じじぃの「アインシュタインの素顔・離婚と再婚と晩年!相対性理論誕生の秘話」

10 Things You Didn't Know About Albert Einstein 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=D4vblL1Q1gA
Albert Einstein vs Mileva Maric 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KEObAwnO0rw
電車の中で落下するボール A FALLLING BALL IN A TRAIN
http://matseye.blogspot.jp/2013/01/a-fallling-ball-in-train.html
アルベルト・アインシュタイン

アルベルト・アインシュタインと前妻ミレヴァ

統一性へのアインシュタインの探究 バラ十字会日本本部
1955年4月18日、アルバート・アインシュタインはこの世を去った。彼は、近代の科学者の中で、最も議論を巻き起こした人物であり、最も愛された科学者であった。
彼の研究は、自然界の見方を永遠に書き換えた。それ以来ずっと、歴史家と科学者達は、彼が人類に残した遺産を評価しようとしてきた。アインシュタインの死後50周年を記念するこの記事(訳注:当会のオーストラリア担当英語圏本部の雑誌に2005年に掲載されたものです。)では、この人物の偉大な人生のあまり知られていない一側面を分析するつもりである。
http://www.amorc.or.jp/misc/Einstein.html
二人のアインシュタイン−ミレヴァの愛と生涯− 磯野鱧男Blog
アインシュタインといっしょに成しとげたミレヴァの功績にふれることもなく、すべてアインシュタインの偉業として崇めたため、不当にも暗やみのなかに押し込められてしまっている多くの事実を掘りおこし、二人の生活りと研究の姿を見えるようにすることでした。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/801046f949b2a059f63f0f8d5080e83a
ミレヴァ・マリッチ ウィキペディアWikipedia)より
ミレヴァ・マリッチ(Mileva Maric、1875年12月19日 - 1948年8月4日)は、アルベルト・アインシュタインチューリッヒ工科大学時代の学友であり、後の最初の妻である。
【生い立ち】
ミレヴァ・マリッチは、1875年12月19日にオーストリア=ハンガリー帝国(今日のセルビア)のティテルの裕福な家庭に3人兄弟の長子として生まれた。
1903年、ミレヴァとアインシュタインは、スイスのベルンで結婚し、そこで、アインシュタインスイス連邦知的財産庁の職を得た。1904年には、息子のハンス・アルベルト・アインシュタインが生まれた。アインシュタイン一家は、アインシュタインチューリッヒ大学での教職に就く1909年までベルンで暮らした。1910年、2人目の息子エドゥアルドが生まれた。
ベルリンに住み始めてすぐ、アインシュタインは、彼女が彼の元にいようとすると、過酷な条件を主張した。1914年夏、ミレヴァは息子達をチューリッヒと戻り、永遠に分かれることになった。

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エルザ・アインシュタイン ウィキペディアWikipedia)より
エルザ・アインシュタイン(旧姓 レーベンタール) (Elsa Einstein) - アルベルト・アインシュタインの妻 (1876 - 1936)。
1920年代、妻エルザは、上昇する一方の夫の地位を大いに楽しんだ。しかし、アインシュタインは、2人の間に、きっちりとした線をひいていた。寝室は別々、書斎には立ち入らせない。そして、彼は外で、年若い女性たちとつき合っていた。
 アインシュタインの回想
「結婚とは、偶然の結果を長続きさせようとする、成功の見込みのない企てです。結婚はすべて危険です」
アインシュタインは、わずらわしいことのないセックスを望んでいた。家庭でも、極力、わずらわしさを避けていた。アインシュタインは、自分の義務が最小限ですむような形で、女性を追い求めた。快楽の追求は続いたが、もちろん、物理学の研究こそが最優先だった。

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エドゥアルト・アインシュタイン DrillSpin
物理学者のアルベルト・アインシュタインとミレヴァ・マリッチ(Mileva Maric)との間の次男
http://www.drillspin.com/person/view/ARDSAX289272
ハンス・アルベルト・アインシュタイン DrillSpin
カリフォルニア大学バークレー校の水工学(hydraulic engineering)教授
http://www.drillspin.com/person/view/ARDSAX289268
『あらすじとイラストでわかる相対性理論 知的発見!探検隊/編 文庫ぎんが堂 2014年発行
男としての横顔 10年間で最初の結婚生活にピリオド アインシュタインの離婚と再婚より
1914年、ベルリン大学の教授になるため、アインシュタインは家族と一緒にベルリンへ移り住んだ。しかし、妻のミレヴァはドイツでの生活になじめず、ふたりの息子を連れてチューリッヒへと戻ってしまう。夫婦は別居生活を強いられることになった。
「奇跡の年」あたりまでは夫婦仲はよく、その後も息子たちに囲まれ、幸せそうなふたりだった。だが研究にかまけて家庭をかえりみることのない夫への不満がつのったためか、別居を機に関係がどんどん悪化。1919年にはついに離婚することになった。
別居中だった1917年のこと。アインシュタインは肝臓の病気と胃潰瘍をわずらい、衰弱してしまった。体が回復するまでそばにいて、看病をしてくれたのは妻ではなく、いとこのエルザ・レーベンタールだった。エルザもまた、結婚に失敗してひとり身になっていた。
アインシュタインは妻と離婚し、同年中にエルザと再婚した。エルザは彼と母親、自分ふたりの連れ子の面倒を見て、なごやかな家庭と、研究に没頭できる感興を整えてくれた。ふたりは1936年にエルザが亡くなるまで一緒に暮らしたという。

男としての横顔 偉大な研究成果の影に、前妻の姿アリ! 妻の科学的貢献度とは?より
アインシュタインには多くの偉大な業績があるが、非常に独創性あふれる研究は、1903年から1916年までの間にほぼ完成されている。つまり、最初の妻ミレヴァとの結婚期間中になされたものなのだ。
研究がペースダウンしたのには、さまざまな事情がある。加齢や健康上の問題、大学内での地位があがるにつれて増えた雑務、政治や平和に関する活動に時間がとられていたことも大きいだろう。しかし、ミレヴァの影響もおおいに考えられる。
どの程度の貢献度があったのか、具体的にはわかっていない。が、少なくとも支えや励ましという、精神的な支柱になっていたことは、間違いないだろう。
ミレヴァの貢献度の高さは、ノーベル賞受賞時のエピソードからも想像できる。確かに離婚時の取決めで、収入があれば彼女と子どもたちにいくらかを支払う必要があったものの、アインシュタインノーベル賞の賞金すべてを、ミレヴァに譲っているのだ。
また、ふたりが離婚したあと、ミレヴァがアインシュタインにつらくあたったという話も残っている。これはノーベル賞の受賞にあたって、自分の名前が記載されていなかったのが不満だったのではないかという説がある。

平和運動家の横顔 平和と美を愛した、気さくな紳士 偉大な科学者の素顔って?より
哲学者バートランド・ラッセルアインシュタインを中心に、11名の著名な学者が署名した「ラッセル=アインシュタイン宣言」。日本からも湯川秀樹が参加している。核兵器の恐ろしさを世界に知らせるとともに、科学者の社会的責任にも触れるもので、その後の反核運動に少なからず影響を与えた。
アインシュタインがサインをしたのは、入院中のベッドの上。7日後の1955年4月18日、アインシュタインは76歳でこの世を去った。「ラッセル=アインシュタイン宣言」は遺言のようなものとして残ったのだ。
科学者としてではなく、1個人としてのアインシュタインはどんな人物だったのだろう。シンプルな生活を好み、身の周りにあまり物を置かなかった。服装や髪形にも気を使わず、ネクタイなどの堅苦しい服装は苦手だった。
食事も質素なもので十分で、チーズとトマトの入ったスパゲティを愛したという。アルコールは飲まなかったが、パイプは大好きだった。
趣味は音楽で、バッハやモーツアルトが好きだった。なかでもヴァイオリンはどこにでももっていくほどで、友人たちの前で腕前を披露することもあったという。
超の付く有名人のアインシュタインだが、気さくな人物として、町の人々に愛された。訪ねてくる学生とも気軽に議論を交わしたという。

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どうでもいい、じじぃの日記。
アインシュタイン相対性理論と関係があるのかないのか。
飛行中のジェット機の中で、ポンとボールを上に放ったとき、ちゃんと、手のひらに戻ってくるんだよね。
気になって書店でうろうろしてたら、『あらすじとイラストでわかる相対性理論』という本があった。
これを読めばわかるのかなあ。
アインシュタインには多くの偉大な業績があるが、非常に独創性あふれる研究は、1903年から1916年までの間にほぼ完成されている。つまり、最初の妻ミレヴァとの結婚期間中になされたものなのだ」
ふう〜ん。犯罪の影に女ありか。たとえが悪いな。
ジェット機の中でボールが一緒に動くのは「慣性の法則」のためらしい。