じじぃの「科学・地球_208_スパコン富岳後の日本・量子コンピュータ・誤り訂正」

RIKEN-Berkeley workshop on Quantum Information Science

Summary of RIKEN-Berkeley workshop on Quantum Information Science (RB19)

2019-02-08 iTHEMS
RIKEN-Berkeley workshop on Quantum Information Science was held at Lawrence Berkeley National Lab. (building 66) from Jan.26 through 29, 2019.
https://ithems.riken.jp/ja/news/summary-of-riken-berkeley-workshop-on-quantum-information-science-rb19

中公新書ラクレ 「スパコン富岳」後の日本――科学技術立国は復活できるか

小林雅一(著)
はじめに――日本の科学技術が世界を再びリードする日
第1章 富岳(Fugaku)世界No.1の衝撃
第2章 AI半導体とハイテク・ジャパン復活の好機
第3章 富岳をどう活用して成果を出すか――新型コロナ対策、がんゲノム医療、宇宙シミュレーション
第4章 米中ハイテク覇権争いと日本――エクサ・スケールをめぐる熾烈な国際競争
第5章 ネクスト・ステージ:量子コンピュータ 日本の実力

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『「スパコン富岳」後の日本ー科学技術立国は復活できるか』

小林雅一/著 中公新書ラクレ 2021年発行

第5章 ネクスト・ステージ:量子コンピュータ 日本の実力 より

スパコンに象徴される激しいハイテク開発競争の先に垣間見えるのは、異次元計算速度を誇る「量子コンピュータ」の登場だ。
富岳が2期連続の4冠を達成した翌月の2020年12月、中国科学技術大学などの研究チームは「光を使った量子コンピュータで量子超越性(quantum supremacy)を実現した」と米『サイエンス誌』に発表した。
量子超越性とは、スパコンを含め従来型のコンピュータでは絶対に到達できない、あるいは(循環論法になるが)量子コンピュータのみが到達できるとされる超高速計算を意味する。
中国の研究チームは多数の光子検出器と光量子計算の技術を組み合わせた実験装置(一種の量子コンピュータ)を使い、干渉し合う多くの「ボゾン(Boson)」をある種のシミュレーションで検出する「ガウシアン・ボソン・サンプリング」の実験を行った。
ちなみに、この世界に存在するさまざまな素粒子はボソン(ボース粒子)とフェルミオンフェルミ粒子)の2種類に大別され、光を構成する素粒子である光子はボソンに分類される。
ガウシアン・ボソン・サンプリングの実験で量子超越性を証明するためには、有限の時間内に少なくとも50個の光子を検出する必要がある。これに対し今回、中国の研究チームは76個の光子を検出することに成功し、それに要した時間は200秒だった。
これと同じシミュレーションを中国のスパコン神威・太湖之光で行うと25億年、日本の富岳で行うと6億年かかると主張しているが、要するに「いかに超高速のスパコンでも、従来型のコンピュータでは事実上、有限の時間内にこの計算を終えることはできない」と言いたいわけだ。
今回の中国チームの実験について、英インペリアル・カレッジ・ロンドンの物理学者イアン・ワルムスレイ博士は「この装置(量子コンピュータ)では実際に役に立つ問題を解くことはできない」としつつも、「これは間違いなく偉業であり、重要なマイルストーン(一里塚)だ」と高く評価している。
この発言からもわかるように、おそらくは桁外れのポテンシャルを秘めつつも今なお実用化にはほぼ遠いと見られるのが量子コンピュータだ。それは私たちにとって実態が掴みがたく、言わば謎に包まれた存在でもある。

量子コンピュータとは何か?

量子コンピュータとは、「分子」や「原子」あるいは「電子」のようなミクロ(微視的)世界の現象を説明する量子力学を、計算の原理に応用した画期的なコンピュータだ。
20世紀序盤、デンマークやドイツなど欧州を中心に確立された量子力学は、現代自然科学のバックボーンとして、その後の固体物理学や電子工学を生み出す礎となった。
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量子コンピュータとは、あくまでコンピュータが行う計算の方法に量子力学の原理を導入したものだ。これによって、前述の「量子並列性」あるいは「量子加速(quantum speedup)」などと呼ばれる特異な性格がコンピュータに育まれ、桁外れの計算速度向上がもたらされる。それは従来のコンピュータが、ほとんど原始時代の石器のように見えてしまうほどのスピードアップなのだ。
量子コンピュータの活躍が期待される分野は、「NP困難(Non-deterministic Polynomial Time hardness)」などと呼ばれる特殊な問題群だ。
たとえば多数の都市間の移動コストを計算する有名な「巡回セールスマン問題」など、一般に「組み合わせ最適化」と呼ばれる問題が「NP困難」の一例としてよく引き合いに出される。また前述の中国科技大が行ったガウシアン・ボソン・サンプリングは、このNP困難よりもさらに難しい「#P困難問題」に属するという。
これらは計算方法がわかっても、それに従って実際に計算しようとすると現在最速のスパコンを使っても有限の時間内には解けない問題だ。このような難問は、IT、金融、医薬品、航空、軍事などさまざまな産業分野に存在し、それらを解くために異次元のスピードで動作する量子コンピュータの出現が待たれているのだ。
一方、もしも本格的な量子コンピュータが実現されたとすれば、公開鍵暗号RSAなど従来の暗号方式が解読されてしまうため、ITや金融業界の他、国防・諜報活動など安全保障の分野でも新たな懸念事項となっている。このため各国政府は量子コンピュータでも破ることのできない量子暗号技術の開発を進めるなど、ほとんど切りがないような周辺技術の研究も促している。

鍵となる技術は誤り訂正

従来型コンピュータの計算速度がムーアの法則やデナード則が限界に近づきつつあるなかで、グーグルやマイクロソフトIBMなど米国の巨大IT企業は足元でAI処理用の半導体チップを着々と開発する一方、その先を見据えた量子コンピュータにも取り組み始めている。
グーグルは2013年、自社の量子AI研究所にDウェイブ製のマシンを導入したのに続き、翌14年には自ら量子コンピュータの開発に乗り出した。量子アニーリングと量子ゲートの両方式で研究開発を進めていく方針だ。
一方、マイクロソフトは早くも2006年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校と提携して「ステーションQ」と呼ばれる共同研究グループを立ち上げ、量子コンピュータの基礎研究に着手。14年には「量子ゲート」あるいは「量子アニーリング」とも異なる、まったく新たな方式にもとづく量子コンピュータの開発プロジェクトをスタートした。
「トポロジカル量子コンピューティング」と名付けられた新方式では、量子力学の統計的な性質にもとづく「フェルミ粒子(fermion)」と「ボース粒子(Boson)」の中間的な存在である、「エニオン(Anyon、分数統計粒子)」によって量子並列性を実現するとしている。ただしエニオンは2020年にその存在が実験で確認されたとの報告もあるが、物理工学的には比較的新しい研究領域であるため、かなりリスキーなプロジェクトであることは否めない。
またIBMや軍需企業ノースロップ・グラマン、さらには同じく軍需企業レイセオンの傘下で研究開発を受託するBBNテクノロジーズなども、06年頃から量子コンピュータ研究開発を進めてきた。彼らは「電子のスピン(角運動量)」や「光子の偏向」を計測することで量子ビットを作り出そうとしている。
これらさまざまな方式の量子コンピュータ開発に共通する、大きな課題は「誤り訂正」と呼ばれる技術の確立だ。
量子コンピュータを実現するには、前述の「量子重ね合わせ」と同時に「量子もつれ(quantum entanglement)」と呼ばれる現象も必要となる。つまり同時に「1」と「0」の両方の状態を併せ持つ量子ビットが何個も縺(もつ)れ合って、互いに影響を及ぼし合いながら変化する。これが「量子もつれ」だ。
この複雑な仕組みによって、n個の量子ビットは(2のn乗)個の数字を同時に表現できる。従来のコンピュータであれば、たとえそれがスパコンであってもn個のビットは同時に1個の数字しか表現できない。この違いが量子コンピュータに従来とは比較にならない超高速計算の能力を育んでいる。
ところが「量子重ね合わせ」と「量子もつれ」を同時に実現することは技術的に困難を極め、たとえ成立しても、その状態は数マイクロ(100万分の1)秒程度で破綻して計算結果に誤りが生じてしまう。これは汎用的な量子ゲート方式の量子コンピュータにおいて深刻な問題となっている。