じじぃの「科学・地球_493_温度から見た宇宙・生命・ニュートリノ検出」

小柴昌俊さん(94)死去 2002年にノーベル物理学賞(2020年11月13日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RhGgxOEcVX8

Japanese Nobel-prize-winning Masatoshi Koshiba passes away


小柴昌俊さん(94)死去 2002年にノーベル物理学賞

[2020/11/13 テレビ朝日
ノーベル物理学賞を2002年に受賞した東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊さんが亡くなりました。
 小柴さんは1926年、愛知県豊橋市生まれです。1951年に東京大学理学部物理学科を卒業し、天体物理学の研究者として東京大学の教授を務めました。1987年に東京大学を退官した後は名誉教授となり、2002年に宇宙から飛来する素粒子ニュートリノ」の観測に成功してノーベル物理学賞を受賞しました。この年はノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんとの「日本人ダブル受賞」でした。東京大学によりますと、小柴さんは今月12日夜に亡くなったということです。94歳でした。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000198363.html

『温度から見た宇宙・物質・生命――ビッグバンから絶対零度の世界まで』

ジノ・セグレ/著、桜井邦朋/訳 ブルーバックス 2004年発行

第5章 太陽からのメッセージ より

ブラックホールと緑の小人たち

1609年にケプラーガリレオが観測して以来1987年になるまで、星の突然の出現は、銀河系、近くのマゼラン雲のどちらにも見つけられなかった。ところが、1987年の2月23日の晩に、イアン・シュルトンというカナダの天文学者が、大マゼラン雲中の星々を観測していた時のことである。彼は、それまで気づかなかった明るい点が、自分のとった写真乾板の1枚に写っているのを見つけたのだった。これは何かの間違い、例えば乾板の傷ではないかと、彼は考え、乾板をチェックした。しかし、乾板には何の傷もなかった。つまり、本当に明るい星が出現していたのだった。
地球から比較的近い宇宙空間に、新しい光、超新星が輝いていた。
    ・
光の信号とニュートリノの信号には、重要な相違が1つある。光は爆発を取り組んでいる雲から、何ヵ月や何年もかかって洩れ出てくる。また最初の光は、星の崩壊後、何時間かかかってやっと出てくる。ところがニュートリノは、わずか10秒ほどの間に一気に外部に出てくる。
遠くの天体からやってくるわずか10秒間のニュートリノのバーストを検出するのに必要な装置の建設と維持は、容易なことではない。もしそれだけが目的だったら、このような装置が建設されることは、まずなかったであろう。このような超新星現象は、数百年に1回しか起こらないと予測されているからだ。幸運にも、レイ・デーヴィスのものと似た検出器が、1980年初めに、オハイオ州モートン岩塩鉱、日本の神岡鉱山の地下、ロシアのウラル山脈中のバクサンの3ヵ所に建設された。これらの主な目的は、非常に稀だと推測されている陽子崩壊を探すことにあった。
これらの装置は、比較的知覚で起こる超新星爆発からのニュートリノのバーストを検出し、これらニュートリノの到着時間を決めることもできるものであった。私の大学の1グループが、神岡鉱山の装置の建設に参加していたので、その観測能力にういては私もわかっていたが、実際に超新星を観測できるとは予想もしていなかった。
この装置は、無人で電子式に現象を記録するよう設計されている。1987年2月、肉眼で超新星が確認されたのちに、それぞれの検出器の担当者は、装置の記録を調べにいった。彼らは、5個から10個のニュートリノの信号がみつかるのではないかと期待していた。およそ、1兆の10億倍の、さらに10億倍のその10億倍の、またその10億倍の10億倍の数のニュートリノが、全天にわたって一様にまき散らされた。そのうち、地球に到来した数は、1兆の10億倍の、そのまた10億倍であった。
予想では、各々の検出器に数個のニュートリノは届くと考えられた。果たして、ニュートリノは予想どうりにやってきていた。

実際に、10秒にわたるニュートリノのバーストが、世界時で1987年2月23日の7時35分40秒に捕まえられていた。この時間は、最初の光が写真乾板に写るよりも、3時間ちょっと早かった。神岡は11個、モートンは8個、バクサンは5個のニュートリノを記録した。

この時、私はイギリスにいた。研究仲間の1人から私に、仲間のデータにニュートリノの信号が見つかったことを告げる興奮に包まれた電話がかかってきた(今なら電子メールであろうが)。ノーベル賞を受賞しているカルロ・ルビアは「太陽系外ニュートリノ天文学の研究が、SFから科学的事実になった」と言った。
予測に合致したのは、ニュートリノ数とこれらの到来時間だけではなかった。ニュートリノは中心核からとびだした時、熱的平衡状態にあった。バクサン、神岡、モートンの3グループは自分たちのデータを調べて、ニュートリノのエネルギーを推定した。このエネルギーは17万年の旅路の中で一定に保たれていると考えられる。これらの解析結果は、ニュートリノがとびだした時の中心核の温度、つまり1000億Kにおける温度分布が、これらニュートリノに反映されていることを示した。理論と実験的証拠はあまりによく一致した。

ここにはまだ、いくつかの謎が残されている。超新星爆発は、大量のエネルギーを解放するが、その時星の中の核燃料はすでに消費し尽くされてしまっている。では、何が爆発を引き起こすのだろうあ。皮肉なことだが、急速に崩壊していく星について考察されはじめる100年も前に、ケルビン卿とヘルマン・フォン・ヘルムホルツは、太陽の一生を説明しようとした際に、すでにこの問題に対する解答を見つけていたのであった。
ケルビンヘルムホルツ機構と呼ばれる重力収縮過程は、太陽エネルギーの創出についてはさして大きな寄与をしていない。しかし、大きな星の中心核が半径数キロメートルにまで収縮する際の重力エネルギーの変化は、本当に莫大である。エネルギーの保存則により、減っていく重力エネルギーは、違った形のエネルギーに生まれ変わる。このエネルギーの一部は輻射に変換されるが、大部分はニュートリノの運動エネルギーに姿を変える。わずか10秒の間にニュートリノは、太陽が100億年かかって解放するエネルギーと同じほどのエネルギーをもち去るのである。