じじぃの「歴史・思想_34_合衆国史・国歌星条旗」

Star Spangled Banner with Lyrics, Vocals, and Beautiful Photos

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vPKp29Luryc

Star Spangled Banner Lyrics

『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズアメリカ合衆国史①』

和田光弘/著 岩波新書 2019年発行

おわりに――愛国歌「星条旗」の誕生 より

さて最後に、1814年9月のマックヘンリー砦の攻防戦に話を戻したい。
これより少し前、弁護士のフランシス・スコット・キーらは、捕虜の解放交渉のため、ボルティモア港沖に停泊するイギリス艦船へと向かった。交渉は首尾よく進んだが、彼らは戦闘終結まで留め置かれ、激しい攻防戦を敵艦船上から目撃することになった。そして9月14日の夜明け、英軍の攻撃を跳び返した砦の様子を見て感激したキーは、解放されたのち、ホテルの1室で1篇の詩を書き上げる。今日の国歌「星条旗(スター・スパングルド・フラッグ Star-Spangled Banner)」の誕生である。
この詩はただちにビラに印刷され、20日には「マックヘンリー砦の守り」のタイトルで新聞に掲載、翌月には楽譜が出版された。詩に付された曲は、イギリスの酒宴の歌「天国のアナクレオンに捧ぐ」。音域が広くて歌いにくいとされるこの曲は、ロンドンのアマチュア楽家のクラブ、アナクレオン協会のテーマソングであり、18世紀末にアメリカにも同協会ができ、このテーマソングもアメリカで人気を博していた。そもそも当時は1つの曲に対して多くの歌詞が当てられる、いわゆる替え歌が一般的であり、この曲にもすでに、メロディに合わせて多くの詩が作られ、出版されていた。
キーも1805年に、やはり「天国のアナクレオンに捧ぐ」に合わせて、第1次バーバリ戦争で活躍した兵士を謳った詩「勇士の帰還」を作っており、そのなかには、のちに「星条旗」で用いられる表現が散見され、「スター・スパングルド・フラッグ」の語も見える。したがってバーバリ戦争時の詩が前提となって、1812年戦争時の詩が生みだされたといえよう。
全部で4番まである「星条旗」の歌詞のうち、1番と2番を抄訳、要約しつつ、そこに描かれた戦闘の様子を見てみたい。
1番
 おお、見えるか、夜明けの陽の光に、
 夕暮れの終(つい)の光に、我らが誇りを高く歓呼したものを。
 その太きストライプと輝く星は、われらが見つめた砦の上に、
 雄々しくひるがえっていた。
 ロケット弾の赤き光と、空に炸裂する砲弾は、夜じゅう、
 われらの旗がいまだそこにある証となった。
 おお、ちりばめたる旗は まだひるがえっているか、
 この自由なる者の大地に、勇敢なる者の故郷に。
2番
 夜が明けんとする薄霧と静寂(しじま)のなか、
 砲撃の止んだ砦に掲げられている旗は、
 時おり吹く風になびいて見え隠れし、
 その意匠は判然としない。
 そこへ夜明けの薄光が射てし、それを受けて、
 今輝いているのは栄光に満ちた星条旗であることがわかる。
 おお、末永くひるがえらんことを、
 この自由なる者の大地に、勇敢なる者の大地に、
 勇敢なる者の故郷に。
つまり、夜じゅう続いたイギリス軍の猛攻に耐えて、砦は死守されたのであり、朝日にひるがえる星条旗――敵の旗でも、白旗でもなく――こそ、その事実を砦に高らかに示したのである。かくしてイギリスのボルティモア攻略は失敗に帰した。
この時、砦に掲げられていた星条旗は、15本のストライプと15個の星があしらわれた大型のもので、キーの詩によって「スター・スパングルド・フラッグ」として有名になり、砦の司令官の手元に置かれたが、その孫が20世紀初頭にスミソニアン協会に寄贈した。