じじぃの「人の死にざま_1753_ヨハン・バルマー(物理学舎)」


ヨハン・ヤコブ・バルマー ウィキペディアWikipedia) より
ヨハン・ヤコブ・バルマー(Johann Jakob Balmer、1825年5月1日 - 1898年3月12日)はスイスの数学者・物理学者である。
数学者としては大きな業績は残せなかったが、彼は1885年に発表した水素原子の線スペクトルを記述する実験式によって知られるようになった。アンデルス・オングストロームの測定法を用いて水素原子の線スペクトルを分析した結果、彼は線の波長は次の公式に従うことを発見した。
 λ = hm2 / m2 - n2
ここで、n = 2, h = 3.6456×10-7 m, m = 3, 4, 5, 6, ... である。1885年の発表時、彼は h を "fundamental number of hydrogen" と呼んだ。バルマーは次にこの公式を用いて m = 7 の場合を予測し、397 nm の波長の線は既にアンデルス・オングストロームが観察していたことを指摘された。バルマーの2人の同僚であるH. W. VogelとHugginsによって、バルマー系列の他の線の存在も確認された。

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『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』 山口栄一/著 日経BP社 2017年発行
Prologue (一部抜粋しています)
私には今、どうしても行ってみたいお墓がある。スイスの物理学者、ヨハン・バルマー(Johann Balmer)の墓だ。
彼は生涯のほとんどをスイスのバーゼルにある女子高の教師として過ごした。いわゆる「街の発明家」ならぬ「街の科学者」。数字オタクで、数字の中に摩訶不思議な力が秘められていると信じていた。
バルマーは水素原子の線スペクトルを記述する実験式を見つけたことで知られる。水素から放射される光のスペクトルには、可視領域に4本の輝線が見られる。その波長は656.3nm、486.1nm、434.1nm、410.2nm。
これだけだと法則性が全く分からない。バルマーはこの数字をじーっと見つめた。
そして4つの波長を364.5で割ってみた。すると9/5、4/3(=16/12)、25/21、9/8(=36/32)となる。これはいずれも分子が平方数(3、4、5、6の2乗)で、分子から分母を引くとすべて4になる規則的な数列である。
この公式は後にボーアの原子模型につながり、ハイゼンベルク量子力学の誕生の契機となる。水素スペクトルに関するバルマー公式のことを耳にしたボーアは後年、「この式を知るや否や、あらゆるものが収まるところに収まった」と語っている。
さて、公式が生まれた後は私たちにも論理的に行き着くことができる。しかし、問題は「なぜバルマーが364.5で割ったか」である。
彼はどこからこの数字を導き出したのか。これは今もって誰にも分かっていない。もちろん、論文にも書かれていない。この公式を導き出したのは、彼が59歳のとき。人生の晩期だった。
バルマーの墓に行けば、この謎を解くヒントのカケラにでも出会えないだろうか。
この思いの底にあるのは、知的探求というよりも、むしろ何か恋心とか思慕の情に似た「恋い慕う気持ち」に近いかもしれない。若い頃、恋した人にもう一度会ってみたいという気持ち。墓に向かう時のワクワクドキドキした高揚感はそれに近い感じがする。