じじぃの「今年の6月にも世界遺産登録へ・親子3代の富岡製糸場!首都圏ネットワーク」

富岡製糸場世界遺産ユネスコ諮問機関が勧告 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kpUxuU2iw-g
世界遺産実現を」  次期ユネスコ大使が絹遺産群視察 上毛新聞ニュース動画
ユネスコ日本政府代表部の門司健次郎次期大使が10月25日、来年年6月の世界文化遺産登録を目指す「富岡製糸場と絹産業遺産群」の4資産を視察した。
この日は田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴、富岡製糸場の順に見学。高山社跡では、県世界遺産推進課職員から説明を受け、越屋根を載せた養蚕家屋を興味深そうに見て回った。
門司大使は印象に残った資産として、蚕の卵を山の冷風を使って貯蔵した荒船風穴を挙げ、「現場を見たので、説得力を持って日本と世界の絹のつながりを示し、世界遺産登録を実現させたい」と語った。
http://movie.raijin.com/65787583/detail
富岡製糸場

上州富岡製糸場之図

歴史秘話ヒストリア 「富岡製糸場 世界遺産へ〜世界を魅了した少女たちのシルク〜」 (追加) 2014年5月21日 NHK
●エピソード2 富岡製糸場 明治の青春物語
富岡製糸場は明治の女性の職場として先進的でした。
1日の労働時間は8時間未満。日曜休み。いわゆる悲惨な“女工”のイメージとは違います。ここで働いた明治女性の手記にあるのは、国の期待を背負う生糸生産をめぐる出来事、オシャレに夢中な様子などなど…。製糸少女たちの青春の日々とは?
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/202.html
首都圏ネットワーク 「親子3代の富岡製糸場 2014年4月28日 NHK
【キャスター】橋本菜穂子、田中洋行
群馬・富岡製糸場と絹産業遺産郡が世界遺産に登録される見通しになった。
富岡製糸場では3世代にわたって働いた家族がいる。
祖父や父のあとを継いで製糸場に勤めた女性梅津すみ子さんを取材。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/net/
どうでもいい、じじいの日記。
4/28、NHK首都圏ネットワーク』を観た。
【親子3代の富岡製糸場
この富岡製糸場では3代に渡って働いた家族がいます。祖父や父親の後を継いで、製糸場に勤めた女性を取材しました。
高齢の女性がアルバムを広げて写真を見ている映像が出てきた。
富岡市の海津すみ子さん(76歳)です。
27年前、富岡製糸場が閉じるまで働いていました。育ったのは製糸場の中にある自宅です。
平屋の家が数軒並んで建っている。
すみ子さん、「子どものときから住んでいたし、場内もくまなくわかっている。世界遺産になるとしたら、みんなうれしいですよ」
赤レンガ造りの古風な建物が出てきた。
繭を乾燥させて、保存していた倉庫です。子どもの頃、すみ子さんはここで「かくれんぼ」などをして遊びました。
倉庫の中には、包み状になった箱が並び、数段重ねられている。
すみ子さん、「繭の一段目に足かけて、二段目に手をかけて、一段づつ登っていって上まで行って遊ぶんです。見つかったら雷が落ちるような大きな声でどなられました」
すみ子さんの祖父の海津祐三郎さんも富岡製糸場に勤めていました。担当は繭から糸を引く機械の整備をしていました。
父親も富岡製糸場に勤めて、繭の品質改良にたずさわっていました。
錆びた製糸用機械がずらっと並んでいる映像が出てきた。
すみ子さんも中学校を卒業し、製糸場で働くようになりました。
すみ子さん、「世界に誇る糸を作っていたわけだから、それなりに覚悟というか、仕事を一生懸命にやって、少しでも上達するようにしようという気持ちがありました」
すみ子さんは当時使っていた作業衣類などを、今でも大切にしています。
作業帽子には機械を点検したときに付いた油のシミが残っています。
すみ子さん、「私の場合はいつまでも捨てるに捨てられないというか・・・。家族と過ごした思い出の地です。この場所が世界文化遺産に登録され、このままの姿でいつまでも残ってほしいと願っています」
じじぃの感想
「世界に誇る糸を作っていたわけだから、それなりに覚悟というか、仕事を一生懸命にやって、少しでも上達するようにしようという気持ちがありました」
なんか、ジーンときました。
富岡製糸場と絹産業遺産群」は今年の6月にも、世界の文化遺産として登録されるようです。