じじぃの「人の生きざま_336_塚原・光男」

塚原光男 - あのひと検索 SPYSEE
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Athletes Memories-13 ( Gymnastics ① ) 動画 YouTube
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Muta Misses The Moonsault 動画 YouTube
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月面宙返り

塚原光男 ウィキペディアWikipedia)より
塚原 光男(つかはら みつお、1947年12月22日 - )は、日本の元体操選手。オリンピック3大会で金メダルを獲得した。鉄棒では「月面宙返りムーンサルト)」を編み出した。現在は、さまざまな体操競技団体において後進を指導する立場に就いている。
【人物】
東京都北区出身。1966年に國學院高等学校を、1970年に日本体育大学体育学部卒業。 大学在学中の1968年にメキシコオリンピックに出場した。
1970年、大学卒業後に河合楽器に入社。社会人となってからもミュンヘンオリンピック(1972年)とモントリオールオリンピック(1976年)に出場、男子種目別の鉄棒で2大会連続で金メダルを獲得。
1970年に跳馬で「ツカハラ跳び」、1972年に鉄棒で「月面宙返りムーンサルト)」の新技を開発した。特に月面宙返りの開発に当たってはトランポリンのハーフ・イン・ハーフという技を見て、「これを鉄棒に使えないだろうか」と思ったことから深夜、人がいなくなった練習場で数ヵ月かけて1人練習を重ねて技を完成させたことを後に語っている。

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文藝春秋 2014年1月号
世界が驚愕した日本人54人 塚原光男塚原体操センター) 初の月面宙返りに「大アンコール」 (一部抜粋しています)
着地が決まると、約1万人の観客は信じがたいものを見たような感嘆の声をあげた。そのあとは割れるような拍手と「アンコール!」の声。
月面宙返りムーンサルト)」の登場は衝撃的だった。
「あの瞬間は、無事に成功した!という安堵感だけ。他の種目でチームに迷惑をかけたから、やっと貢献できたという思いでした」
1972年8月に開幕したオリンピック・ミュンヘン大会の4日目。塚原は、鉄棒でオリンピック初の「月面宙返り」を決め、団体自由の最終演技を飾った。
「私たちがオリンピック4連勝を確信して肩を叩き合う間も、場内の拍手と歓声は鳴り止みませんでした。『お前への拍手なんだから、応えてこい』とチームリーダーに促され、演技台へ上がって手を振りました。照れくさいというより、恥ずかしかったですね」
電光板に表示された点数は「9.90」。地元ドイツの主任審判員は満点の10.0をつけていた。この結果にまた驚きの声と拍手が巻き起こり、塚原は再び演技台に上がった。
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塚原が開発した新技がもう1つある。跳馬の「ツカハラ跳び」(側転跳び4分の1ひねりかかえ込み宙返り)は前方宙返りやユルチェンコ跳びと並んで、いまでは基本的な技の1つとなっている。
ツカハラ跳びは、いまは小学生でもやっています。2013年に話題になった白井健三選手の新技『シライ』は、空中で4回ひねりができる並外れた筋力やバランス感覚が必要だから、まだ誰も真似できない。私の技はそこまで高い身体能力はいりません。だから誰もが習得できるし、種目を超えて発展したのです」

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