じじぃの「歴史・思想_278_ハラリ・21 Lessons・正義」

The kidnapping campaign of Nazi Germany | DW Documentary

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2GLsM169izM

Nuremberg Trial

DEAD RECKONING: WAR, CRIME & JUSTICE FROM WW2 TO THE WAR ON TERROR

June 13, 2018 KPBS
https://www.kpbs.org/news/2017/mar/24/dead-reckoning-war-crime-justice-ww2-war-terror/

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

16 正義――私たちの正義感は時代遅れかもしれない より

私たちの他のあらゆる感覚と同じで、正義感も太古にさかのぼる進化的な起源を持っている。人間の道徳性は何百万年にも及ぶ進化の過程で形作られ、狩猟採集民の小さな生活集団の中で起こる社会的ジレンマや倫理的ジレンマに対処できるように適応した。もし私があなたと狩りに行き、私はシカを1頭仕留めたのに、あなたは何も捕まえられなかったなら、私は獲物をあなたと分かち合うべきか? あなたがキノコ狩りにでかけて、籠(かご)がいっぱいになるほど採ってきたら、仮に私のほうが強かったとして、私はそのキノコを全部奪い取っていいのか? そして、あなたが私を殺そうとたくらんでいるのを知ったなら、私は機先を制し、世陰に紛れてあなたの喉を掻き切ってもかまわないのか?
物事のうわべだけを見ると、私たちがアフリカのサバンナを離れてから都会のジャングルで暮らすようになった現在まで、たいした変化はなかった。シリアの内戦やグローバルな不平等や地球温暖化といった、今日私たちが直面する問題は、昔からお馴染みの問題の規模を大きくしただけにすぎないように思える。だが、それは錯覚だ。規模は大切で、他の多くの見地と同じで、正義の見地に立つと、私たちは自分が暮らしている世界にろくに適応できていない。
これは価値観の問題ではない。21世紀お人々は、非宗教的なものにしろ、あるいは宗教的なものにしろ、価値観はたっぷり持っている。問題は、そうした価値観を複雑なグローバル世界で実行に移すのが難しい点にある。それはすべて、数のせいだ。狩猟採集民の正義感は、きわめて接近して暮らしている数百の人の生活に関連したジレンマに対処するために構築された。さまざまな大陸に住む何億もの人の関係を理解しようとすると、私たちの道徳感覚は圧倒されてしまう。
正義には、一連の抽象的な価値観だけではなく、具体的な因果関係の理解も必要とされる。もしあなたが我が子に食べさせるためにキノコを集めたのに、そのキノコが入った籠を私が無理やり奪い、あなたの苦労が水の泡になって、子供たちは今晩お腹を空かせたまま寝る羽目になるとしたら、それは不当だ。これは苦もなく理解できる。なぜなら、因果関係が簡単に見て取れるからだ。あいにく現代のグローバルな世界は、因果関係が細かく分岐していて複雑であるという、本質的な特徴を持っている。
私は自宅で平穏に暮らし、他者を害するようなことはいっさいしないでいても、左翼の活動家によれば、ヨルダン川西岸でイスラエルの兵士や入植者が行っている不正行為に完全に荷担しているのだという。社会主義者たちに言わせれば、私の快適な生活は、第三世界の惨憺たる搾取工場での児童労働に基づいていることになる。動物福祉の提唱者は、私の生活が、何十億という家畜を残忍な搾取体制下に置くと言う、史上屈指の恐ろしい犯罪と分かち難く結びついていることに注意を促す。
私は本当にこれらすべてに責任があるのだろうか? それには簡単に答えられない。

川を盗む

1930年代後期のドイツでは、地元の郵便局の局長は、職員の福祉に気を配り、小包が行方不明になって途方に暮れている人々には自ら手に貸してその小包を探すような、高潔な市民だったかもしれない。彼は毎日真っ先に出勤し、誰よりも遅くまで働き、吹雪の日にさえ郵便物が時間どおりに配達されるようにした。ところが嘆かわしいことに、利用者に手厚い対応を見せる彼の効率的な郵便局は、ナチスドイツの神経系におけるきわめて重要な細胞だった。この郵便局は、人種差別的なプロパガンダや、ドイツ国防軍の徴兵命令、地元のナチス親衛隊支部への厳格な命令を迅速に配達していた。知ろうという真摯な努力をしない人の意図には、どこか不適切なところがある。
だが、何をもって「知ろうという真摯な努力」とするのか? どの国の郵便局長も、扱っている郵便物を開封し、政府のプロパガンダが出てきたら、辞任したり反乱を起こしたりするべくなのか? 1930年代のナチスドイツを、道徳の見地から絶対的な確信をもって振り返るのは易しい。なぜなら、因果の鎖がどこにつながったかがわかっているからだ。だが、後知恵の助けがなければ、道徳に関して確信を持つことは望めないかもしれない。狩猟採集民の脳にとって、世界はあまりに複雑になり過ぎた、というのがつらい現実なのだ。