じじぃの「人の死にざま_1385_川路・利良」


警視庁の生みの親、川路利良(としよし)の命日。フランスで客車から雲古を不法投棄したの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ
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川路利良 ウィキペディアWikipedia)より
川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、幕末の薩摩藩士、明治初期の警察官僚、陸軍軍人。
初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した「日本警察の父」。西南戦争では陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を指揮した。
名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名したようである。通称は正之進。号は竜泉。家紋は六つ丁子車。遠祖は藤原氏といわれる。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
川路利良 (1834 - 1879) 45歳で死亡。 (一部抜粋しています)
西郷隆盛に抜擢されて初代大警視(警視総監)となりながら、西南の役には警視庁抜刀隊をもって薩軍を破り、ために日本のフーシェと呼ばれた川路利良は、しかしその志すところはひたすら日本の警察制度の確立にあった。
そのため、かつて明治5年フランスの警察制度視察の目的で洋行したとき、ひどい船酔いに苦しんだ体験があるのに、明治12年ふたたび視察のために渡欧した。しかしパリ到着早々から執拗な咳に苦しみ、次第に結核の症状を現わしはじめた。そして8月23日、ついに目的半ばにして帰国のためパリを発したが、日本への船上で昏睡におちいり、10月8日日本到着のときも半死のありさまで、13日、警視庁官舎で絶命した。