じじぃの「人の死にざま_1651_ニールス・ヤーネ(免疫学者)」


バーゼルよ、永遠にマイナーであれ〜本当は教えたくない、この街の魅力 2015-05-21 SWI swissinfo.ch
バーゼルに越してきたのは、8年前のこと。以前イタリアにいた私は、よほどのことがない限り感動しなくなっていた。美しい街ではあるけれど、観光の決定打がない。そう感じたので、バーゼルの紹介記事を依頼されたら、国境に近いという特異性を取り上げて書いたりしていた。
http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0-%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E7%9F%A5%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84-%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E7%94%9F%E6%B4%BB-_%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%88-%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8C-%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AF%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%81%93%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B/41436488
ニールス・イェルネ ウィキペディアWikipedia) より
ニールス・カイ・イェルネ(Niels Kaj Jerne、1911年12月23日 - 1994年10月7日)はロンドン生まれのデンマークの免疫学者。1984年に免疫制御機構に関する理論の確立とモノクローナル抗体の作成法の開発により、ジョルジュ・J・F・ケーラー、セーサル・ミルスタインと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

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『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』 立花隆利根川進/著 文春文庫 1993年発行
大天才は生物学者に向かない (一部抜粋しています)
1971年1月、利根川さんは、スイスのバーゼルにあるバーゼル免疫学研究所に移った。日本を出てから8年目、31歳のときである。
利根川さんは、結局、この研究所に10年間いて、ここで後にノーベル賞の対象となる免疫抗体の多様性発現機構の解明を行うことになる。
――この研究所はどういう研究所なんですか。
「これは、ホフマン・ラ・ロッシュという世界でも指折りの製薬会社が作った研究所なんです。バーゼルというのは、人口17、8万の小さな町なんだけど、昔からの工業都市で、ロッシュのほかに、チバ・ガイギーとサンドという2つの世界的製薬会社が本拠を置いている化学工場では有名な町なんです。欧米では、こういう風に大企業が金を出して、商品開発とは全く無関係の基礎科学の研究所を作ることがときどきあるんですね」
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――論文を拝見していると、ずいぶんいろいろな人が共同研究者として次々に登場してきますね。あれは研究グループの人たちですか。
「ええ、はじめはテクニシャンと2人でやってたんですが、もっと人が必要だということになれば、所長のOKさえもらえれば、いろんな人を雇うことができるんです。ぼくのグループの研究成果があがるにつれて、人も金もだんだん多く使えるようになって、最後は10人の人がぼくのグループに入り、研究所の予算の5分の1をぼくらだけで使っていました」
――予算は潤沢なんですか。
「あの研究所は、金がワンサとありましてね。金に困ったことは一度もなかったですね。機材にしろ、実験材料にしろ、欲しいものは何でもそろえられました」
――所長のニールス・ヤーネ(1911 - 1994)というのは、どういうバックグラウンドを持つ人なんですか。
「彼はデンマークの人でね。純粋の基礎免疫学者です。クローン選択説とか、イディオタイプの理論とか、ネットワーク論とか、免疫学の世界では画期的な理論を次々に作っていった人で、前に名前をあげたバーネットなんかとならび称された人なんです。1984年にはノーベル賞も受賞しています。だけどそんなことを知ったのは入ってからなんです。ぼくはそれまで免疫学なんて全然知らなかったから、ニールス・ヤーネなんて名前も知らなかった。そういう風にぼくはわりとものを知らない人間なんです。記憶力も割る医師、そんなに頭がいい人間じゃない」
――そんなことはないでしょう。
「いや、やっぱりね。サイエンティストにも、すごく頭のいいのと、そうでないのといるんです。いわゆるすごい秀才ね、ものすごく記憶力がよくて、細かいことをなんでも覚えている。それから論理能力にすぐれていて、ロジックに穴があるとパッとわかる。そういう秀才っているでしょう。ぼくはそういうんじゃない。記憶力悪いし、ロジックに欠陥があってもなかなかわからなかったりする。でもね、この間ある同僚のサイエンティストと話していたんだけど、彼も秀才タイプじゃないというんだな(笑)。だけど、そのほうがサイエンティストに向いているというんだ。彼にいわせるとね、人間の頭の容量なんてのはだいたいみんな決まってるから、記憶力のものすごくいい秀才タイプは、今度は逆にひらめきみたいな能力に欠けるというんだね。秀才がなかなかサイエンティストになれないのは、あれは絶対記憶力が邪魔をしとるというわけ。われわれは幸いなことに記憶力があまりよくないから、頭のどこかにポカッと穴が開いているだからときどき変なことを考える。それがサイエンティストには重要なんだといっとったな。話が飛んじゃったけど、何の話だったっけ」
――ニールス・ヤーネの話。
「そうそう。彼は単に学者というだけじゃなくて、とても幅の広い人で、文学から哲学まで語れるヨーロッパ的教養人です。そしてサイエンティストになったのは40歳すぎてからで、それまではプレーボーイだったなんて自称している洒脱な人です」