じじぃの「科学・芸術_391_小説『ベン・ハー』」

BEN-HUR Trailer (2016) - Paramount Pictures 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gLJdzky63BA
BEN-HUR


天は自ら助くる者を助く 故事ことわざ辞典
【注釈】 英語のことわざ「Heaven(God) helps those who help themselves.」の訳語。
他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になるという意味。
怠惰な者には、決して幸福は訪れないということ。
【出典】 『自助論(Self-Help)』
http://kotowaza-allguide.com/te/tenmizukaratasuku.html
ベン・ハー ウィキペディアWikipedia) より
ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)は、アメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。
1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。小説はフィクションであるが、イエス・キリストはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。この小説はすぐに舞台化され、何度も上演された。やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。
戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステースの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。

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『携帯版 思考は現実化する』 ナポレオン・ヒル/著、田中孝顕/訳 きこ書房 2005年発行
モチベーションを生み出す魔法のアイデア より
私には敵が数人いた。今ではそれをむしろ、感謝したいくらいに思っている。なぜなら、彼らが野卑な言葉で私の欠点を罵倒(ばとう)したため、その欠点を取り除かなければならなかったからである。その欠点というのは、私自身でも気づかないものが多い。私は1セントも払わずに、敵の批判を利益に変えてしまった。しかし、私が自分の最も目立った欠点を認めるようになったのは、本書を書くほんの数年前のことであった。私がエマースンのエッセイについて研究していたときのことだった。特に次の部分では感銘を受けた。
 「私たちの強さは、私たちの弱さから生まれる」
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この章の本質についてはまだ十分に記述しきってはいない。それほど、本章には奥深い可能性が秘められている。私たちはまだ、表面をなぞっているにすぎない。本章を理解してもらうために、もっといろいろな手段を講じなければならないと思う。私は今、大昔の空想小説のことを思い浮かべている。物語の舞台は、古代ローマのアンテオケだ。2000年前の話である。このとき、エルサレムユダヤ全土は、ローマ帝国支配下にあった。ヒーローは、若きユダヤ人、ベン・ハーである。
彼は無実の罪に問われ、重労働の宣告を受けた。ガレー船の漕(こ)ぎ手にされたのである。ガレー船のベンチに鎖で繋がれ。重いオールを漕がされたベン・ハーは、そうやって体を鍛えた。彼を苦しめたローマ人は、まさか彼が罰によって力をつけようとは夢にも思わなかった。またそれによって自由を勝ち取ろうなどとは予感さえしなかった。ベン・ハー自身も最初のうちはそうした希望を持ってはいなかったのかもしれない。やがて、2輪馬車の競争の日がやってきた。その日こそ、鎖が切られて自由になる運命の日であった。
御者(ぎょしゃ)のいない馬車があった。持ち主は、もちろんローマの貴族である。馬車を競技に出場させるつもりだった貴族は困って、屈強な腕を持つ若い奴隷の助けを求めた。ベン・ハーが手綱を取ると、大観衆の間からどよめきが起こった。
「見ろ、あの腕を! いったいどこでその腕を手に入れたのだ!」と彼らは吠えた。慣習に向かってベン・ハーはこう叫んだ。
ガレー船のオールだ!」
どよめきは、ひときわ高くなった。レースが始まった。ベン・ハーはその強い腕で馬を操り、優勝した。この勝利が彼を自由にしたのである。
人生そのものも、2輪馬車のレースと同じではなかろうか。そしてその勝利は、強い信念と、勝利への「決意と意欲」を持った人だけのものとなるのだ。
私たちは最終的に勝利と自由を得ることを目標にしているかぎり、逆境にあっても強さを育てることができる。ベン・ハーの教訓はそこにある。強さは抵抗することによって育つ、というのは普遍の真理である。1日中、10キログラムの金槌(かなづち)を振り下ろしている鍛冶屋を憐れむ代わりに、そうして鍛えた立派な腕をたたえるべきなのだ。