オー・シャンゼリゼ(日本語) Les champs Elysees/ダニエル・ビダル 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wCo57tiQLFc
夜の新宿公園 (toyokeizai.net HPより)
『想像力欠如社会』 水島宏明/編・水島ゼミ取材班/著 弘文堂 2018年発行
路上生活の“おっちゃん”たちからの贈り物 【執筆者】松本日菜子(上智大学文学部新聞学科) より
「街を歩く 心軽く 誰かに会える この道で すてきな貴方に声をかけて こんにちは私とゆきましょう オー・シャンゼリゼ オー・シャンゼリゼ いつも何か すてきなことが 貴方を待つよ シャンゼリゼ」
これは、フランス人歌手のダニエル・ビダルが日本語で歌った「オー・シャンゼリゼ」の1番の歌詞。明るい曲調で、道にいる人に笑顔で声をかける様子が思い浮かぶ。これから書く、ホームレス路上訪問の風景。この曲がぴったりだと思った。新宿の路上がフランスのシャンゼリゼ通り。顔なじみのホームレスに声をかける。いつも何か不思議な出会いがある。シャンゼリゼ通り、すなわち新宿の路上は、私が生きている大学生の社会より、もっと自由に話ができて、喜んで、笑って、真剣になって、「ここにいていいんだな」と実感できる場所だ。おっちゃんたちと過ごす時間は、自分が一番自分らしくいられる。
出会いを紡ぐ
「昨日までは 知らない同士 今日から二人 恋人よ 道をゆけば 世界はゆれる 愛する貴方と 私のため」
最初に「オー・シャンゼリゼ」の1番の歌詞を紹介した。この歌の3番は、声をかけたあなたは、昨日まで知らない人だが、今はもう知り合い。これから一緒に歩いていけば、世界はゆれる。あなたと私のため。私は「愛する貴方と私のため」という言葉が、一番大事なポイントだと思う。人に寄り添う時、人は「私のため」を忘れてしまいがちだ。現状を知れば知るほど「自分」が消えてしまい、相手との関係もこじれていく。愛する貴方と私のため」。「普通の関係」とは、そういうものだ。
「私たちボランティアから食べ物や衣類をわけ与える。それがホームレスへの支援活動なのだ」と考えていた。しかし何度も通ううちに増えていくおっちゃんたちからの贈り物。「こちらがあげる」というばかりではないのだ。ホームレスといっても、決して受け身で施しを受けるだけというわけではない。
23年前、新宿の路上のホームレス支援では、ものや食事の支給が多かった。配るだけの支援は「あげる側」と「もらう側」という避けられない溝を生み、多くの団体が支援を続けることが難しくなっていった。そんな中、屋根や食料を用意するだけではない人との出会いを紡いできたスープの会。お互いに大事にしてきた土曜日の夜の時間。無口なおっちゃんたちが、だんだんと身にまとう鎧をはずしていく姿が贈り物に表れている。見方を変えると、自分の気持ちを素直に表現できる場所がこの活動にはあるという証拠でもある。
路上訪問に通うようになって、ボランティア活動は一方的にあげることだと思っていた私の考えは完全に崩れていた。最初はなんと傲慢な考え方をしていたこととだろうか。おっちゃんたちには、ものをくれる人もいれば、体験を話してくれる人もいる。あげたり、もらったり。これが普通の人間関係なのだ。
「ホームレス」と聞くだけで「怖い、臭い、汚い」と感じる人は多いに違いない。そして、人それぞれのホームレスと関わった最初の経験が、ずっとホームレスの人全体のイメージに影響しているかもしれない。しかし、私がおっちゃんたちに会いに行ってわかったことは、人と人が関わりを持つことに特別難しいことはないということ。私が土曜日に新宿へ行く目的は、金井さんや田村さんに会いに行くこと、元気なのかと近況を確かめること、私自身の近況を聞いてもらうこと。何より、自分が自分としていられる場所だということ。
「今度は何を話そうかな」。そんなことを考えながら、今日も私は新宿へと向かう。「オー・シャンゼリゼ」を口ずさみながら。