じじぃの「人の死にざま_1528_ココ・シャネル(デザイナー)」

Coco - Inside CHANEL 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2G88zqPxJ00
ココ・シャネル 映画予告 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=t-Uk55-xyio

ココ・シャネル ウィキペディアWikipedia)より
ココ・シャネル(フランス語: Coco Chanel、1883年8月19日 - 1971年1月10日)は、20世紀に活動したフランスのファッションデザイナー。
20世紀を代表するファッションデザイナーのひとりで、ファッションブランド「シャネル」の創業者。

                          • -

『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
戦後、71歳でカムバックしたココ・シャネルのその後とは? (一部抜粋しています)
フランス生まれのァッション・デザイナー、ココ・シャネル(本名はガブリエル・ボヌール・シャネル)は自尊のやりたいように生きた破天候な女性であると思われがちだが、実際はきちんとした「経営哲学」を持った女性であるといえる。
それは彼女が残した言葉からも読み取ることができ、たとえば「クチュール(註:オート・クチュール。高級衣料店というのは商売であって、芸術ではない。われわれは才能がどうのこうのというより、服を納める御用商人と思えばよい)」といった言葉や、第二次世界大戦中に香水とアクセサリー以外の部門を閉鎖してしまったことに対して「戦争中に服を買う人がいるとは思わなかった」と後悔していたというエピソードに、彼女の仕事に対するドライな立場が表現されているともいえる。
さて、27歳でパリのカンボン通りに帽子店「シャネル・モード」を開いて一気に名を売り、38歳で「シャネルNo.5」などの香水を発表してファッション界で不動の地位を獲得したココだったが、戦中は先述のような店を繁盛させることはできず、戦後はスイスに移住してそのままファッション業界からフェード・アウトするかに思われた。
このときココは62歳になっていたのだから、そんな噂が立つのも当然だったのだ。
ところが、1954年、ココは業界にカムバックする。このとき、彼女はなんと71歳になっていた。
同業者から注目された復活劇であったが、かつての勢いを取り戻すことはできなかったようで、ホテルリッツとカンボン通りのアトリエを行き来することを繰り返していたココは次第に孤立感を強めていき、1971年1月10日、ホテルリッツのベットの上で87年の生涯を閉じた。
     ・
言い伝えられているところのココの最後の言葉は、「人はこんな風に死ぬのね」というものであった。
ココ・シャネルの墓はローザンヌも建っているが、5頭の獅子頭が彫られている。「5」は彼女のラッキーナンバーであり、獅子は彼女の星座であった。