じじぃの「科学・芸術_204_日用品の歴史」

History of paper - Paper 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kH366mKtaSM
History of the Pencil 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uCsmeYnDdbE
ツタンカーメンのサンダル

ツタンカーメン - 「悲劇の少年王」の知られざる実像』 大城道則/著 中公新書 2013年発行
王のサンダル
ツタンカーメン王とともに埋葬された遺物には、王に相応しい豪華で絢爛な副葬品が数多く知られている。金箔を施した王像や神々の像、王の姿をしたウシャブティ(来世において農作業や賦役労働が求められた際に、死者の代理を務めた小像)、ベッド、厨子玉座などの調度品、宝飾品、そしてゲーム盤や船の模型にいたるまでが、王の死後の安寧を願いミイラとともに埋葬されたのである。
そのなかに、100点ほどのサンダル(履物)が含まれていた(Veldmeijer)。それらのサンダルのほとんどは、皮革製のものやパピルスで編まれたものであったが、それ以外にも実際に王のミイラが履いていた黄金製のサンダル、ビーズで編まれた精巧なもの、ベニヤの寄木細工で作られた見事なサンダルがよく知られている。特に最後に挙げて寄木細工のサンダルには、エジプトでしばしば見られる図像が用いられていた(画像 参照)。そこには、左右ともにヌピア人とアジア人の外国人捕虜が、背中合わせで後ろ手に縛られている様が描かれていたのである。2人の捕虜の上下に、古代エジプトで伝統的に敵を意味する9本の弓(九弓の敵)が描かれていた。一般的に椅子の足置きや建物の階段部分に同様の図像が使用された。このことはエジプト王たるツタンカーメンが外国の敵を足の下に置き、歩くたびに踏みつけるという呪術的意味合いを持つものであった。

                            • -

『1000の発明・発見図鑑』 ロジャー・ブリッジマン/著、小口高、諸田昭夫、 鈴木良次/訳 丸善 2003年発行
食器
チャタル・ヒュユク(トルコ・アナトリア地方南部 紀元前7500年頃の集落)では、まだ発掘が続いているが、生活用品や道具が多く見つかっている。
骨で作られた食器は、おそらく黒曜石でできた道具を使い成形されたものと思われる。
太鼓
前6000年頃に使われていた太鼓の遺物が発見されている。太鼓は音やリズムで人びとを支配する目的で宗教的、政治的、軍事的に使われ、さまざまな形に進化してきた。
最初は空洞の枠に動物の皮を張った簡単なものだったが、現在ではアフリカのトーキングドラム、古典的なケトルドラム、タンバリンなど何百もの種類がある。
木綿
アオイ科ワタ属の植物の種についている線維が木綿の原料になる。木綿は前5000年頃インダス川流域(現在のパキスタン)で見つかり、木綿の繊維を使うと亜麻の繊維を使うよりずっと繊細な布ができることが発見された。
この発見はすぐ西メソポタミアに伝わり、アッシリアでは粗い羊毛のかわりに木綿の布が好まれた。その後、東方の中国へも広がった。

絹は現在も珍重されている。4600年ほど前に中国でつくられ、製法の秘密は厳重に守られていた。蚕(かいこ)と繭(まゆ)は、黄帝の妃だった14歳の西陵が発見したといわれる。製法が明らかにされたのは3000年近く後で、インド、日本に広がり、やがてヨーロッパにも伝わった。

靴ができる前はサンダルがあった。前1500年頃には、メソポタミアでは足を完全に包む靴が使われていた。一枚の皮で足を足首まで包み、生皮のひもで締める軟らかい革靴で、現在のモカシンに似ている。ほぼ同時代、古代クレタでは冬に膝丈のブーツを履いていた。

紙がどんなに優れたものか、とかく忘れがちである。軽く強く安い紙は中国から西欧諸国へ広がり、たちまちほかの筆記用材にとって替わった。
105年に中国の法臣が絹の代用品として紙を発明したといわれているが、山西省で前49年頃のものとされる紙が出土している。印刷からティーバックまで、紙は多くの発明に欠かせない材料となった。
ねじ
ねじは、小さな力で回しても大きな力が得られるので、ものをつなぐのに適する。ねじ山、とくに、雄ねじの相方になる雌ねじのねじ山は、ナットの内面に切ってあるのでつくるのが難しい。
50年頃までに、タップという工具で雌ねじを切るようになった。ほぼ同じ頃、ギリシャの科学者・発明家アレクサンドリアのヘロンが、精巧なねじで組み立てる機械について記述している。
鋏(はさみ)
鋏は、布、紙、毛製などの柔らかいものを切るのに適する。原理は前3000年に知られていたが、2枚の刃を中心軸でとめ合わせた現在の形はローマ人が100年前頃発明した。
16世紀に鋼が安価になるまでは、仕立屋や理髪師などの専門家が使う特殊な道具だった。
せっけん
前1000年頃から、脂肪と木灰を沸騰させてせっけんがつくられたらしい。元来医薬品で、あまり泡立たなかった。初めてせっけんで物を洗ったのは、おそらく150年頃のローマ人で、ローマの女性はその100年前から一種のせっけんをシャンプーとして髪を洗っていた。
扇子(せんす)
形の変えられないうちわに対して、折りたためる扇子は7世紀に日本で発明された。この気のきいた小道具は日本や中国で流行し、涼をとるだけでなく社交に欠かせないもち物となった。18世紀のヨーロッパでは中国のものがすべて当世風とされたので、扇子も裕福な女性の間で広まった。
眼鏡
対のレンズを鼻の上に固定する形の眼鏡は13世紀からあるが、由来ははっきりしない。イギリスの科学者ロジャー・ベーコンが1268年に小さい文字を読む拡大鏡について記しているが、厳密にいえば拡大鏡は眼鏡とは違う。
1301年に眼鏡づくりが確立していたイタリアでは、フィレンツェ出身のアレサンドロ・ディ・スピーナとサルヴィーノ・マーティが眼鏡を発明したといわれる。しかしこの時代の多くの発明品のように、すでに10世紀に中国で発明されていたかもしれない。
腕時計
最初の腕時計はハンバーガーくらいの大きさがあった。1500年ドイツの錠前師ヘンラインが発明し、内部のしかけを動かすのは重りではなくばねだった。
彼の”ニュルンベルクの卵”という時計は金属製のカバーつきで、直接見るときはカバーを開けねばならず、分針もなかった。欠点はあったものの、これで時計をもち歩けるようになった。
鉛筆
スイスの博物学者ゲスナーが、初めて黒鉛を鉱物の一つとして同定した。黒鉛は軟らかくつるつるした炭素だが、これを筆記用具にしようと考えたのも彼である。
1565年、彼は黒鉛を木の軸の中に入れることを思いついた。当時イギリスでは黒鉛が豊富にあった。しかし軸の中心に黒鉛(当時は鉛だと思われていた)の芯を貼りつけた現在のような鉛筆ができたのは1812年である。
ナイロン
1938年、米国の総合化学会社デュポンがナイロンを開発した。発明者の化学者カラザーズは、同じ分子が多数結合してできた分子であるポリマーが専門だった。
タンパク質である絹ににた物質をつくるため、タンパク質と同じアミド結合という連鎖で分子を結合しようとした。1934年、実験室のビーカーの中で”ポリアミド”のつながった繊維、すなわちナイロンをつくるのに成功した。1038年、ナイロンストッキングが販売され。大評判になった。

                            • -

『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
史上初の万年筆は?
万年筆はインクを本体の中に蓄え、ペン先へ供給することで長時間の使用を可能にした筆記具です。17世紀頃からいろいろな構造の万年筆が販売されていましたが、1809年にイギリスの発明家ジョセフ・ブラマーが、ピストン式の万年筆で特許を取得したことから開発競争に拍車がかかります。
1884年にはアメリカの保険外交員ルイス・ウォーターマンが、毛細管の作用でペン先にインクが伝わる現在の万年筆の構造を考案して特許を取得しました。これが、実用的な万年筆のルーツです。
日本では、1828年に鉄砲鍛冶の国友藤兵衛が、青銅の管とねじを使った「懐中筆」を発明。さらに1885年には同様の構造を持った「万年筆」が発売されたのですが、いずれも普及しなかったようです。
ボールペンを発明したのは?
ボールペンが登場したのは1888年アメリカ人の発明でした。しかし、インク漏れを防げず、板や厚紙に印をつける程度のことしかできませんでした。
その後、ハンガリー出身のラズロ・ビロが改良を加え、1943年に筆記具として完成させました。1944年、アメリカのエバーシャープ社がビロの特許を買い取って商品化。これがきっかけで全米に急速に広まりました。
日本にもたらされたのは戦後で、それを参考にしてオート社が日本初の鉛筆型ボールペンの開発に成功しました。