北島康介 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%8C%97%E5%B3%B6%E5%BA%B7%E4%BB%8B/1100/
北島康介 北京五輪水泳 (2008年) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Pc46LYE3SM0
日本男子が銀 400mメドレーリレー 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xrWViIYHIZk
日本女子が銅 400mメドレーリレー 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Wv8QMAR9jY0
北島康介 オフィシャルWEBサイト
http://www.kitajima-kosuke.com/
世界に誇る50人の日本人 「成功の遺伝史」 2013年12月30日 日本テレビ
【MC】たけし&くりぃむ上田 【ゲスト】伊集院光、劇団ひとり、鈴木奈々、武田鉄矢、茂木健一郎、山岸舞彩、荒川静香。HIDEBOH、星野仙一、Mr.マリック、米村でんじろう、その他
人生には大きな影響を受けた人物が必ずいる…引き継がれたその熱きDNAの「遺伝」の「歴史」→「遺伝史」と名付け、スポーツ選手、映画監督、漫画家、政治家、作家、キャラクター…日本が世界に誇る話題50人のルーツを徹底解剖!
北京・アテネ五輪金メダリスト・北島康介に影響を与えたのは、幼少期から大ファンだという巨人のある大物だった。
北島は憧れの読売巨人軍の原辰徳と対面。北島は30歳を超えた現在も現役、原も35歳を超えるまで巨人の主砲として活躍したが、だんだんと若手に圧倒されていくようになった。そして1995年10月に引退した。
原は1980年にドラフト1位で巨人に入団。得意のサードには中畑清がいたため、慣れないセカンドを守り続け、肩に違和感を感じ始めた。そんな時藤田元司監督が原を気遣い、指導者として優しさと厳しさを学んだ。藤田監督は亡くなる直前まで、「巨人は原辰徳なら大丈夫だ」と話していたという。
http://www.ntv.co.jp/idenshi/
五輪競泳:北島の意地と後輩たちの感謝の念が結実 2012年8月6日 毎日jp
ロンドン五輪競泳。良質のフィナーレは、感動とともに「驚き」を見る者に与える。競泳最終日。劣勢が伝えられ、3大会連続のメダル獲得に黄信号がともっていた男子400メートルメドレーリレー。それが日本競泳史上初めて五輪の同種目で銀メダルを獲得し、同時に今大会メダルゼロで終わろうとしていた北島にもメダルをもたらした。「(北島以外の)3人で『康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないぞ』と話していた」と競泳主将の松田。長年、日本チームの目標であり、憧れであった北島への感謝を形で表した。
個人種目では100メートル平泳ぎ5位、200メートル4位と、結果を残せないままメドレーリレーに臨んだ北島。「足を引っ張らないようにする」と、冗談とも本気とも取れない意気込みを示していたが、日程が進む中で徐々に調子や気持ちの高まりを感じていた。「『行ったれ!』という感じだった」と、レース前の心境を振り返る。
http://mainichi.jp/sports/news/20120806k0000m050038000c.html
トビウオジャパン、絆の勝利 競泳陣はメダル11個 - ロンドンオリンピック2012 2012年8月6日 朝日新聞
つないだ 祈った 笑った 競泳メダル、戦後最多11個
五輪4度目出場の29歳から、少し前まで無名だった21歳まで。プールサイドで2度、抱き合って喜びあう姿があった。チーム・トビウオジャパンの絆の勝利。日本の競泳陣は、男女400メートルメドレーリレーの銀、銅メダルで最高の締めくくりになった。
大歓声の中でのゴール。
最終泳者、上田春佳選手の腕をがっちりつかんだのは加藤ゆか選手。3個目のメダルとなった鈴木聡美選手が両手でガッツポーズ。輪になって抱き合い、年長で長身の寺川綾選手がみんなの頭をたたいた。上田、加藤、寺川の3選手は同じスイミングクラブプールで練習し、とりわけ仲が良い。
寺川選手は、表彰台の上で日の丸が揚がるのを見て、泣き出した。「待っていたのはこれだ、と思って……」
4人はレース前、「これは女子の見せ場だね」「男子にも勢いをつけたい」などと話していた。
続く男子4人も、この種目史上初の銀メダルで応えた。最終泳者の藤井拓郎選手と3人が次々に握手をする。メダル3個目の入江陵介選手は、何度か鼻を手で押さえた。
みなの頭にあったのは、この五輪で最も苦しんだ北島康介選手のことだ。
「僕にプレッシャーを与えないところが、成長してくれたな、と思います」と当の北島選手。リレーで渾身の泳ぎを見せた。
「なんか、すげえ楽しかった。チームメートと泳いで、ずっとライバルだったやつと泳いで、ってのは」
「個人で果たせなかったものを、チームでメダルをかけさせてもらった。僕はもう、何も言うことはないです」
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201208050300.html
北島康介 ウィキペディア(Wikipedia)より
北島康介(きたじまこうすけ、1982年9月22日 - )は、日本のプロ競泳選手。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト。
日本コカ・コーラ所属。身長178cm、体重72kg。
【主な戦績】
・2003年、7月20日第10回世界水泳バルセロナ大会競泳競技 21日の男子100メートル平泳ぎ59秒78で世界記録(当時)を更新し、金メダル。続く25日の男子200メートル平泳ぎ2分09秒42でマイク・バローマンの世界記録(当時)を10年ぶりに更新し、金メダル。最終日27日の男子400mメドレーリレーで日本記録(当時)を更新し、銅メダル。
・2004年、8月15日アテネオリンピック 男子100メートル平泳ぎ1分00秒08で金メダル。インタビューで「チョー気持ちいい(超気持ちいい)、鳥肌ものです」とコメント。ちなみにこの「チョー気持ちいい(超 気持ちいい)」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれ、2010年に集計された「印象に残っている流行語」で第3位に選ばれている。同日、100メートル背泳ぎ金メダルのアーロン・ピアソル(アメリカ)が「北島はスタート時に禁止されているドルフィンキックを行った」と抗議したが、大きな問題にはならなかった。
・2007年、3月25日第12回世界水泳メルボルン大会競泳競技 26日の男子100メートル平泳ぎ59秒96で銀メダル。続く30日の男子200メートル平泳ぎ2分09秒80で金メダル。最終日4月1日の男子400mメドレーリレーで銀メダル。
・2008年、6月8日ジャパンオープン 男子200メートル平泳ぎで、SPEEDO社のレーザー・レーサーを着用して挑み、5年ぶりとなる2分07秒51の世界記録(0秒99更新、当時)を樹立。北島の世界新記録は、日本人選手が国内長水路レースで記録したものとしては、1972年7月21日の「日本水泳選手権競技大会」で青木まゆみが女子100mバタフライで記録して以来、36年ぶりだった。
・2008年、8月11日北京オリンピック 男子100メートル平泳ぎで、ノルウェーの新鋭アレクサンダー・ダーレ・オーエンらを振り切り、人類史上初、59秒の壁を破る58秒91の世界新記録で金メダル。「世界記録を出し、金メダルを獲得する」という試合前の予告をその通りに果たした。男子100メートル平泳ぎの大会2連覇は世界初、平泳ぎの同一種目の大会連覇は日本人としては鶴田義行以来76年ぶりのことである。この時のインタビューでは、アテネオリンピックの金メダル獲得時のインタビューとは一転、緊張感・責任感から解き放たれたのか、涙をこらえきれず、絞り出すような声で「何も言えねえ」というコメントを残し、流行語となった。この言葉について、後のインタビューで、「このとき、お世話になった方々への感謝を口にしようとしていたが、こみ上げてくる思いで言葉が出なかった」という内容のコメントをしている。
・2012年、8月4日ロンドンオリンピック大会 男子400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得し、男子メドレーリレーは、3大会連続のメダル獲得となった。北島は第2泳者で登場し、アメリカのブレンダン・ハンセンを抜いて2位から1位へ押し上げる会心の泳ぎで有終の美を飾った。この種目での銀メダル獲得と男女両方でのメダル獲得は日本競泳史上初である。
【エピソード】
ロンドンオリンピック開催期間中、ロンドンの地下鉄全361駅の駅名が、熱い議論の末に選ばれたウサイン・ボルトやイアン・ソープ、マイケル・フェルプスなどの世界最高の歴代メダリストの名前に変更され、日本人選手からは競泳から北島康介、柔道から岡野功、山下泰裕、野村忠宏、内柴正人、田村亮子、レスリングから渡辺長武が選ばれた。中でも北島は、日本人選手としては唯一中央部にある駅名に選ばれている。
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『世界でただ一人の君へ――新人類 北島康介の育て方』 平井伯昌/著 幻冬舎 2004年発行
世界一になった日 (一部抜粋しています)
予選が始まった。康介の調子はもう分かっている。後はライバルたちの泳ぎをこの目で確かめ、決勝で手を打つだけだった。
予選ではギブソンが隣で泳ぐことになった。レースが始まると、たしかに速い。スピードがある。ところがターンが驚くほど下手で、前半のリードを食いつぶし、ターンが終わると康介に追いつかれている。
ところがギブソンのターンには変ったところがあった。ふつう、ターンというのは手をついたら左手を下にしてターンする。ただし、例外があった。オーストラリアである。
オーストラリアは右手を下にする。ギブソンは右手を下にしていた。ひょっとして康介を動揺させるために反対でターンをしているんじゃないかと疑心暗鬼になった。もし、決勝で左手を下にしてきたら、タイムが上がってくる。
・
他の選手というものは、実際に泳ぎを見ると、どの程度の選手なのか、分かるものである。やはり国際大会で怖いのは、ギブソンのように急に頭角を現してきた選手で、しかも思い切りのよい戦法を採る選手なのだ。その点を康介と話してみると、選手の感覚というものは鋭く、あの選手が怖いと言ってきた。
戦略はギブソンをマークすることだった。前半を抑えてしまうと、もしかして逃げられてしまう可能性もある。そこで、
「お前の泳ぎはいま、本当に充実している。基本的には同じでいいけど、前半の50mは28秒5を切るつもりでいこう」
と話した。
最後の20mでお前にかなうやつはいない。すこしだけ、前半を上げていけば大丈夫だ。絶対に勝てる。問題は記録だからな。
そう伝えた。康介も落ち着いていた。
「僕も同じ気持ちでいこうと思ってました」
ここでも自分と康介の気持ちがシンクロしていた。うまくいくときは、こういうものなのかもしれない。しかもこのときの康介は準決勝が終わった時点でも、余力があるな、という感じがした。いつもだったら準決勝あたりで緊張もしているし、疲労の色も浮かべるのだが、体力を温存している様子がうかがえたほどだ。経験、そしてトレーニングがすべて照準に合ってきたのだ。
そして100m決勝。前半はやはりギブソンが思い切り飛ばした。50mのターンを見て、康介のペースはちょっと遅いかもしれないと思った。しかし、ターンして浮かび上がるとそんなに開いていない。
ところがギブソンはそこで早めのスパートを仕掛けてきた。競馬でいうと逃げ馬が二の足を使うと言う感じで、速い。まるでシドニーや福岡のときの康介を見ているようだった。これは最後の最後で、バテる。失敗を経験している私には展開が読めた。
最後、康介がスパートをかけた。泳ぎのタイニングが完璧だった。練習中に言い続けてきたことが、結実した瞬間だった。ストローク数云々(うんぬん)じゃない。泳ぎのタイミング。どんどんテンポを上げていくと、それがそのままスピードの上昇につながっていく。身体と気持ちが完全に一体化していた。
康介は一番にタッチした。記録が問題だった。59秒78。
実はこのとき、コーチ席ではなく、私は観客席の3階でレースを見て居た。自分としては冷静な気持ちで泳ぎを見ていたかったのである。WR(世界記録)という表示に興奮を隠し切れなかった。そうすると周りの観客が「キタジマのコーチ」だと言って、「コングラチュレーション」やら、「一緒に写真撮ってくれ」だのと声をかけてくれ、即席の祝勝会となった。
そして廊下を降りていき、康介と抱き合った。
「よかったなあ」
プレッシャーを感じていないと言えば嘘になる。正直、ホッとした。ただ、シドニーや福岡で感じたような疲れというものがなかった。朝、会場に向かうバスの中で、
「いよいよ康介が世界一になる日が来たか」
と図々しいことを考えていたのである。余裕があったのである。康介も一緒だった。100mで優勝した次の日、朝、軽く泳ぎたいと言ってきたのだ。心も身体もまったく消耗していない。
失敗と経験が生きたのだと思う。シドニーでの未熟さ、気持ちの切り替えの失敗。福岡での作戦ミス。世界に出て戦うことで、日本選手権で感じるのと同じような余裕を、世界大会で感じられたのである。力んでいた昔の自分とは違っていた。日本選手権では知っている選手、知っているコーチに囲まれ、そして自分たちには実績もあった。ところが世界に出ていくと、ビビッてしまう。
しかし積極的に国際大会で泳いだり、海外で合宿を張ることで、バルセロナではアウェイで戦っているというプレッシャーがなかった。段階を踏んでここまで来た。そうした充実感があった。
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