じじぃの「アメリカ大恐慌時代・伝説の競走馬・騎手と調教師の挑戦物語!シービスケット」

シービスケット - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ

Filmarks映画
●あらすじ
ローラ・ヒレンブランドの同名小説をもとにした実在の競走馬の物語。
1930年代のアメリカ、人々に希望を与えた一頭のサラブレット・シービスケットの活躍とシービスケットを取り巻く3人の男たちの姿を描く。
https://filmarks.com/movies/35401

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

アメリ大恐慌時代を駆け抜けた伝説の名馬シービスケットと主戦騎手ポラードの実録物語

シービスケット」は1930年代後半、アメリカで活躍した映画と同名のサラブレッドと、同馬を取り巻く男たちの姿を描いた実話ムービーだ。全く勝てなかった駄馬が生まれ変わったような快進撃を続け大恐慌時代の国民に大きな希望と勇気を与える様子は、主戦ジョッキーだったジョン・ポラードの紆余曲折の騎手人生とも大きく重なる。
シービスケットは1935年1月、アメリカの競馬界にデビュー、その後1年半で48戦を走り、勝ったのは9回だけだった。そんな二流馬を発掘したのが、映画でクリス・クーパー演じる調教師トーマス・スミスだ。1936年夏、ボストンの小さなレースに出走したシービスケットを見て、自身が働く厩舎の経営者で競走馬のオーナー、チャールズ・ハワード(演:ジェフ・ブリッジス)に強く購入を勧めたのだ。
8千ドル(現在の日本円で約88万円)という破格値で買い入れたシービスケットをスミスが手厚く調教し始めた矢先、1人のカナダ人青年が厩舎に現れる。映画でトビー・マグワイア演じる騎手のジョン・ポラードだ。
15歳でジョッキー生活を始めたものの鳴かず飛ばずで、10年間の勝率はわずか6%。どんな馬でも乗るからと厩舎を回ったが相手にされず、最後に行き着いたのがスミスの厩舎だった。
劇中でも描かれているが、人が近づけば突っかかるのが常だったシービスケットは、ポラードが角砂糖を差し出すと、親愛の情を示すように鼻面で彼の肩に触れた。スミスはベテラン調教師の勘で即座にポラードを雇い入れる。
二流の競走馬とジョッキーは、スミスの調教・指導を受けながら、改めてレースに挑戦。3戦目のデトロイトで初勝利を挙げると戦いの場を西海岸に移し、ハンディキャップ戦を7連勝。そして1937年2月7日、優勝賞金10万ドルの一大レース「サンタアニタハンディキャップ」(ダート10ハロン=約2千メートル)に出走する。
6万人の大観衆を集めたこの大一番で、ポラードの乗るシービスケットは最後の直線で先頭に。さらに他の馬を引き離し優秀間違いなしと思われたゴール前200メートルで、突然スピードを緩める。結果はハナ差の2位。あまりに不自然な負け方だった。
実は、ポラードには秘密があった。新人騎手の頃、調教中の事故で右目の視力を喪失。ために、死角から追ってくる後ろの馬が見えなくなかったのだ。騎手生命が失われるのが恐く失明の事実を公にすることができなかったが、それでもスミスやハワードは彼をかばい、雇い続けた。
1937年夏、シービスケットは全米横断のレースに出発。1.3万キロを移動しながら10の主要なレースで勝利し、当時の世界記録を倍以上上回る14万4千ドルもの賞金を獲得する。
そして、1938年3月、二度目のサンタアニタハンディキャップ挑戦。騎手は当然ポラードのはずだったが、前哨戦で落馬し、大ケガを負ってしまう。失意のどん底のなか、ポラードは昔からの騎手仲間だったジョージ・ウルフを鞍上に推薦する(このくだり、映画では後述するマッチレースまえの出来事として描かれている)。
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同年11月1日、シービスケットは、全米が待ち望んだレースに出走する。1937年の三冠を制し年度代表馬に輝いたウォーアドミラルとの直接対決。ハワードがこれまで二度話を持ちかけ、ようやく実現した大イベントだった。世界一を決める勝負は1対1のマッチレースで行われ、ウルフ騎乗のシービスケットが4馬身を離して圧勝する。全米で実に4千万人が耳にしたというレースのラジオ実況は、映画でもそのまま音声が使われている。
6週間後、シービスケットに悲劇が襲う。レース中に左前脚の靭帯を断裂、競走馬生活を断念せざるをえないほどの大ケガだった。が、ハワードは決して引退を口にせず、シービスケットは厩舎に戻して療養される。そしてここに同じくケガの療養中だったポラードと、入院中の看護師で彼の妻になったアグネス(映画には登場すない)の新婚夫妻を招き、人馬ともに復帰のためのリハビリに努めるように促す。
1939年の夏から秋にかけ、シービスケットとポラードは互いを励まし合うかのように傷を癒やし、徐々に回復。そして1940年、シービスケットは7歳にして競走馬として復帰。同じく騎手に復帰したポラードとともに出走する。目標は3月のサンタアニタハンディキャップだった。
前哨戦として3レースを戦い、3着、3着、1着。1年近くのブランクを経たわりには十分すぎる成績だが、それでもサンタアニタで優勝できるとは誰も思っていなかった。が、奇跡は起きる。7万8千人の大観衆を集めたビッグレースで、ポラード騎乗のシービスケットは、下馬評を覆し見事に優勝を果たしたのだ。
有終の美を飾ったシービスケットが引退したのは、レース1ヵ月後、その後、7年間で108頭の産駒(さんく)を出したが、競走馬とそて大きな活躍をした仔はおらず、1947年5月、13歳で死亡。
すでに満身創痍のポラードも現役を退き、ハワードの手引きで調教師に転身したが、その後、騎手に復帰する。しかし、以前と同じく落馬によるケガ、療養、復帰の繰り返しで、大きなチャンスに恵まれないまま1955年、45歳でジョッキー人生を完全に終了。その後、競馬場の郵便配達係や雑用係などで生計を立てていたものの、体調悪化で晩年はまともにしゃべることもできず、1981年3月、71歳でこの世を去った。

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