じじぃの「いかに生きるか・小便買い・ガーディー・ローと禊!倫風」

『倫風』 2020年8月号

実践倫理宏正会

わからずや漫筆  ガーディー・ローと禊(みそぎ)【執筆者】林望 より

「はるか頭上で、五階、六階、あるいは10階の窓が開き、エディンバラのクローススツールが過去24時間にためた糞尿を街路に放つ。上階から捨てる人は、あらかじめ『ガーディー・ロー!(そら、水がいくぞ!)』と叫ぶのが礼儀だった。朝帰りの酔客は『ハウド・ヤ・ハン!(待ってくれ!)』とわめきかえし、背中を丸めて逃げていく。汚物をまともにくらって、彼の大きくて高価な、後の長くのびたかつらが台なしにならなければさいわいだった。こうして街路に下ろされた糞尿は、ひろい大通りや、深い井戸のよな囲い地に置かれたまま、夜ともなればあたりは臭気ふんぷんなのだが、次の日の早朝、市の番人がおざなりにも掃除してくれるのを待つしかなかった」
このいかにも悪臭芬々(ふんぷん)たる文章は、『イギリス社会史』という本のなかで、著者のG・M・トレヴェリアンが、18世紀初頭のエディンバラの早朝風景として描いたもので、まことに驚くべき不潔さ加減である。
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江戸の庶民の長屋にもいわゆる共同便所はあり、その汚物は「小便買い」という商売人が買い取っていって郊外の田畑の肥料として利用されたのである。いわゆる循環農業だ。
また幕末のイギリス外交官オールコックの『日本における三年間』(山沢種樹訳、講談社)には、「手入のよく行届いた街路は、(略)見た目にも、ごみごみしたみじめさとか、汚物の堆積などで妨げられといふやうなことはないし、私の訪れたアジヤ諸国のどれとも、またヨーロッパに於ける多くの都市と比較しても、異様ではあるが、快い対照をなしてゐる」という記述を見ることができる。そうして、このすぐあとに、肥たごを運ぶ人足が通ったりするということも書かれているのである。こういう汚物処理は、ついこないだ昭和30年代まではまだごく普通に行なわれていたことである。
じっさい、江戸時代から明治にかけて来朝した欧米人が、日本の都市とくに江戸の街の清潔さと緑豊かな都市景観を賛美している例はいくらでも発展できる。
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もう1つ考えなくてはいけないことは、日本人の信仰のことだ。日本では、自然界の森羅万象に神が宿る、いわば汎神論的侵攻で、しかもその神に対して最も大切なことは「清潔」であった。
すなわち、日本の神は「穢(けが)れ」を嫌う。だから、どんな神社にも御手洗(みたらし)があり、上賀茂(かみがも)神社のようにそれが御手洗川という形をとる場合もある。すなわち俗なる日常の穢れを禊によって洗い流して、清らな体となって神に参る、このことは日本の伝統的年中行事のいずれに於ても徹底しているのであった。そのように、日本人は太古の昔から清潔ということを尊んで暮らしてきたのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「ピンポーン!」
「また、雑誌持ってきました」
小太りのおばちゃんが、今年になって毎月やってくるようになった。
先月は、瓶詰めのウメボシ、今度はナシ、キュウリ、ミョウガを一緒に持ってきてくれた。
パラパラと『倫風』 8月号を読んでみた。

「このいかにも悪臭芬々(ふんぷん)たる文章は、『イギリス社会史』という本のなかで、著者のG・M・トレヴェリアンが、18世紀初頭のエディンバラの早朝風景として描いたもので、まことに驚くべき不潔さ加減である」

うんこだらけの本ではないみたいだ。今日もくそ暑い1日になりそうだ。