連の措置は、衛生面や栄養面における一般的な改善と相まって、ついに産褥熱による死亡率を首尾よく押し下げるとともに、乳幼死亡率も低下していき、1840年に1000人当たり39人だった死亡率は、1903年は1000人当たり12人にまで減っていた。

1930年代には抗菌作用のあるサルファ剤が登場、その後ペニシリンが発見されたことで産褥熱は制覇された。これらの薬剤を使えば産褥熱を引き起こす最近を死滅させることができた。それから20年もしないうちに産褥熱はほぼ完全に姿を消した。ありがたいことに現在では、出産で命を落とすことは非常にまれになっている。