じじぃの「歴史・思想_692_いま世界の哲学者・地球環境破壊・ロンボルグ」

ビヨルン ロンボルグは世界の問題に優先順位をつける

動画 TED
https://www.ted.com/talks/bjorn_lomborg_global_priorities_bigger_than_climate_change?language=ja

コペンハーゲン・コンセンサスで示された政策の優先順位


『地球と一緒に頭も冷やせ!』とは?――訳者・山形浩生氏に聞く

2008年07月04日 ITmedia ビジネスオンライン
本書で紹介していますが、彼は『環境危機をあおってはいけない』を書いた後で、我々にとって何が本当に大事なのか優先順位をつけてみようということで、自分だけではなく各分野の専門家に順位付けをしてもらいました(コペンハーゲンコンセンサス)。
すると、温暖化はそんな上位には挙がってこなかった。そういう試みをすることで、彼は一応自分がやったことについて責任をとっているわけです。
単にあいつの言ってることはおかしいとか、ゴアはダメだと言うだけではなく、優先順位を付けてみたら温暖化が下位になったから代わりに上位になっていることを重視しようよと提案できているのです。
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0807/04/news138_2.html

いま世界の哲学者が考えていること

岡本裕一朗(著)
【目次】
序章 現代の哲学は何を問題にしているのか
第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか
第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか
第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか

第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか

第7章 リベラル・デモクラシーは終わるのか

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『いま世界の哲学者が考えていること』

岡本裕一朗/著 朝日新聞出版 2023年発行

第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか より

第1節 環境はなぜ守らなくてはいけないのか

1970年代以来、地球環境問題が人類にとって重要な課題と認識され、国連をはじめ多くの国や組織で、繰り返し議論されてきました。たとえば、2015年にフランスで開催されたCOP21でも、20世紀末の「京都議定書」に代わるあらたな枠組みが提唱されたことは、ご存じのことでしょう。

こうした「地球環境問題」が語られるとき、いつのまにか「定着話」が形作られるようになりました。たとえば、デンマーク政治学ビョルン・ロンボルグが1998年に出版し、世界的に激しい論争を巻き起こした『環境危機をあおってはいけない――地球環境のホントの実態』(英語版2001年)を見てみましょう。そこでは、次のような物語が紹介されています。

  地球上の環境はひどいことになっている。資源は枯渇しつつある。人口は増える一方で、食糧はますます少なくなっている。空気も水も汚染は進むばかり。地球上の生物種はものすごい勢いで絶滅している。――人類は毎年4万以上の生物種を絶滅させている。森林は消滅しつつあり、漁業資源も崩壊して珊瑚礁も死につつある。人類は地球を汚していて、肥沃な表土は消滅しつつあり、自然の上を人は舗装してしまい、野生を破壊し、生命圏を殺戮し、やがては自分自身をも殺してしまうことになるだろう。世界の生態系は崩壊しつつある。われわれは絶対的な生存可能性の限界に急速に近づいてきており、成長の限界が見えつつある。

この手の「定着話」を真に受けると、やがて「人類の滅亡」が待ちうけているようにみえます。こうした話は、「地球環境のホントの実態」とは乖離しているにもかかわらず、いつのまにか、現代人の無意識になったように思われます。その例として、アメリカの元副大統領アル・ゴアが制作した映画『不都合な真実』(2006年)を挙げることができます。彼は、世界中で講演活動を行い、「地球温暖化問題」に警鐘を鳴らしました。
この活動によって、彼は2007年にIPCCとともにノーベル平和賞を受賞したのですが、この映画には事実誤認や誇張があって、必ずしも「地球」の現実を反映したものとは言えませんでした。そもそも、「定着話」が警告するように、はたして環境破壊によって、人類は滅亡するのでしょうか。

この問題を考えるために、本章では、どうして20世紀後半に、「地球環境問題」がクローズアップされるようになったのか、理解することにしましょう。というのも、「地球環境問題」が唱えられるようになったのは、近代社会の変化と密接にかかわっているからです。そして、この変化を捉えることに、「定着話」とは異なる未来への展望も開かれるのではないでしょうか。

第3節 環境保護論の歴史的地位とは

ポスモダン化する環境哲学

現代の環境的危機に直面して、ドイツの社会学ウルリッヒ・ベックが「リスク社会論」を提唱したとき、彼は「近代化」の新たな段階として位置づけました。しかし、環境的な危機に対して、近代的な思考の枠組みで、はたして対処可能なのでしょうか。むしろ、近代を超えるような発想が必要になるのではないでしょうか。

こうした視点から、環境倫理学を構想しようとするのが、アメリカの哲学者ベアード・キャリコットです。キャリコットは、「生命中心主義的価値観」から環境倫理学に携わり、ある場合はファシズム」とも理解できる発言を行なってきました。その彼が、1994年に『地球の洞察』を出版して、環境哲学の意義を歴史的に位置づけたのです。

それによると、探究されるべき環境哲学は、近代的な思考を超えるポスト・モダニズムだ、というわけです。ただし、注意が必要で、ポスト・モダニズムには2つの形態があって、一方の「脱構築主義」のポスト・モダニズム」は虚無主義であり、冷笑的であるとして斥けられます。それに対して、キャリコットが採用するのは、「再構築主義のポスト・モダニズム」の方です。

終末論を超えて

現代において環境保護を考えるとき、ベックは産業社会に代わる「第2の近代化」として「リスク社会論」を構想し、キャリコットは近代的な世界観を超える「ポストモダン環境倫理」に活路を見出しました。しかし、「第2の近代化」であれ、「ポストモダン」であれ、環境的な危機に対処するのに、新たな社会理論や世界観がはたして必要なのでしょうか。

じつは、こうした考えの根底には、リン・ホワイト・ジュニア以来形づくられてきた発想があるように思えます。それは、今までの「近代的な」考えと生活を続けていけば、やがて地球の破滅と人類の滅亡につながる、という終末論的なはっそうです。これを回避するため、従来とは異なる(たとえば、「第2の近代化」やポストモダン)思想が要請される、というわけです。

しかし、人口は膾炙(かいしゃ)した人類滅亡といった終末論そのものが、怪しいのではないでしょうか。むしろ、こうした終末論的発想を前提とせず、地球環境の現実を吟味し直す態度こそが必要ではないでしょうか。

本章の導入部で、終末論的な発想を示す定着話を紹介しましたが、それに対して、ビョルン・ロンボルグは次のように述べています。「この定着の話はみんなよく知っていて、もうあまりに何度も聞かされたので、それをもう一度繰り返されるとむしろ安心するほどだ。ただ、ここに問題が1つ。これは手に入る証拠ではどうも何1つ裏づけがとれないのだ」。

地球温暖化対策の優先順位は?

では、地球環境問題の優先順位は、具体的にどう考えたらいいのでしょうか。
そのために手掛かりとなるのが、ロンボルグが立ち上げた「コペンハーゲン・コンセンサス」です。

世界から著名な経済学者を招き、「今後4年間で500億ドルの費用をかけて世界の役に立てるとしたら、どこに使うべきか?」という問題に取り組んだのです。2004年に第1回の合意が発表され、その後4年ごとに発表されています。

このコンセンサスでは、10の緊急課題に対応する17の対策に、資金をどう配分するのが望ましいか議論し、順位づけを行なったのです。その17の対策について、図(画像参照)に示すような結果が発表されたのです。ここから分かるのは、「地球温暖化」の優先順位が(最)下位であることです。それなのに、国連をはじめとして、世界では「温暖化対策」のために膨大な費用をかけています。
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地球温暖化問題」の優先順位が低いといえば、もしかしたら強い反発が引き起こされるかもしれません。じっさい、国連のIPCCなっでは、こうした議論はタブー視されているようです。しかし、そうした態度はむしろ、「地球温暖化論」の政治性を示唆するのではないでしょうか。