じじぃの「科学・芸術_894_ヨルダンの首都アンマン」

Five Statues from Ain Ghazal, Jordan

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ocKi8ZZ7dBw

アイン・ガザル遺跡から出土

シリア・ヨルダン旅行 (その37)

2008.04.21
約6~8千年前のライムストーン人形。アンマン東郊外,アイン・ガザル遺跡から出土
http://mkatay36.atnifty.com/photo2/2008/200804syriajordan/SJ37.html

『世界まちかど地政学NEXT』

藻谷浩介/著 文藝春秋 2018年発行

ヨルダンの、ODAに支えられた施設はいつまで続くのか? より

宿に荷物を置いて、東南に丘を下り、アンマン発祥の地であるダウンタウンに向かう。ここだけは丘の上ではなく、谷底のワジ(涸れ川)の上に市街地がある。水を丘の上に揚げる動力のなかった前近代に町を造るなら、ここが最適の場所だ。イスラム安息日の金曜日で、人通りはやや少ないが、丘の上では見かけなかった庶民的なスーク(市場)が残り、アラブの香りがする。中心のアル・フセイニ・モスクは、東ローマ時代に大聖堂が建っていた場所だそうだ。
その近くの建物の壁には、苦悩する若者の顔が大きく描かれていた。偶像崇拝を禁ずるムスリム圏ではあまり見かけない肖像画の壁画である。そこから東に向かうと、ローマ支配時代の2世紀に丘の斜面に建造された円形大劇場が、そのまま残っていた。入場料を払って客席上部まで上ると、高所恐怖症の人にはお勧めできないスリルが味わえる。当時のアンマンは、ローマと同じく7つの丘を持つ町、ということで人気を集めたのだという。
北向きにできた劇場の正面の丘の上は、アンマン城砦の跡だ。ここには同じく2世紀に、ローマ5賢帝最後のマルクス・アウレリウスが建てたというヘラクレス神殿の石造物が残る。一角に考古学博物館があった。主たる展示物は2013年に日本のODAでできたヨルダン博物館(今回は訪問できず)に移されたものの、こちらの方にもまだ、当時の1万年の歴史の各時期を代表する展示物が残されている。目玉は、1万~6000年前の間に作られたという、人類最古の頭部の塑像だ。当市内のアイン・ガザル遺跡から計32体見つかったというものの1つだが、マンガチックな表情ながら強烈なオリジナリティーがある。日本の土偶は1万3000年前にさかのぼるが、このような写実性は縄文後期になるまでなかった。
時間がなくなってきた。遺跡を出てホテルへと急ぐ。タクシーも声をかけてくるが、いったん丘をダウンタウンに下り、再度上がる道筋は、家々の間の石段をたどって歩いた方が早そうだ。北側のヌズハの丘に掲げられた、縦30メートル、横60メートル、旗ざおの高さ127メートルの巨大なヨルダン国旗が遠望できる道で、子どもが手製のたこを揚げていた。