じじぃの「人の死にざま_1359_ビン・ラーディン」

2001年9月11日 ニョーヨーク全米同時多発テロ事件 WTCビル倒壊 超貴重映像 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=pZB_zi6lQh4
CNN: Inside the raid that killed Osama bin Laden 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=THLcqxgka0k
ウサーマ・ビン・ラーディン

ウサーマ・ビン・ラーディン ウィキペディアWikipedia)より
ウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン(Usama bin Muhammad bin Awad bin Ladin, 1957年3月10日 - 2011年5月2日)は、サウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト。アルカーイダの司令官(アミール)であり、アメリカ同時多発テロ事件をはじめとする数々のテロ事件の首謀者とされる。連邦捜査局(FBI)における最重要指名手配者の1人であった。身長194cm。体重約73kg。FBIの指名手配書によると肌はオリーブ色、髪と瞳はブラウンと表記されている。
2011年5月2日(米国現地時間5月1日)、パキスタンにおいて米国海軍特殊部隊が行った軍事作戦によって銃撃戦になり、殺害されたと報道された。

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『中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ』 酒井啓子/著 岩波ジュニア新書 2014年発行
アラブに民主主義はやってくる? (一部抜粋しています)
アフガニスタンでゲリラ戦の経験を積んだビン・ラーディンは、1989年のソ連撤退後はサウディアラビアに帰国します。その彼を待ち受けていたのが、イラククウェート侵攻(1990)と、そのイラクを成敗するためにアメリカが中心に行った湾岸戦争(1991年)でした。このときサウディアラビアは、アメリカに国防を依存して、アメリカ軍を自国に招き入れます。
これにビン・ラーディンは怒りました。メッカ、メディナというイスラームの聖地を守りのがサウディ家の役割なのに、簡単に異教徒の軍に頼るとは何事か。しかも、立派にアフガニスタンで戦ってきた、百戦錬磨の自分たちがいるというのに!
王政批判を強める彼は国外追放となり、その後スーダンに拠点を移しました。しかしアメリカがスーダンに圧力をかけた結果、ビン・ラーディンはスーダンからも追い出され、1996年にはアフガニスタンのターリバーン政権のもとに身を寄せます。
ターリバーンとは「イスラームの神学生」という意味です。ソ連撤退後のアフガニスタン国内でさまざまな勢力が権力抗争を繰り広げていたとき、彼らは、その内戦を逃れて隣国パキスタンに流れ込んでいたアフガニスタン人難民の間で、慈善などの社会活動を行っていました。そしてビン・ラーディンがアフガニスタンにやってきた年、ターリバーンは、内戦の混乱を収拾して、政権を取ったのでした。
このころからビン・ラーディンは、自分の行く手を阻むアメリカに対して、攻撃の手を強めていきます。タンザニアケニアアメリカ大使館を爆破したり(1998年)、イエメンに停泊中の米軍艦を襲撃するなど(2000年)、大規模な反米行為を繰り返すようになりました。
ビン・ラーディンが率いるアルカーイダが、アメリカの政治経済bの中枢をハイジャックした飛行機で自爆攻撃する、という9・11同時多発テロ事件は、アメリカ政府と世界を驚愕させました。
その理由は、まず、国家や既存の組織と関係ない、非国家主体である国際テロ組織が、アメリカ相手に戦争にも匹敵するような大規模な攻撃をしかけてきたこと。これまで「戦争」といえば、国と国との闘いに決まっていました。非国家主体だったとしても、特定の国家が裏にあったり代理戦争だったりで、基本は国と国、政府と政府、正規軍と正規軍の戦闘でした。
しかし、アルカーイダはあくまでもネットワークです。アフガニスタンに拠点を置くといっても、そのメンバーにはサウディアラビアやイエメン、エジプトやアルジェリアといったアラブ諸国の出身者だけではなく、ヨーロッパやアメリカ出身の者もいました。いずれにしても、ここに、ネットワーク型の非国家主体を相手に戦争をする「新しい戦争」、あるいは「非対称戦争」と呼ばれる戦争のパターンが生まれたのです。
次に驚愕したのは、ハイジャック犯がアメリカ本土を直接狙ったこと。レバノンリビアなど、海外のアメリカ大使館や駐留米軍を狙ったテロ攻撃は、これまでも何度もありました。なので、アメリカ政府は基本的に、中東地域にはできる限り直接関与はしないよう、と考えてきました。反米勢力が闊歩(かっぽ)する中東地域にアメリカ兵や政府関係者がいると、標的になるからです。湾岸戦争までのアメリカの政策は、「水平線の彼方」作戦と呼ばれました。つまり、現地と離れ、遠くから見張っていたのです。
それが、遠く水平線を超えてアメリカ本土まで攻撃するなんて! 日本の真珠湾攻撃だって大陸本土じゃなかったのに、といった声が、9・11事件直後にはよく聞かれました。
このような「新しい」攻撃に対して、アメリカは、ビン・ラーディンとアルカーイダが拠点としていたアフガニスタンを軍事攻撃します。アルカーイダが非国家だとしても、それをかばう国家がなければ彼らのネットワークも途絶えるだろう、と考えたのです。こうしてアメリカは、「テロとの戦い」と呼ばれる軍事作戦を展開することになるのですが、それがアメリカの軍事費の増大、ひいてはアメリカ経済を圧迫したことは、言うまでもありません。