(1-q22)2*(1-q22)2*(1-q33)2

https://cool-hira.hatenablog.com/entry/20151130/1448831222
   ↓ (続き)
さて、この式の括弧を外して展開するとどうなるか?
=1q-2q2-1q3+2q4+1q5+2q6-2q7-2q9-2q10+1q11-2q12+4q13・・・
係数を、
b1, b2, b3・・・などと書く。
b1=1, b2=-2, b3=-1, b4=2
そして、この係数こそが探している数。b(n)と書いたほうが分かりやすいかな? これを使うと、
p-S(p) = b(p)
となるのだ。
これが志村・谷山・ヴェイユ予想が我々に教えてくれることの1例だ。
ラングランズはこれを「混沌の中に秩序を見いだす」と言った。
複雑だった問題に、いわばソース・コードのようなものを発見したんだ。
解の個数を求めるDNAを見つけたようなもの。
さて、ここまで対称性が大きな役割を果たす、と言った。
調和解析における対称性とは?
さっきの数式は関数として捉えることもできる。
特別な変換をしても変化しない。
先ほどの形式はモジュラー形式とも呼ばれ、単位円と呼ばれる領域で定義された関数で、非常に美しい対称性を持つ。
その1例が、
f(q) = q*(1-q)2*(1-q11)2*(1-q2)2*(1-q22)2*(1-q3)2*(1-q33)2*(1-q4)2*(1-q44)2*・・・
まるで魔法のようなことが起きる。
数論の分野の問題は、調和解析という別の数学の分野で解くことができるのだ。
ではなぜ、モジュラー形式は調和解析ということができるのか?
最初の講義で、調和解析三角関数で表される音に関するものだと言ったが、重要なのは2πずらしても変化しないという対称性を持つことだった。
モジュラー形式も単位円上で定義された関数で、三角関数と似た対称性を持つ。
まとめると、ある数論の問題
y2 + y = x3 - x2
素数pを法とする3次方程式の解の個数を数えよ
というものがあり、一方ではある調和解析の関数、単位円上で定義されたf(q)がある。
その関数は特殊な性質(対称性)を持っている。
それはこれらの三角形をある方でずらしても元の関数は変化しないという性質だ。
今日はそれに対して詳しく説明する時間はない。でも、私の本屋さまざまな情報源から詳しく知ることができる。
ネットで「志村・谷山・ヴェイユ予想」で検索してもいろいろ分かる。
とにかく、これらの三角形をあるやり方でずらすような変換をしても、元の関数は変わらない。
そのような対称性の元では変化しない。不変なんだ。
志村・谷山・ヴェイユ予想とは、あらゆる3次方程式の解を数える数論の問題に対しその答えを導く調和解析のモジュラー形式が存在する。
志村・谷山・ヴェイユ予想の概要であり、私の数学の異なる分野を結びつけるという意味を非常に具体的に表している。
もう抽象的な話ではない。ここに解を数えるという非常に具体的な数論がある。そしてそれに対し、調和解析の具体的な関数がある。
その変数qを使って、書くことができる。対円上のモジュラー形式だ。そして、これらはお互いにつながっていることが分かった。
qの累乗の前にある係数から3次方程式の解の素数が分かるというつながりだ。
その志村・谷山・ヴェイユ予想が意味している事実は非常に普遍的なものだ。あらゆる3次方程式でこのことがあてはまることが分かっている。
他の3次方程式の解の素数を数える問題でも、同じような方法で解けるんだ。
つまり、このような方程式の解を数える問題のソース・コードをこれまで見てきたように、このソース・コードをモジュラー形式の関数で表現することができるんだ。
この関数には累乗が無限に含まれている。
なぜ、私がこのことを世界の不思議と表現するのかは分かるだろう。それらがつながっているなんて全く思いもつかないものだからだ。
なぜ、つながっているのか? 正直なところ今も理由は分かっていない。
アンドリュー・ワイルズリチャード・テイラーが志村・谷山・ヴェイユ予想を証明し証明はすべて3次方程式にまで拡張された。
この世界には何か秘密があるのだろう。隠された秘密があって、我々はそれを垣間見ているのにすぎない。
そこから解が得られるなどどうして予想できるだろうか。だが、それは真実である。
我々は証明を手にしている。だがなぜか? なぜそうなるのか。
世界の7不思議のようなものだ。つまり、ピラミッドやバビロンの空中庭園のようなものだ。
違うのは、どこにも出かけていく必要がないことだ。時間や場所を移動しなくても見つけられる。
では、志村・谷山・ヴェイユ予想に関わった人々について話そう。
まずは、日本の数学者 谷山豊だ。
1927年生まれで、1958年に亡くなった。谷山がこの予想のアイデアを最初に発表したのは1955年、戦後の日本で初めて開催された数学の国際会議のことだった。東京と日光で開かれた数論についての国際シンポジウムだった。
その会議で、谷山はこの予想を1つの疑問として提出した。
この疑問は後に彼の同僚である志村五郎とアンドレ・ヴェイユによってさらに研究されることとなった。
どうしたらこんな革命的な発見ができたのか? ずっと不思議に思っていた。
谷山には洞察力と深い理解があった。証明はできなかったが、真実だと気づいていたんだ。
数学の洞察とは何か?
今ではコンピュータが人間に追いついたと、言われることがある。でも、異議を唱えたい。
直感力が大事で、このような発見を行うとき、普通とは違うなにか別な力が働く。
谷山の話には悲しい続きがある。
予想を出してからしばらくして谷山は自ら命を絶った。
遺書にはこう書かれていた。
 ただ気分的に言えるのは将来に対する自信を失ってしまった
 私の行為がある種の裏切りであることは否定できませんが
 最後のわがままと捉えてください
 私がこれまでの人生で行ってきたように
彼の死からほどなく、婚約者も命を絶った。
 私たちは決して離れないと約束しました
 だから私も一緒に行かなければなりません
と書置きを残して、このことは悲劇だが、数学者も人間であり、あらゆる経験をし、さまざまな感情を持っていることを気づかせる。
そして死後、同僚の志村が谷山を讃えている。
 彼が生きていた時よりも今のほうがずっと強く彼の高潔な寛大さを感じる
 それなのに彼が切に支えを必要としていたとき誰も彼の支えとなれなかった
 このことを思うと、私は深い悲しみに打ちのめされる
と。
これは数学の物語であり、人生の物語でもあった。