じじぃの「人の生きざま_793_ウサイン・ボルト(世界最速の男)」

ウサイン・ボルト自伝 ウサイン・ボルト(著) Amazon

ウサイン・ボルト(Usain Bolt)
1986年、ジャマイカ・トレローニー生まれ。
2002年15歳のとき、史上最年少で世界ジュニア選手権の200メートルを制す。2008 年シーズンより本格的に始めた100メートルで世界新記録を樹立。
2008年の北京オリンピック、2012年のロンドン・オリンピックにおいて三冠(100メートル、200メートル、4×100メートルリレー)を達成。100メートル、200メートル、4×100メートルリレーの世界記録保持者。ジャマイカ在住。

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王者の心と、鋼鉄の意志 痛み、そしてケガとの闘い より

2004年のシーズンが始まったが、俺はアテネ・オリンピックのことなんてどうでもよかった。地球上の偉大なチャンピオンたちが集まるギリシャに行けるとは思ってもいなかったし、アトランタタオ会でのマイケル・ジョンソンのように金メダルを取れるとも思っていなかった。俺の気持ちは、より大きなことで占められていた。イタリアのグロッセートで開かれる世界ジュニア選手権で、何がなんでも200メートルのタイトルを死守するつもりでいた。
しかし、そのためにはとんでもない試練を乗り越えなければならなかった。トレーニング計画は10月から2月までびっしり詰め込まれ、スケジュールをこなすので精いっぱいだった。毎日、毎日、毎週、毎週、500、600、700メートル走が果てしなく続いた。
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そんな状態だったのに、俺は4月に行われたCARIFTAゲームズで19秒93というタイムをたたき出し、世界ジュニア記録を破ってみんなを驚かせた。ワオ! タイムを確認したとき、なんだか7おかしなタイムが出ていると思った。みんなもそう思ったらしい。俺はもともとの記録を0秒14上回り、周りにいる人たちは狂喜乱舞した。母さん、父さん、パート先生、それにもちろん、コールマン・コーチもだ。このパフォーマンスはキツいトレーニングにブツブツ文句を言う俺を黙らせる確証をみんなに与えたようなものだった。俺はトレーニング計画は成功だったと諭された。プログラムは正しく、俺は明らかに間違っていたのだ、と。
問題は、俺が恐れを感じたということだ。自分の肉体のことは知っていたし、スプリント・トレーニングなくしては、こんなバカげた記録を出せるほどの能力を自分が持っていたとは到底思えなかった。本当に、それはクレイジーなタイムだった。2004年の時点で、ジュニアだけでなくシニアのレベルでも、それだけのタイムで走れる選手はそんなにいないのに、俺はまだ17歳のガキだったのだ。

痛みか、栄光か 世界最速の男が生まれた瞬間

まあ、聞いてくれ。世界記録を破るには、計り知れないほどの幸運に恵まれる必要がある。才能がなければならないが、純粋にそれだけの話ではない。ニューヨークのリーボック・グランプリで、俺は5回目の100メートルを走ったが、とにかく驚きのレースだった。そこで俺はオリンピックで金メダルを狙える有力候補になったのだ。それにしても、このレースについていちばんクレージーだったのは、最高のタイミングで、すべての好条件がそろったことだった。ありきたりの大会になる可能性だってあったのに。その日、最高の条件に恵まれて、生まれてはじめて「世界でいちばん速い男」になれたのだ。
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ニューヨークでの俺の心持ちは、それとはまったく正反対だった。レースに出たくて出たくてうずうずしていて、他の連中に勝てることを自分の走りで確認したかったが、タイムのことなんか眼中になかった。勝つのが1番。タイムは2番目、それが俺の考え方だった。とにかく勝ちたくてたまらなかった。
スターティング・ブロックに足をのせると、「やって来たぜ、この瞬間が」と思った。
そして、「用意」の号令を聞いた。
俺はワクワクしてきた。「やってやるぜ……」
バンッ! 号砲が鳴ったのだが、瞬時にスピードを緩めた。全員だ。誰かがフライングして、レースはストップしたのだった。信じられないかもしれないが、このフライングは俺にとってはプラスに働いた。号砲を聞いたとき、俺の反応は、油断をして不意をつかれたかのように、えらくのろかったのだ。最初、音を聞いたときに「ん? これ、なんお音だ? おいおい、スタートじゃねえかよ! 走らないと、行かないと!」という状態で、ブロックに取り残されていた。誰かさんのフライングは、俺にとって幸運の証だった。
「おいおい、きちんと反応しなきゃダメだぜ」。みんながスタート地点に戻り、ポジションに入る間に自分に言い聞かせた。「また2歩も遅れるようなことがあったら、命取りだぞ、しっかりしろ……」
バンッ! 2度目の号砲。今度は完璧なスタートを切った。俺の反応はとてもスムーズで、素早く、パワフルだった。上体を起こし、加速し始めると、俺の太ももとふからはぎは、濡れたトラックから飛び跳ねるような感覚になり、腕には力がみなぎっていた。30メートルを過ぎたところで、早くもリードを奪い、チラッと横目で見ると、タイソンはすでに視界から消えていた。それどころか、大坂で肩越しに聞いた彼の追い上げてくる音は聞こえず、タイソンだけでなく、他の連中も遅れているようだった。まったく、最高の展開だった! 俺はフィニッシュに向かってパワーを全開にしていく。勝負はついていた。ゲームオーバー。ゴールラインを1着で越えたオレが考えたことはひとつだった。「奴に勝ったぜ!」
俺はとにかく走り続けただけだった。興奮のあまり心臓は口まで飛び出してきた感じで、2本の脚は空気よりも軽く感じた。同じペースでもう100メートル走れるような気がしたが、いや、たぶん300メートルでもいけたと思う。俺は極限まで集中していたのだ。そして俺は記録を確認した。
「1着 ボルト 9秒72」
世界新記録
「オー・マイ・ゴッド!?」
混乱した。頭の中がグルグル回り、完全に自制心を失った。どう感じて、どう行動するかなんて正直わからなかった。