じじぃの「人の死にざま_1437_世宗 (朝鮮王)」

韓国ドラマ「大王世宗[テワンセジョン]」予告 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=R-J1Iet8sRQ
1万ウォン札の肖像画 世宗

韓国ドラマ・根の深い木―世宗大王の誓い  KBS京都テレビ
1418年、譲位により朝鮮王朝4代王として世宗(セジョン)イ・ドが即位したが、軍権を中心に実権は前王である太宗(テジョン)イ・バンウォンが握っていた。王権強化のため有力な臣下をことごとく粛清してきたイ・バンウォンは、イ・ドの義父であるシム・オンとその一家を反逆罪で処刑する。シム家の使用人の息子のトルボクは、幼なじみのタミと逃げ出すが、途中で離ればなれになってしまう。
http://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/hanliu/archives/nenofukaiki/
世宗(朝鮮王) ウィキペディアWikipedia)より
世宗(セジョン、せいそう、洪武30年4月10日(1397年5月7日) - 景泰元年4月8日(1450年5月18日))は、李氏朝鮮の第4代国王である。姓は李(イ、り)、名は「とう 示へんに陶の右」?(ド、とう、文字は示へんに陶の旁)。即位前は忠寧君(チュンニョングン、ちゅうねいくん)ついで忠寧大君(チュンニョンデグン、ちゅうねいたいくん)と呼ばれた。
ハングル(訓民正音)の制定を行ったことで知られ、儒教の理想とする王道政治を展開したことで、後年「海東の堯舜」と称された。このため廟号は世宗であるが、朝鮮では李朝一の名君という意味で世宗大王(セジョンデワン、せいそうだいおう)とも言われる。
田制改革などの内政・文化の改革で大きな成果があり、女真族を征伐して国威を高めた一方で、仏教の統制・弾圧、朝鮮朱子学への極端な傾倒の端緒となるなど負の側面もあった。

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同時にわかる! 日本・中国・朝鮮の歴史 小口彦太/著 PHP文庫 2012年発行
名君・世宗がつくったハングル。でも、使われたのは450年後 (一部抜粋しています)
李氏朝鮮の第4代世宗は、韓国でももっとも尊敬される王だ。一言でいえば「学問好きの王」で、それも「がり勉」でなく、あまりある知識を国民のために生かそうとした名君だった。
世宗は、第3代の王・太宗の第3子として生まれた。長兄が勉強嫌い、次兄は出家していたため、王位を継ぐことになった。
子どものころから本ばかり読んでいた世宗は、書物を取り上げられても、たまたま屏風の裏に残っていた1冊を何百回も繰り返し読むほど本の虫だった。
1418年に21歳で即位した世宗は、暦法天文学、活字出版などを振興した。なかでも最大の功績といわれるのが、朝鮮独自の文字「ハングル」の制定だ。
朝鮮半島では古くから漢字が使われていたが、朝鮮語の発音とは完全に一致せず、文字の読めない庶民も多かった。
それを憂慮した世宗は、秀才が集まる「集賢殿」の学士たちに命じて、28種の文字をつくらせた。ときに1446年のことである。この文字は当初、民に教える正しい音、すなわち「訓(調)民正音」と呼ばれた。20世紀になってから、「偉大なる文字=ハングル」と通称されるようになる。
しかし、李氏朝鮮時代のインテリ階層の多くは漢文に慣れ親しんでいたので、当初「訓民正音」は庶民の文字として低く見られた。それが公用文に使われるようになったのは、誕生から450年後の1894年からだ。
世宗の時代には、多くの仏典や漢籍訓民正音に訳され、庶民のあいだにも読書が広まった。国民の知識レベルを引き上げた世宗は、1万ウォン札の肖像画になっている。