じじぃの「人の生きざま_396_WD. ルービンステイン」

衰退しない大英帝国―その経済・文化・教育 1750‐1990 紀伊國屋書店ウェブストア
W・D・ルービンステイン/著、藤井泰/平田雅博/村田邦夫/千石好郎/訳 晃洋書房 1997年発行
イギリス「衰退論」への反証!!経済史・文化史の最新の論点と成果。イギリスの変貌を論証。ジェントルマン資本主義論の決定版。19世紀以降、イギリスは「反産業精神」により衰退したのではなく、「商業・金融経済」への過程を現実的に認識し理性的に適応していった。
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784771009295
William Rubinstein from Wikipedia
William D. Rubinstein (born August 12, 1946) is a historian and author. His best-known work, Men of Property: The Very Wealthy in Britain Since the Industrial Revolution, charts the rise of the 'super rich', a class he sees as expanding exponentially.

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『イギリス 繁栄のあとさき』 川北稔/著 講談社 2014年発行
はじめに 不況か「衰退」か――19世紀末のイギリスと20世紀末の日本 (一部抜粋しています)
バブル崩壊後回復基調にあると言われていたわが国の経済は、阪神・淡路大震災などもあって、いささか挫折気味になった。短期観測をしているエコノミストなどとは違う歴史家の目から見れば、この雰囲気は、まさしく一国経済が長期的に衰えていく時のそれであるように見える。「バブル崩壊」は、一時のエピソードなのか、長く続く「日本病」と「日本沈没」の始まりなのか。
これまでは、経済発展の秘訣を解きあかすのが経済史家の使命と観られてきたふしがある。第一にそのほうが、元気も出れば、役にも立ちそうだからである。しかし、仮りに、「バブルの崩壊」が、日本の衰退の始まりなのだとすれば、そのような環境のなかで、われわれはどのように生きていくべきなのか。今もっとも必要なのは、「成熟期以後の経済」のあり方と、そのなかでのわれわれの生き方の問題への指針である。
「日本の現状は、ホブスンの時代のイギリスにますます似通ってきている」とは、有力なイギリス経済史家W・D・ルービンステインの言葉である。ここで言うJ・A・ホブスンとは、19世紀と20世紀の境目に、イギリスの南アフリカ戦争(ボーア戦争)に反対し、国内経済の空洞化に警鐘を鳴らした、『帝国主義論』の著者である。ルービンステインの言葉は、19世紀末、イギリスでは工業生産が停滞し、資本の多くが国内での工業投資より、帝国植民地をはじめ、国外に輸出されるようになった事態を指している。つまり、上記の言葉は、「イギリスの没落」ならぬ「日本の没落」の始まりを語っているのである。
イギリスでも、わが国でも、これまで歴史家は「イギリス病」や「イギリスの没落」について語ってきたが、他方、時論家の多くは「日本の勃興」を当然のこととして語ってきた。今の不況もサイクリカルなものであって、かのオイル・ショックさえ乗りきれた「日本経済」は、かってのイギリスのそれとは違って、いずれは強力に回復するものと、一般には信じられているようである。そうしたなかでのルービンステインの主張は、日本人の耳にはいささか不気味にもひびく。
しかし、歴史家としてのW・D・ルービンステインの主張は、じつはもっと積極的なものでもある。すなわち、イギリス経済の「衰退」は強調されすぎており、そうした議論はすべて、近代のイギリス経済の特質を取り違えているのだ、というのである。「世界の工場」などというキャッチ・フレーズに引きずられて、近代のイギリス経済を「工業経済」と捉えたことが、こうした誤解の根底にある。そのうえ、「鉱・工業生産」統計をもって一国の経済状態の指標とする過ちを重ねたことが、結局、「イギリスの衰退」の過大評価を引き起す根本原因だというのである。
実際には、イギリス経済は、工業を最大のよりどころとしたことは一度もなく、19世紀の半ばまでは、伝統的な大地主で経済的・社会的・政治的に圧倒的な支配階級となった「ジェントルマン」階級が、次いで、やはり「ジェントルマン」としての生活様式を維持し、その価値観を引き継いだシティの金融資本と、医師や弁護士のほか、帝国各地に展開した軍人・官僚などの専門職(プロフェッション)が社会の中核となっていた、というのである。つまり、反工業的・反都市的な価値観を持つ、地主や金融資本家のような地代・金利生活者こそが、近・現代史を貫くイギリスの支配階級層であった、というわけである。
事実、「工業化の世紀」であるはずの19世紀以降について、イギリス第一級の富豪層を見ると、その生活基盤は圧倒的にロンドン、つまりシティとその周辺にあり、西北部の工業地帯にはない。新たに生まれた大富豪の家系や、新たに貴族の爵位を与えられたものを検討しても、そこの現れるのは、ひたすらシティの商人・金融資本家とプロフェッションの人びとである。
このような見方は、今ではルービンステインのみならず、多くのイギリス人歴史家の認めるところとなっている。