じじぃの「人の死にざま_1684_中・勘助(作家・銀の匙)」

中勘助生誕130年 没後50年 中勘助文学記念館開館20周年記念事業 会場:静岡市民ギャラリー第4展示室  P2186100 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VRpZHjF9VcU

東大合格激増させた灘校伝説教師の授業は文庫本1冊読むだけ 2011.02.25 NEWSポストセブン
灘校を東大合格者数日本一に導いた「銀の匙」教室の授業風景である。教科書は一切使わない国語の授業。文庫本『銀の匙』(中勘助)1冊を横道に逸れながら中学3年間かけて読み込む。
http://www.news-postseven.com/archives/20110225_13448.html
企画展「生誕130年没後50年 『銀の匙』の作家 中勘助展」 神奈川近代文学館
2015年(平成27)は、代表作「銀の匙」で知られる作家、詩人・中勘助(1885〜1965)の生誕130年、没後50年にあたります。本展は、この記念の年に際し、その生涯と業績を紹介するものです。勘助は、大正末から1932年(昭和7)まで8年近くにわたり平塚に居を構えた、神奈川にゆかりの深い文学者でもあります。
中勘助は、1885年(明治18)、東京・神田に生まれ、繊細で多感な少年時代を小石川で過ごしました。第一高等学校から東京帝国大学へと進んだ勘助は両校で、英国留学から帰国まもない夏目漱石の講義を聴きます。
近年では、灘校教師・橋本武氏が行った、中学の3年間で「銀の匙」1冊を読み込む国語授業が大きな話題となり、新たな注目を集めています。
http://www.kanabun.or.jp/exhibition/1312/
『短編小説を読もう』 阿刀田高/著 岩波ジュニア新書 2005年発行
日本語の美しさをまっとうした作品 (一部抜粋しています)
志賀直哉を読んでいると、おのずとよい文章への憧れが生まれます。私の場合、この延長線上に中勘助(なかかんすけ)『銀の匙』がありました。
NHKのラジオ番組「私の本棚」で樫村治子さんの朗読を聞いたのが最初だったでしょう。典雅(てんが)な文章に魅せられ、さっそく文庫本を買って読みました。それから何度読み返したかわかりません。
銀の匙』は前編と後編からなる長編小説ですが、それぞれ53章と22章を収めて短編連作集の趣がなくもありません。どこから読んでも大丈夫。短編小説といっしょに扱うことが許されてもよいでしょう。
上巻は主人公の小学生時代。クラスメートのお螵ちゃんと仲良くなり、淡い初恋を覚えますが、お螵ちゃんの父親が亡くなって母親といっしょに遠くへ引越して行ってしまいます。
「あたしお引越しは嬉しいけど遠くいけばもう遊びにこられないからつまらないわ」とやるせない口調で言ったりします。やがていよいよ別れのときがきて、お螵ちゃんはきれいな着物を着て訪ねてきますが、主人公はなぜか玄関へ出て行くことができません。そして、
  明(あ)くる日私はだれよりも先に学校へいった。さうしてそっとお恵ちやんの席に腰をかけてみたら今さらのようになつかしさがわきおこってじいっと机をかかへていた。お螵ちゃんはいたずら者である。そこには鉛筆で山水天狗やヘマムシ入道がいっぱいかいてあった。
  これはもう二十年も昔の話である。私はなんだかお恵ちゃんが死んでしまったやうな気がしてならない。さうかとおもえば時に今でもお恵ちゃんが生きていて、おりふしそのじぶんのことなど思いだしているような気もする。
と前編は甘い悲しさを漂わせて終わります。
変わって後編は中学生から高校生でしょうか。最後は友人の家の別荘に一人逗留(とうりゅう)して心身を休めています。17、8歳のころでしょうか。友人のお姉さんがたまたまやって来て、多少の接触が生じます。このお姉さんの美しいことと言ったら……私は日本の小説に描かれた女性の中で一番美しい、と今でも思っています。
主人公ははにかみ屋ですから、このお姉さんの美しさに魅了されながらも、うちとけて話を交わすこともできません。やがてお姉さんは去っていくのですが、
  「あかりをちょっと拝借しました」
  という声がして姉様が盆に水蜜をのせて暇乞(いとまご)いの挨拶に来られた。
  「ごきげんよろしゅう。また京都のほうへおいでのこともございましたらどうぞ」
  私は庭へおりて花壇の腰掛けに腰をおろし海のほうへ海のほうへとめぐってゆく星をながめていた。遠い波の音と、虫の音と、天と……のほかなにもない。ばあやが俥(くるま)をやとってきた。姉様がしたくのすんだきれいななりであかりを返しに私の部屋に小走りにゆかれるのがみえた。やがてばあやが荷物を運びだすあとから姉様は縁側を玄関のほうへととおりながら私のほうへ小腰をかがめて
  「ごきげんよう
  といわれたのをなぜか私は聞こえないふりをした。
  「さようならごきげんよう
  私は暗いところで黙って頭を下げた。俥のひびきが遠ざかって門のしまる音がした。私は花にかくれてとめどもなく流れる涙をふいた。私はなぜなんとかいわなかっただろう。
     ・
と、ここでもまた天下一品の抒情性を残して作品は終わっています。
お姉さんも美しいけれど、中勘助(1885〜1965)の文章は日本文の美しさをまっとうしています。私は時折自分の書く文章が、
――どうもこのごろよくないな――
と感じたときには本棚から『銀の匙』を取り出して何ページかを精読します。その心は、すばらしいものに触れれば自分も少しはよくなる、でしょう。