じじぃの「人の死にざま_1734_ロバート・グッド(免疫学者)」

ロバート・グッド

Los ratones tenidos del doctor Summerlin 19 de julio de 2016 Sobre esto y aquello
Robert Alan Good (1922 - 2003)
http://www.manuelpeinado.com/2016/07/los-ratones-tenidos-del-doctor-summerlin_19.html
現代免疫物語―花粉症や移植が教える生命の不思議 岸本忠三・中嶋彰/著 ブルーバックス 2007年発行
一世を風靡したロバート・グッド (一部抜粋しています)
一世を風靡するという、草木を風がなびかすように、その時代や社会に己に従われるありさまを指す表現だ。もし1970年代の米医学界で、一世を風靡した人物を探すならロバート・グッドはその有力候補といっていいだろう。
1968年世界で初めて骨髄移植を成功させた長身の男は――俳優のウィリアム・ホールデンにも似た顔立ちであった――その頃、研究者として絶頂の時期にあった。米ミネソタ大学の小児科教授から、世界最高のがん研究所といわれたスローン・ケタリングがん研究所(ニューヨーク)の所長に転身した彼は、免疫研究の第一人者として、百人を超える部下を率い、がんの免疫治療に取り組んでいた。人類の難敵といわれたがんを免疫で制圧するという野心的な挑戦に社会の期待は集まり、米タイム誌はがんの免疫療法の特集を組み表紙にグッドを掲げた。グッドのノーベル賞受賞は確実ともいわれた。
グッドの交際のスケールの大きさは群を抜いていた。彼は富豪のロックフェラー家から別荘を借り、そこには政財界の大物が出入していた。後二イスラム革命で国を追われるイランのパーレビ国王とも親交があった。
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グッドに医学者として頂点を極めたいという野心、欲望があったことは否定できない。だが、彼を動かしていた最大の動機は、彼の言葉を借りると「自然による実験(experiment of nature)への挑戦だった。自然は時に人類に残酷なふるまいをする。生まれつき免疫の一部がない子供や、場合によっては免疫のすべての営みを失った赤ん坊をこの世に送り出してしまう。赤ん坊の多くは1年以内に死亡する。
こうした死の淵におかれた幼い子供たちを救うのが医師の担う役割ではないか。自然がしかけた過酷な実験にはむかうのが自分の使命ではないか。グッドの脳裏にはこのような思想が熟成していった。だからこそ彼はデビッド坊やを救うために果敢に骨髄移植に挑んだのだ。
だが、しばらくしてグッドを不幸が見舞った。部下の研究者のスキャンダルが露見したのだ。彼は皮膚移植の実験をネズミを使って行っていた。皮膚は、生き物の臓器や組織の中でも拒絶反応が起きやすいといわれる組織だ。だが皮膚を培養してから移植すると、拒絶反応が弱まり移植が可能になるのではないか――。こう考えた部下は、培養皮膚を使って移植の実験を行った。黒色のネズミの皮膚を白色のネズミに移植する実験だ。
だが彼は何としたことか、皮膚の移植場所に黒いペンで色をつけてしまった、とされる。。「ペインテッド・マウス」――。米医学界に刻まれた研究成果ねつ造のスキャンダルだ。
なぜ部下は、こんな馬鹿げた行為をしてしまったのか。グッドが毎日口にしていた「ホワッツ・ニュー・トゥデイ」が知らず知らずのうちに彼にゆがんだ圧力をかけてしまっていたのだろうか。
グッドは、この事件が遠因ともなってスローン・ケタリングがん研究所の所長を辞した。だが彼が医学界に遺した足跡は今でもあざやかに輝いている。