じじぃの「科学・芸術_653_人類の移動・モンゴロイドの海洋拡散」

Polynesian Origins 動画 YouTube
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太平洋諸島へのカヌーによる渡海

『人類はどこへ行くのか (興亡の世界史)』 杉山正明、大塚柳太郎、福井憲彦/著 講談社 2009年発行
人間にとって海とはなんであったか より
世界の動物区の重要区分に、アジア区とオーストラリア区がある。両者を分かつウォーレス線は、そこに引かれている。スンダランド(タイとインドネシアの周辺)とサフルランド(オーストラリアとニューギニアの周辺)を分ける海は、動物にとっては当時でも移動不能な障壁であったからである。しかしモンゴロイドは、そこを越えてサフルランドに進出していく。その時期は、6万〜4万年前と推定されている。両者を分かつ海域に所在する島々の間隔は最大で80キロメートルほどあり、その渡海は筏(いかだ)によっても可能であったろう。
東南アジア大陸部に達したモンゴロイドが選択したもう1つの進出方法は、陸域を北上して北方ユーラシアさらには極北へとむかうものであった。一般に緯度に並行する東西移動にくらべて、緯度に対して垂直方向となる南北方向移動はより困難である。東南アジア大陸部からの北上ルートは、それまでのユーラシア南縁ぞいの東西移動にくらべてはるかに困難な適応を要求する移動であった。しかも最終氷期の最盛期の北上である。困難な条件のなかで後退と寒冷適応をくりかえしつつ、モンゴロイド氷河時代終末期の1万数千年前に北極海沿岸部に到達する。
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広大な海洋をいちはやく移動空間として人類史に編入していったのは、やはりモンゴロイドであった。オーストロネシア語系集団の太平洋進出である。同言語の祖語復原と分布をもとに、彼らの原郷は、南中国から台湾とフィリピンにかけての海域と考えられられている。約6000年前、日本でいえば縄文海進とよばれる温暖期に、彼らは同海域から東南アジア島嶼部へと進出していく。この時期の彼らの東方進出は、かつてのような陸域経由ではなく、カヌーによる渡海であった。文化人類学の後藤明は、カヌーの出現に重要な役割をはたしたのは、フィリピン諸島とりわけビサヤ海一帯であろうという。そこは「3000の島々からなる」と形容されるフィリピン諸島のなかでも、もっとも他島海的な海域である。風力利用のための三角帆または安定性向上のためのアウト・リガー(船外浮材)が開発され、それらを装着したカヌーへの展開が達成されたのであろう。それによって、外洋での迅速かつ安定的な航行が容易となる。
太平洋の島嶼分布は、南西部から南部一帯に偏在している。これらの島々は、ミクロネシアメラネシアポリネシアの3つに区分されてきた。しかし太平洋海域へのモンゴロイドの拡散を説明するために、この3区分とは別個の地理区分が提唱されている。それは、オーストロネシア語系集団の原郷を基点として、ニアー・アセアニア(口オセアニア)とリモート・オセアニア(奥オセアニア)の2つに区分するものである。両者のおよその境界は、<フィリピンーニューギニアーオーストラリア>の東端海域を結ぶ線とされる。その内(西)側が口オセアニアで、ほぼ東南アジア島嶼部とオーストラリアとをあわせた多島海にあたる。同線以東の奥オセアニアは、ニュージーランドをのぞく大島嶼はなく、主として火山島や珊瑚島の小さな洋島が点在するだけの海洋的世界である。